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"不倫"とは、弱さを見せることができなかった大人たちが行き着く、最後の憩の場


"不倫"ってワードを聞かない日ないよね。」

そんな話をメディア関係で仕事している友人としていた。理由は単純、取り上げることで大衆の興味・関心がそそられて、簡単にPV数を稼げるからだそうな。

そうなんだと、要するにみんな"不倫"にめっちゃ興味あるんだと思って、すきま時間で"不倫"についてググってみた。"不倫"="浮気"を最もしやすいと言われている年齢は40代半ばだそう。でも、1言で"不倫"や"浮気"と言っても様々なものがある。例に出すと、根本的に20代と40代半ばを過ぎてのそれは大きな違いがある気がするのだ。

20代と40代のご事情の差異

例えば、20代(特に男の子)になんで浮気するのかと聞いたときの回答はこうだ。

「心と下半身は別なんだよねー」
「別腹な感覚。恋人のことは好きだし、結婚も考えてる。」
「40代とかになったらできないじゃん。今しかできひんやん!」

こーゆー時期は、下半身大暴走、もう止められまへ〜〜ん期である。積もり積もった理由がある訳ではなく、純粋にエネルギーが有り余っていること、そしてそのエネルギーのぶつけ先がわからないという焦りのようなものから生じている現象なんだろうと思う。

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では、40代はどうか。

ぼくは、40代を越えて社会的地位もある程度確立した人生の先輩に「結婚ってどんなものですか?」という質問をよくする。
離婚直後であったり、家庭生活がうまくいっていない様子の人は、

「自分が我慢すれば、という考えがずっとあったけど、もう疲れた。」
「一生懸命理解しようとしたし、頑張ったけどもう無理だなって思っちゃった。」

といった理由が多い。

少しの絶望と、蓄積した虚しさを混ぜ合わせ、押し出すように言葉を放っているなぁという印象。とても寂し気な佇まいで。

多分これかなぁと思う。"不倫"というものに走りたくなる根本的な感情は。
40代の半ばって、端から見ると、それなりに社会的成功を収めていたり、仕事で人を率いる立場に就いている人たちが多い。それと同時に、ツケが回ってくる時期でもある。犠牲にしてきたもの、省みなかったものの代償を払わざるを得ない時期でもあるはずだ。

権威や肩書きが伴う立場に上がれば上がるほど、弱くて情けなくてみっともない部分を見せられる関係性は少なくなる。では、人生を共に歩んでいるパートナーにさえそれができないとなると、誰にぶつければいいのだろうか。寂寥感と孤独感を誰に聴いてもらって、解きほぐせばいいのだろうか。押し殺すことに慣れ、そのまま背負って生きて行けというのか。
そんな、少し、人生というものに失望した大人たちがたまたま出会ってしまった"受け皿"のような存在との逢瀬が、"不倫"というものなのかもしれない。

不倫の副産物

ニュースのコメント欄を見ているとコメントをしているのはその不倫をした著名人と同世代である場合が多い。

うらやましいのかなと思う。本当は甘えたいという気持ちの反動形成もあるのかなぁと。

自分と同世代で。自分にはできないことをしていて、自分にはいない理解者(褒められた関係性ではないかもしれないけれど)が、いることが。 

でも、自分がそんな欲望・甘えには負けてはいない。お前と違って私の方がちゃんとしてるといった優越感にも似た意識が不倫をした著名人への批判になる。正義や道徳の仮面を被った他者への攻撃へと昇華される。

持論だけど、人は何かしら自分と近しい人が自分より上へ行くと自分も頑張らなきゃという意識より、早くここまで落ちてこいと言う意識の方が強くでると思う。素直に友人の成功は喜べないのと似ている。距離が近くて、共通点があればあるほど。

ぼくは、不倫と言う行為自体やそれをした当事者を汚らわしいとは思わない。そういう時もあるんちゃうかと思う。それより、その行為に対してあれやこれやと批評したり中傷したりしてしまう、そういった不倫の副産物に対して違和感がある。

もちろん、家族や周囲の人々は本当に傷つくと思うし、ぼくもいつか結婚して不倫されたら、それはそれはへこみ散らかすだろう。
でも、それをせざるを得なかった相手の弱さを見つめて理解するよう努めることは放棄したらダメなんじゃないかと思う。


女優の斉藤友紀さんは、

「女優としても女としても頼り過ぎてしまった。」

と言っていた。

音楽プロデューサーの小室哲哉さんは、

「彼女への依存が強くなっていった。非常に甘えていたと思いますし、助けていただいた。」

と言っていた。

人には弱くてみっともない部分が必ずある。同時に、それを分かってほしい。何とかしたいという願いにも似た気持ちも抱えている。気づいていようと、気づかないフリをしていようと。

実際にあるけれど、目を背けたいけれど抗えない、人の矛盾の集合体、それが"不倫"。そうでなければ斉藤工さんがここまで人気者にはならない。百花繚乱に感情が噴火するから、不倫はただの一過性で終わらない現象になっていく。昔から、ずっと。

しかし、それを許せない、認めない風潮は社会というもの中に確実に存在する。でも、不倫が無くなったら、何が大人を癒すのだろうか。誰が、その背中に背負っている物を軽くしてくれるのだろうか。

ぼくもいつか直面したりするのだろうかと、人生初の花粉症疑惑に悩まされながら考えてみた春日和。

この御恩は100万回生まれ変わっても忘れません。たぶん。