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岡崎から視る「どうする家康」#3「元康」の名に込めた意思

そもそも、家康も当初から「徳川家康」を名乗っていたわけではありません。「徳川家康」になる過程も岡崎で行われただけにドラマとして取り上げられるのか、また前後関係をドラマで放映されるのか気になるところです。

「元康」の由来-「元」の意味

家康は、初めは元信、またその後は元康を名乗っていました。この「元」は今川義元の「元」を偏諱としています。

これを桶狭間の戦いで今川義元戦死後の永禄6年(1563年)には、義元の「元」の字をまさに元に戻して、元康から家康と名を改めます。

今川義元は意地悪なヒト?

 今川義元は「人質時代に意地悪した人」と言うイメージがあります。滝田栄「徳川家康」では成田三樹夫さんの悪役・今川義元がそんな感じです。

滝田栄の「徳川家康」での成田三樹夫さん演じる今川義元。見るからに悪役

「おんな城主直虎」の春風亭昇太さんも何か文弱なイメージです。NHKが民放向けに笑いのネタをサービスしたとは言いませんが。

「おんな城主直虎」では春風亭昇太さんが今川義元を演じて民放でのいじられネタ

今回は野村萬斎さんが今川義元を演じます。

NHKでの番組プロフィールをみると今までの「悪役イメージ」とは異なるようです。

桶狭間の討死もありますが、文弱で悪役イメージも江戸幕府の都合によるものかもしれません。実際は今川の影響力を背景に西三河での家康の地位を確立もしている面もあります。

子供向けの漫画などだと「家康は幼少期に静岡で人質として苦労した、いじめられた。」と言うイメージが強調されすぎている感があります。現代の人質事件のイメージは全くトンチンカンです。

むしろ保護者と言う感じです。

しかし、私は家康と義元の関係は、たぶん今回のドラマでの描き方のほうが、実像に近いように思います。

静岡で今川保護下にある幼少期・少年期の家康が何を学んだのか、これは別途書いてみたいと思います。

「元信」の「信」


当初の諱(いみな)は「元信」でした。「信」は松平氏の通字です。「信」と「忠」が松平氏の通字と見られています。
 そもそも松平氏は豊田市の松平郷の出身です。司馬遼太郎『街道をゆく』43巻で出てきますが、はっきり言って今でも田舎です。

 松平家三代目とされる松平信光が平野部に展開し、岩津(岡崎市岩津町)に出てきて城を作ります。岩津天神の入口で、東名高速からも見えます。

この信光の傑出していて通字の「信」のモトはこの3代信光です。家康は9代目にあたります。

松平氏3代目の松平信光

岩津には信光が建てた「信光明寺」もあります。

ただ、この信光が子供を多く作り、西三河に支族として配置していきます。のちの十四松平に発展します。これが後年に家康が同族間の抗争に苦労する要因でもあり、重要なポイントになってきます。

「康」の由来は祖父清康


この「元信」を今度は「元康」に変えます。この動機については、「祖父の清康にあやかったもの」と解釈されています。岡崎に一時帰郷した後のことのようです。

松平清康は家康の祖父です。安祥(安城)を拠点としていました。彼が同族の大草松平氏が居城としていた岡崎を奪取します。清康の傑出した才能で三河全土を掌握しましたが、若くして非業の最期を遂げます。

祖父・松平清康。清康は安祥(安城市)から出て岡崎を奪取した

「清康」にあやかる動機

しかし、なぜ祖父の清康なのでしょうか。

家康が今川氏の保護下にあって駿府(静岡)にいる間は、岡崎は今川氏の派遣が管理していた状態、とされています。今の「岡崎信用金庫の経営幹部全員が静岡の金融機関からの派遣」状態を想像していただければ近いと思います。(岡崎信用金庫の人に言うと逆だろって笑われると思いますが)

ただ、岡崎メンバーは家康の帰還を待っています。それが、岡崎に一時帰国で家康自身も確認したわけです。静岡で今川に取り込まれていないか、心配になっている古参メンバーの強い想いを聞かされた、というところでしょう。ここは泣ける(はず)シーンです。

イッセー尾形さん演じる長老・鳥居忠吉(岡崎市渡町・矢作地区)は今川をちょろまかして松平再興の軍資金を蓄えます。「不正会計」と言うよりたぶん矢作川の水運でのピンハネでしょう。これを見せて家康の「泣き」期待です。この軍資金を見せるのは名シーンです。忠吉は銭を束ねて縦に積んでいたのですが「横に積むと割れる」と家康に教えています。当時、欠銭は価値が落ちるからです。後年、家康はこの話をよくしていたようです。

「銭」に関しては現在キャッシュレスが進み、硬貨(コイン)の使用機会減っています。何十年か後に再びこの場面を放映するときは「銭」に関する視聴者の感覚が全く異なってくると思います。「銭」を実感を伴って視聴できる最後の機会かもしれません。

そもそもイッセー尾形さんが出るだけでも私はワクワクします。回想シーンで何回かイッセー尾形さん出してほしいところです。

酒井忠次(岡崎市井田町)も、家康が今川に取り込まれてないか、やきもきするシーンもあるようです。酒井忠次は今でいう岡崎市副市長格です。宴会芸のシーンもあるようで副市長兼宴会部長みたいなものです。これは実像に近いかもしれません。だいたい今でも副市長などが「オレがオレが」でうまく行った自治体1つもありません。宴会芸やるぐらいでちょうどいいです。

こういう、岡崎帰還を待っている忠吉や忠次などの岡崎メンバーに対しては「今川には取り込まれてない」「岡崎がオレのふるさと」という強い意思表示が必要です。

岡崎にいるメンバーは全員清康を直接知っています。清康の全三河掌握の事績をよく記憶しています今川の全面支援・保護を前提としているからこそ同時に「清康の孫」を前面に出す、祖父の記憶に乗ることで三河のメンバーの心をつなぎ留めておく必要があったのではないかと思うのです。

今川のバックアップと岡崎メンバーの堅い結束の両立が「元康」の名前の意味です。こういう両立がなかなか難しいところですが、単純に「足して二で割る」的ではない点が重要だと思います。

これが「康」に変えた動機で、この「康」の一字に込められた意思表示は、若い(高校生相当の)未熟な家康なりの「松平宗家の後継者」としての自覚宣言であるように私には思えます。

実像とキャスティング

さて、今回は主役の家康を松潤が演じます。ジャニーズ・嵐のメンバーでタレントです。ファンの方には申し訳ないですが、それなりにドラマや映画の経験はあるとは言っても、大河の時代劇での松潤の演技に正直、不安があります。

しかし、演技の未熟な松潤を序盤で囲むのが、今川義元(狂言界の大物・野村萬斎)、酒井忠次(演技派の大物俳優・大森南朋)、鳥居忠吉(一人芝居の第一人者・イッセー尾形)です。

撮影時にこれら大物の俳優の演技指導が入ると思います。「ここ所作ちがうんじゃない?」「ちょっと間とって!」「ダメやり直し!」

考えてみれば、そういった撮影シーンでの大物俳優からの演技指導が飛ぶ関係が、むしろ当時の家康の実像に近いのかもしれません。

40年前に演じた滝田栄さんは文学座・劇団四季の出身で演技としても申し分ない格で演じました。この点が現在の松潤とは大きく違う点です。NHKで二人の対談番宣やったら面白いです。

滝田栄さんも70代になって、老齢の家康を彷彿とさせる風貌になってきてます。


「未熟な松潤家康が成長していく姿」そのものがこのドラマの楽しめるポイントではないでしょうか。

その意味で、配役のうまさがあるのかもしれません。「どうなる演技」



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