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「必ず最後に愛は勝つ」 〜愛ベースで生きる事が大事なワケ〜

90年代初頭に「愛は勝つ」の楽曲で一世を風靡した
KANさんが亡くなったと昨日ニュースで見ました。

享年61歳。
笠くんと同い年だったんだね。

自分が慣れ親しんだ時代に活躍していた人がいなくなるのは、
驚きとともに寂しいものですが、
この先こういう事は増えていくんだろうな。

この曲が流行っていた頃の私は、
こういうストレートに「愛」とか「頑張ろう!」的な事を
歌っている曲があまり好きではなかったのですが
(ひねくれていたので偽善者っぽいとか思ってしまっていたんです・・)、
この歳になると「その通りだな」と思いますね。

前にも少しこの話をしましたが「量子力学」という理論を知ってから、
この世の仕組みみたいなものがほんの少し腑に落ちるようになりました。


量子力学の理論はスピリチュアルな視点だと
ちょっと怪しげなのですが、
科学的にも「そうなんじゃないか?」と研究が進んでいるという事もあり、
あながち虚構の世界という訳ではないのかもしれないと思っています。

ざっくり説明すると、
物質は原子より細かくしていくと最後は「量子」というものになり、
その量子を突き詰めいていくと、
人間関係だったり、自分の人生だったり、
はたまた死後の世界にも関わってくる話になるという。

一から語ると記事が何本にもなってしまうので、
詳しく知りたい方はネットに色々出ているので調べてみて下さい。

なぜその量子が人間関係や人生に関わってくるかと言うと、
量子は物質であり波(電波や音のように、あるけど物質ではないもの)
であるためとの事。

でもって量子の発する周波数は同じ周波数の者同士と
近づく性質があるそうなのです。

その周波数というのは量子でできている人間からも
もちろん発せられています。

「"気"が合う」なんて言葉がありますが、
それは正しく近い周波数を持った者同士という事を
体現しているようですよね。

「価値観が違う」なんて言葉もありますが、
これは周波数が違うという事なんだろうなと思います。

その他「類は友を呼ぶ」とか
「朱に交われば赤くなる」なんて言葉もありますね。

高い周波数の人が低い周波数の中に入ると自分も低くなってしまったり、
逆に元々低かった人が高くなったり。

元々優しかった人が意地悪な職場に入ってしまって
自分も意地悪になってしまうなどというのは、
高い周波数から低い周波数に落ちてしまったためで、
逆に育ちの悪い人がきちんとした職場に入って、
品格が出てくるなんて言うのは低い周波数が高い周波数に
上がったんだろうな。

環境って大事だなと思うし、良い環境に居たければ、
その環境に居られる自分でないといけないんですよね。

そして周波数の高い低いは、
愛ベースかエゴベースかによって変わるようです。

愛が強くなると周波数は高くなり、
エゴが強くなると周波数は低くなります。

一見優しそうな人でもトラブルが絶えない人は、
その優しさがエゴベースに傾いているのかもしれません。

例えば優しくする事で自分は良い人に見られたいとか、
誰かに自分の穴を埋めて欲しいとか。

逆に一見冷たくて厳しい人でも、
愛ベースの人は周りから慕われていたりします。

でもって愛ベースで生きている人は、
『一見優しそうだけれどもエゴベースで生きている人』を
見抜くんですよね。
(エゴ丸出しの人は言うまでもないですが)
そして突き放せる強さがある。

だから変なトラブルに巻き込まれる事も少ないんだと思う。

そして恐ろしいのは、これは死んでからも続くかもしれないって事。

私は肉体が滅びて魂になるという事は、
周波数(波)だけの存在になる事だと考えています。
(個人的な見解です)

昔、江原啓之さんの本を読んで、
人が死ぬと魂は全部一緒のひと塊りになって、自分もその一部になる。

そしてそこから雫が一滴落ちるようにして
新しい魂が生まれるというような話が書かれていました。

その時は「へーそうなんだー」と、
まともに受け止めていませんでしたが、
量子の世界の話を知ってから、「あるかも」と思いました。

そしてその魂の塊の中にも、
周波数の高い部分と低い部分があるのではないかと。

現生で高い周波数を得ていれば、塊の高い周波数のエリアに入って、
高い周波数を持ったまま、また生まれ出るのかななんて思いました。

逆に低い周波数のままだと低い周波数のエリアに入って、
低いままでまた再生してしまう。

この世で良い行いをすれば天国に行けて、
悪い行いをすれば地獄に落ちると言うのはみんなの頭にある事だけど、
そういう事なんじゃないかと。

よくこの世に生まれ出る意味は、魂の勉強のためと言われたりしますが、
そうなのかもしれないですね。

この世で気づきを得ることができなかったり、
魂を磨く事を怠れば、
その課題は生まれ変わっても引き継がれるのかもしれない。

もしそれが本当だとしたら、悪い事できないよね。

いや、悪い事をしてもそれによって「気づき」を得て、
愛ベースの人になれたのなら、現生の修行は合格なのかもしれない。

だからほんと、「最後に愛は勝つ」は真理なんだと思います。
(KANさんがそこまで深く考えて、
この曲を作ったかどうかはわかりませんが)

KANさんのことはよく知らないのですが、
こんな歌を作って世の中の人を励ました功績はきっと
あの世でも認められるでしょう。

そして次の世界でもまた人を喜ばせる存在として戻ってくると思います。

KANさんも一時代を築いた方でした。
ご冥福をお祈り致します。


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