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ロシアにおける「中国」の存在、モンゴルと契丹の歴史 (2021年7月)

「ロシアにとっての中国」という問いは歴史的に非常に深く「ロシア」の根幹部分でもあり、中ロ関係を読み解くうえで基礎的部分です。

ロシア語で中国を意味する単語はКитай (Kitay)(発音は「キタイ」)、こればかりでなく、英語で中国の旧名であるCathay(キャセイ)、(香港の航空会社の「キャセイパシフィック」です。

モンゴル語で中国あるいは漢民族を示すХятад (Hyatad) ヒヤタッドなどは契丹に由来しています。

11~13世紀におけるモンゴル人にとって、「中国」とは漢民族の宋ではなく、契丹の遼でした。そのため、モンゴル語では「中国」のことを「契丹」と呼ぶようになりました。

これがそもそもの発端です。東欧においては、チンギス・ハーンの孫であり、かつ、その後継者であるバドゥが東欧を征服(モンゴルの「ルーシ」)し、ジョチ・ウルスを成立させます。

そして、現在のロシアを中心とした地域にモンゴル人が支配者として移住したことにより、東スラブ語はモンゴル語の影響を少なからず受けています。その結果として、ロシア語では「中国」をКитай(キタイ)と呼ぶようになりましたた。これが経緯です。

それだけでなく、ロシア語にはモンゴル支配の影響が見られます。特に財政や金融に関わる単語が流入しているのが興味深いところです。
Деньги (ジェーニガ、金銭)
Казна (カズナー、国庫)
Таможенные (タモージニア、税関)、
Барыш (利益)。

以前にモンゴル人の知人にこのネタを教えてあげたときの驚きの表情が印象に残ります。

一方で『老乞大』という書物があります。朝鮮半島で14-15世初頭に発刊された最古の中国語の教科書です。


ここでの「乞」がモンゴル語のKitadであり、「契丹」なのです。

テキストの話は、高麗に住む商人が中国人と連れ立って元の大都(後の北京)に商売に出かけ、戻ってくるまでの話です。いわば、対中交易に関する実用会話指南書です。

中国の解説が興味深いですね。

朝鮮半島もモンゴル支配の影響を受けた結果、筆談に依存せず「会話」に注目したのではないか、というのが、私の仮説です。

こうしてみると、世界史的にはほとんど注目されていないモンゴルと「契丹」は現代にもかなり痕跡を残しています。

トップ画像は13世紀、モンゴル人徴税官バスカクがロシアの市場をおとずれた光景を描いた絵画「タタールのくびき」(1902年))

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老乞大の朝鮮版


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