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ネットの世界があったから生きていたけれど、ネットのせいで苦しめられてきたことも認めたい話

僕の青春はネット上にあった。
中学の頃からSNSやネットの文化に触れて、そこで沢山の出会いと別れを繰り返してきた。出会った人達に励まされたこともある、貶された事もある。半年ROMることも出来ず恥をかいたことも沢山ある。1人が好きだと言っても結局は寂しくて、それでも人間と関わることが辞められなくて。現実世界の自分を見たくなくて。何者かになりたくて。

そうしてネットに生きて13年程たった気がする。

そんな高校の友人よりも長くこのネットという物に触れていた僕だが、自分の保身の為に避けてきた考えがある。
「ネットを断ってしまえばもっと自由に生きられるのでは?」という考え方だ。

SNSやネットを断った方が楽に生きられるんじゃないか

うるさい

「貴方はSNSの上で生きているんですね」

昔カウンセラーさんに言われた言葉だ。
以前今よりも酷い精神状態の時、仕事も出来ず家でずっとネットに齧り付いていた。
暇が怖くて、考える時間が嫌で、睡眠が出来なくて。ご飯が食べたくなくて。常に引きこもって常にネットの特に意味の無い毒にしかならないような人間の呟きですら目を通していたことを覚えている。

その頃読んだ本の殆どには「うつ状態の人にとってはSNSやネットは人間関係や強い言葉で疲れてしまう上、夜に寝れなくなるブルーライト等もある為、スマホ断ちをした方がいい」と書かれており、きっといつかこのカウンセラーさんにも言われるのだろうと思っていた。しかしカウンセラーさんは一切辞めろとは言わなかった。むしろ

「貴方が公開していいことと思って吐き出せる場所がそこにあるのなら、やりたいと思っているならやったらいいんですよ」

と言ってくれたことを覚えている。

沢山の人間が好きなことを好きなように喋り関係性を築くSNS。その情報量はえげつない。毎日変わる事柄があまりに目まぐるしく人も立ち代り入れ替わり。その依存性は「自分が見ていない間に起きた事で置いていかれたくない」という部分が強い気がしている。

SNSの関係性はアカウントが生まれてから無くなるまでその人の好みである。故にすぐ生まれすぐ死ぬアカウントだって沢山ある。昨日まで築いてきた関係性が突然断たれることだって当然ある。

その頃僕は自分の現実に目を向けることが本当に嫌で何も考えることが出来なかった。ひたすらネットに縋っていた気がする。だからこそそこの関係性が全てであり、リアルに別の事がある人間に比べればその比重の重さは当然おかしな程だった。

ネットはフィクションを受け入れられなかった

うるせぇ

そこから紆余曲折あり、自分の事を少しずつ考えるようになってきた頃。きっと頃合だと思ったんだろうカウンセラーさんに「ネットにいる人は全員フィクションで、存在しない人だと思った方が生きやすいですよ」と言われた事がある。けれど僕はそれをどうしても受け入れることが出来なかった。自分の人生を否定された気がした。僕はフィクションじゃないと思ってしまったから。

実際の意味がそうでは無いことくらいはわかっている。自分の精神状態から「貴方は相手に対して過剰に気を使ってしまう人です」と言われていた為、恐らくネット上で関わった人に対しても過剰に気を使っている結果、自分に対して気を回す余裕を奪っている。そういう意味合いだったんじゃないかと僕は思う。言っていることは間違いない。その頃の僕は今よりも増して自暴自棄であったし現実を見る余裕を失わせて現実を見ないようにとSNSに仮初の身体を作り生活をしていたと思う。けれど、それはあまりに不揃いな身体なのだ。

その当時付き合っていた元カノが何を隠そう元はネット上からのネット恋愛からの同棲までに至って居た為に「僕が耐えた数年にケチをつけるのか?」という謎の怒りがあった。恋は盲目というのは本当にある話である。

他人はなんとでも言える

るさい

僕のことを僕が考えていないということは、人に選択肢を任せるということになる。他人によりかかり全てを放棄するということになる。SNSにはとても甘い遅効性の毒を撒く人間が一定数居る。優しく接され虜になった頃には相手なしには生きられないというのに相手は別にそうでは無い為簡単にその生活を断つことが出来てしまう。

だからこそ、ネット上だけでなく私生活の向上が必要なのだがネットを見ているという行為自体が「何かをやっている」のだ。「相手を待っている」「字を読んでいる」「世界を知る」自分で言い訳を作っている自覚のあるまま他人を待たせる訳にはいかないから、なんて自分を正当化する。そして現実世界では「今日も何も出来なかった」という虚無の自分だけが残る。それが苦しくて、動きもしないので眠れなくて、朝までさめざめと泣いて。また別のSNSの人間に依存しながら仮初の安心を得て眠る事を繰り返した。

客観的に見ればおかしい事なんてわかっていた。けれど、自分の世界はそこにしかなった。そこが全てだった。そして自分を正当化しなければやっていられなかった。自分を支えてくれるSNSによって狂わされている。SNSとの付き合い方を変えようと藻掻くようになったのは、本当に最近の話だ。

ネットでバカにされるルーティンは凄いことだ

えらい

話は少し変わるがネット上ではInstagramに所属する様な人達が行う「朝は一杯の白湯から」とか「レモン水を飲んで」とか「手引きしたコーヒーを飲みます」みたいな所謂"丁寧な暮らし"をするモーニングルーティンを馬鹿にする人達がいる。かくいう自分も昔は馬鹿にしていた内の一人だった。ヨガやアロマオイル、瞑想。そんなものをする人達は意識が高い系の人だ。なんて馬鹿にしていた気がする。

でも、実際あれは凄いことだ。彼らは自分の機嫌を自分で取る方法を理解して実行いるんだから。

鬱傾向にある人には様々な要因が重なって症状が出ている人が殆どの為、薬を飲むだけ、本人の気合いだけで解決出来ないことはとても多い。そして、それを理解されない事もとても多い。皆薬を飲めば大抵の物は治るものだと思っているからだ。

多くの場合医師は健康な生活習慣や食生活を同時進行に行う事を推奨するものの、実際その生活を1人で送ることは難しい。その為には問題の一つ一つに向き合って行く必要があるし、心を病んでいる時に1人で行う食事や睡眠する為のルーティンなんて気を配れる所か出来ないという苦手意識をさらに悪化させることが大半だ。
また、生活習慣は1日2日意識しただけで改善されることは無いので慣れるまでは一つ一つが非常に苦痛である。にも関わらず、他人は無意識に行えてしまうために「当たり前だ」と蹴り飛ばされてしまう。そうして更にドツボにハマっていくを生活習慣が整っていない人は繰り返していくのだ。

しかし目下の彼らはそれを習慣化し自分の機嫌を取り、体調を安定させつつ毎日を過ごしている。それを羨ましいと思う気持ちが妬みに変わり嫉妬は他人を嘲笑う事で自分はあんなことはしないと、正当化されていく。けれど僕はずっと羨ましかった。

それは別に朝珈琲を手引きすることが羨ましいのでは無く、その時間に起きれる生活習慣の余裕や人に見せることが出来る自信、自分を大切に出来る自尊心の高さがすごくすごく羨ましかったのだ。

Vtuberになって気付く自分の何も出来ていなさ

コンテンツとは

そして、至極自分勝手な話だが先程の様に人を小馬鹿にすることで自尊心を保つ様なプライドの塊的人間は自分以外にも沢山居て、きっと同じ様に上手く出来ないものなのだろう、依存しているものなのだろう。なんてどこかで諦め始めて開き直っていた事が多くあった。しかし、Vtuber(バーチャルYouTuber)という存在を知り、憧れ、実際にVtuberとなり、色んな種類の人間と触れてみて分かったことは「他人は自分程SNSに縛られてないんだ」という事だ。

Vtuberと言えばそれこそSNS自己承認欲求おばけの様な存在と思われるかもしれないが、一線で活躍する人達はその承認を得る為の努力が凄かった。それは財力であったり人を焚き付ける人徳であったり、技術であったりとひとつではなく、それこそSNS上だけでは絶対に見せきれない沢山の努力の結晶がそこにはあった。人が頑張っている様子を見て僕は初めて「自分で学び立たなければ始まらないんだ」と言うことを理解した。

頭では分かっていても行動に移す事は難しい。一つ一つの問題が大き過ぎて自分が何で悩んでいるのか分からない夜も沢山あった。時にはVtuberというジャンルが嫌いになりそうだったり、SNSを見ないようにとしていたこともあった。けれど、否定するだけでは成長は出来ない。

ここで大切なのは何かに没頭することで自分と向き合う事が出来たり、SNSから離れて自分の時間を作ることが出来る点だ。

そこから様々な事にチャレンジし「自分がワクワクすることをしたい。何を感じているのか、どうしたいのか、自分と向き合えるようになりたい」という目標の為に色んなことをした。それはVtuberとしての活動だけでなく、現実世界での環境改善等もある。

えらすぎ

そしてようやっと最近総合的な作用で朝起きて夜寝る生活、栄養バランスを一応考えられる食事、適度な仕事での運動、身なりを整える事などが少しずつ総合的に出来るようになってきた。凄い色んなことをしたので書ききれないが、とにかく色んな自分と向き合った。

そして最近、ようやくSNSとの折り合いを付けられるようになりたいと強く感じ始めた。SNSに助けられ、依存していた自分はまだ確かに存在し、すぐに抜け出すことは出来ないと思う。

ただ、少しずつ。何で疲れているか、どうしたら改善できるか、という自分の状態鑑みず無視してただSNSをひたすら開き依存することをやめていきたいと思う。SNS以外の事に目を向けて、自分が何を感じているのか、何がしたいのか、どうしたいのか。という事と向き合ってみたい。色んなことをして、色んなものを見て、色んな事をしながら自分を大切にして、時に人に甘えて沢山の選択肢や心の支えを持って自立することを目指したいと思う。

その為に僕は現実世界に向き合う必要がある。そして、ゆっくり少しずつSNSやネットといい距離感で付き合える様になっていこうと思う。

まけん

SNSやネット全てを否定するんじゃなく、両方楽しいねって言えるようになりたい。
僕みたいに悩む人が僕を見て少しでもなにか感じてくれる様な存在に、僕はなっていきたいと思った。

そのために今日は栄養のある食事を取って、楽しい事をして、身体を洗って暖かい風呂に入って、ちゃんと寝よう。自分を大切にして、今日を楽しく生きる為の努力をこれからもしていこう。

貴方は自分を大切に出来ていますか?


僕のSNSはまだ発展途上だから伸びしろしかねぇな!

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ではの

#Vtuber #SNS依存症 #自己肯定感

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