見出し画像

「流浪の月」凪良ゆう 読書感想

初版 2019年8月 東京創元社

~~ネタバレ考察含みます~~

あらすじ
小学生の家内更紗(かないさらさ)は大好きな両親と平和に暮らしていた。
自由奔放な母と寛容な父。(ちょっとジョンとヨーコを思いだす)
近所の人や学校の友達からはヤバイ家族と噂されていたけど。
更紗自身も常識や規律に縛られない性格で、そんな両親との暮らしは最高に幸せな日々だった。
しかし、父が病死。それを機に母も蒸発。伯母の家に引き取られる。
そこは「常識」に満ちた窮屈な空間だった。
さらに大嫌いないとこ、孝弘の存在。
更紗は自分の居場所は無いと感じるようになり、学校帰りの公園で友達と別れた後も一人で本を読んだりするようになる。
その公園の向かいのベンチには、遊んでいる自分たちをいつもじっと見ている「ロリコン」と噂される青年がいた。佐伯文(さえきふみ)19歳。
ある雨の日、いつものように帰らない更紗。傘もささずに本を読んでいると
そっと傘が差しだされ「うちくる?」と言われた。
ごく自然に「いく」と答える更紗。
文は「いつでも帰っていいよ」といったけど更紗は帰らなかった。
文は更紗の嫌がることはせず、ああしろこうしろと指図もせず、常識も言わず、ただ自由にさせてくれた。
寝るときは別々の部屋で、噂されてるような事は何もしなかった。
文との奇妙な生活は彼女にとって安息の場所となってゆく。
しかし、その生活も彼が幼女誘拐事件の犯人として逮捕され終わりを迎える。
大人になった更紗は、当時世間を騒がせた「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害者としてひっそりと生きていた。インターネットで調べれば当時の写真や逮捕の瞬間の動画、様々な記事やコメントが昨日のことのように並べ立てられ。
それを見た人たちは「かわいそうな被害者」として接してくる。
真実を伝えようとすれば「ストックホルム症候群」とみなされる。
彼女は多くのことを諦めながらも、どうにか普通に生きていた。
そんなある日、偶然、24歳になった更紗は34歳になった文と再会する。
というお話です。

表面的なストーリーはドラスティックなんだけど、内面的な部分は意外に重々しさはなく、むしろライトタッチなピュアラブストーリーの印象で、爽やかな読後感でした。
それでいて、考えさせられることも盛りだくさんで、なかなか面白いじゃないですか。

考えさせられてちょっと語りたくなる面白い事、全部上げると長くなるので
3つに絞ります。

1・善意やいたわりはかえって人を傷つけることがある。
子供の頃、僕はどちらかといえばいじめられっ子だったんだけど、
そんなに苦痛じゃなかったんですよ。僕は。あくまで僕はですよ。
昔は今ほどいじめに神経質でなく、先生や親からも放置されてたし、
いじめられてるという意識があまりなかったんだな。きっと。
悪ふざけやボケツッコミの延長みたいに思って。
ところが、ある時、正義感の強い学級委員長タイプの子に「○○君いじめるのやめなよ!」なんてかばわれた時、なんだか急に悲しくなっちゃったの思い出しましたよ。
更紗もずっと誘拐事件の被害者として善意といたわりの視点にさらされて生きてきました。私はかわいそうな被害者じゃないと反論すれば犯人に洗脳された「ストックホルム症候群」のかわいそうな人ね。とさらなるいたわりの視線を向けられる。その息苦しさ。わかりますね~。
だからって善意やいたわりのすべてが悪いわけではもちろんないんだけど。
だけど、更紗は人の善意やいたわりをはじめから、「真実を知らない人たちの勝手な憶測による迷惑なもの」という型にはめて考えている。
それはあの特殊体験では仕方ないのかな・・・。そう思う事すでに迷惑ないたわり?善意の匙加減って難しいなあ~。などと思ったのでした。

2・事実と真実は違う。特にネットの情報について。
更紗の誘拐事件についてネットに掲載されていることはほぼ事実ではあります。(物語の中の話として)
写真や動画は本人そのものだし、逮捕の瞬間の動画も嘘偽りないその時の事実です。文が更紗を誘拐したというのも19歳の男が9歳の少女を自宅に連れ帰り、家に帰ろうとしないのを、そのまま自由にさせていたというなら、それはもう誘拐でしょう。19歳の男は少年院に送られ9歳の少女は自宅に帰ったけど心の傷は残るだろう。という記事があれば、それは事実でしょう。
しかし、更紗が感じていた伯母の家での疎外感。いとことの事。文との生活での安息。性的関係はみじんもなかったこと。
そこには当事者の二人にしか知る由もない真実があるわけです。
なんで文がそんなことをしたのか。読んでのお楽しみな真実もまだあるのですが・・・。
僕もネットでちょっとググっただけで知った気になって語ってしまう事ありますが。
そういうこと気をつけなきゃなぁ~と思いました。
なんにしても知ったかぶって、決めつけるのはいけませんね~。

3・マイノリティーな愛について。
成人男女間の愛が普通というなら。マイノリティーな愛とは、ボーイズラブ。レズビアン。シスコン。ロリコン。などなどと仮定して。
僕はね。人間愛という事でいえば、なんだって普通だと思うんですよ。
純粋にその人といると心地いいとか、ずっと一緒にいたいと思う気持ち。
単純にカッコイイとか、かわいいという思い。理屈なく好き。
という事でいえば、男と男でも。女同士でも。兄弟でも。親子でも。大人と他人の子供でも。動物でも。二次元キャラでも。それぞれに愛があって当たり前で、成人男女同士の愛だけが普通であとはマイノリティーというほうがむしろ不自然だと思うんですよ。
ただ、そこに性的な結びつきを求めだすと途端に成人男女以外は不自然になる。これはもう仕方ない生物進化の上の理としかいいようがない。
僕は特にBLで性的なつながりを求めあうような物語はまったく理解できないし、気色わるいと思っちゃって、嫌いなんですが・・・。
いや、もちろんそういう人たちがいるってことは認めますよ。不純だとか、不潔だとか、異常だとも思いませんよ。当人同士がいいなら。他人がとやかく言う事じゃない。ただ、自分に直接かかわってきたら、拒絶するってだけです。
あくまで性的な関係の話ですよ。
性的なこと求めなきゃ、もっと生きやすいだろうに・・とは思っちゃいますが。
トランスジェンダーの人とかは、それがコントロールできないから苦しいのでしょうかね・・・。
そういう意味で本作は一応「ロリコンもの」ではありますが、性的な関係はないので、比較的軽快なラブストーリーとして主人公の二人を応援しながら読めたわけです。
更紗と文。本人たちは最後まで愛はないと言っています。
わたしと文の関係を表す適切な、世間が納得する名前は何もない。と
私たちは一緒にいてはいけないのだろうか・・・・。
その判定はどうかわたしたち以外の人にしてほしい・・。と。
あなたたちの関係。立派に愛しあっている関係だと思います。
一緒にいていいと思いますよ。僕は。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件