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昔のカラーフィルムを使った経験者に対しては、悪夢の時代としてよみがえらせるトリガーにもなりうることにお気づきなのか?4/24(日)

と問わずにはいられなくなったのである。

勝手に師と仰がせていただいている田中長徳さんの発言はとくに貴重であると受け止めたい。

フィルム時代の色再現のむずかしさのことだ。

「富士フイルムが出しているデジタルカメラでそれがフィルムのテイストになると言うので喜んでいる連中はフイルムを使った時代の経験がない人である事はほとんど間違いがない。だってフィルムの再現性よりもデジタルの方がはるかに上だからね。富士フイルムに騙されないように!4/24(日)」

https://note.com/chotokucamera/n/nac51f473dded

+++以下引用はじまり

プロ写真家としてカラーフィルムで写真をとると言う事は実は大変なことであってなかなか思い通りの色が出ると言うようなものではなかった。それで100枚以上のフィルターを揃えたりしてなおかつ印刷するときにいろいろ印刷所にリクエストをしたりしてそれでも自分の考えている色彩は再現されないのである。

カラーフィルムと言うのはコントロールが非常に難しくて色温度の調整だけではなく思った通りに色が出ないと言うことで何十年も苦労してきたのである。だから富士フイルムの最新型デジタルカメラの色彩コントロールで富士クロムのベルビアに似た色が出るとか言われてしまうと私は不安に落ち込んでしまうのである。つまりフイルムで仕事をしていた悪夢の時代を思い出すのである。

+++以上引用終わり(このあとの箇所も同様)

というプロの写真家による歴史的証言とも言える記述である。

https://note.com/chotokucamera/n/nac51f473dded

メーカーとしての宣伝文句における色再現について、多様な受け止めがあるなかで、本気でフィルムライクとくくって言ってしまえるのだろうか?

というところが気になってしかたないのである。

富士フィルムのヘンテコリンな状況を憂う歴史的証言者は、その点までをも配慮して、若い人が書いたと推測して受け止めようとさえしている。

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富士フイルムは以前ではずいぶんお付き合いがあったのであるが最近はばったりお付き合いがなくなった。そうすると富士フイルムのおかしなところが見えてくるのがまたおかしい。

不思議なのは富士が出すデジタルカメラでかつての富士のカラーフィルムに似せた色彩感覚のモードが使えると言うそういうことがあるらしい。私はフジのデジカメは使ってないのでどういうものだかよくわからないけど私の価値観から考えてみるとこれは非常にヘンテコリンな状況だと思う。

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フィルムシミュレーションについての言及だ。
あえて、色再現のバリエーションをフィルム名と重ね合わせた点が痛かったのだなとわたくしはとらえた。

往時の体験者ならではの上記のような証言があることを予想すらできていなかったということなのかな?

自分としては、「思ったとおりに見たとおりに再現できるようになりました」往時のご苦労を味わった方々へのなんらかのお役に立てることができれば幸いです。というような付言があればいいのになあと思わずにはいられなかったのである。

今しか、先しか見えていないことの弊害とも言える。世代を超えたチームとしての取り組みが求められた一例であろう。

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私が思うにノート等のレビューで昔の富士のカラーフィルムのトーンで再現できるのが素晴らしいとか書いている人は実際には若い人であって昔のカラーフィルムを使ったような経験のない人が書いているのではないか?これが私の推測である。
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とまで、メーカーを庇う発言をきちんと受け止めていただけることを願うばかりである。

わたくしの状況について。
現在の色再現についての技術にはめざましい発展があることに対しては、大いなる恩恵をいただき感謝しているユーザーの一人である。
エプソンおよび富士フィルムをはじめとする、各メーカーの製品をずっと使い続けてきているわけだが、一度もフィルムライクとしての観点ではとらえたという自覚はないのである。
自分にとっての写真機選定に関しても、思ったとおり見たとおりという表現は多用したが、フィルムライクとかいう、他者のものさしを援用する必要がなかっただけのことかもしれない。

思ったとおりに色が出ない。というのが、当時の写真家の大いなる悩みであったのである。
だから、モノクロームであったというのが、当時の現実であるからこその歴史的証言として貴重である。このことをふまえた発言でありたい。

よって、富士フィルムの商業主義的戦略といえども、人々に対して、悪夢をよみがえらせるようなトリガーとなる発言はしたくはないなと思ったのである。

先輩方へのリスペクトとして、メーカーのスタンスの無批判的受容を自戒することで示していきたいと考えて、記録に残そうと決意した。

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ギャラリーバウハウスの小瀧達郎さんのカラー写真展示の時の試行錯誤の数々を思い出しました。そして、このノートとつながりました。
なぜにモノクロームであったのかと。
カラーについて、デジタルカメラで、軽々しくフィルムライクなどと発言できるものではないということなのですね。
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見たとおり思ったとおりに再現されること自体、フィルムカメラ時代には夢のようなことであった。


フィルムの再現性よりもデジタルの方がはるかに上だ


だからこそ、デジタルカメラを使うのだ。フィルムスキャンしてデジタル化するのだ。

往時の夢の実現を身をもって確かめるのだ。
ところが、悪夢というとらえのままでは、二の足を踏む。未整理の回収を無意識が求めているのだととらえたい。

悪夢からの回復をめざすということになる。

そのために、それぞれがタイムトラベルしようではないかということを一方で提案しておきたい。

色再現などの画像処理調整技術については、今はいともたやすくだれもがチャレンジしていけるようになっている。

環境整備の恩恵である。

先人の苦労から学んだ教訓の数々を前進的に活かせる受け止めで取り組んでいこうと思った。

ところで、開発チームはこれらのことをどこまで自分ごととしてとらえているのかな?

まさか、言われたとおりにしてきただけではあるまいに。。。

そこに、騙されてはいけない、ということの本質が隠されているのかもしれない。

メーカーの宣伝による、お話の地平のすり替えであろうと思ってしまった。

デジタルだから見たとおり思ったとおりに再現しやすいですよ!

というのが本質だろうに。

すり替えて、フィルムライクと平気に言ってしまえる若者を増産してしまっているのである。

同時プリントで満足していただけのレベルの人まで、そうかなと思わせる。勝手に勘違いへと導くのであろうか。ここに、商業主義的に取り込もうとする策略があるやなしやなのである。

本当の議論は、本質からなされるべきことなのに、このありさまであることこそ、フィルム会社としてどう弁明するのか問いたくなった。

チョートクさんが富士フィルムに対してやんわりと向けている批判は、この点にあるのではないだろうか。

デジタル画像で色再現を見るというのは、まだまだ20年もたっていない習慣なのだ。そのために動員された画像処理調整技術には敬意を表したい。

それまでのカラーフィルムがポジでスライド鑑賞が主体であったことこそ、思ったとおりに再現できないというプリントのむずかしさを想像するに十分であろう。だからこその、モノクロームのプリント主体であったわけなのだ。

それをフィルムライクとつなげて、その他の人々を勘違いさせるというのはいかがなものかということなのである。

往時をリアルタイムで生きてきた人々にとって、どんな受け止めになるかについての配慮のなさ、無神経さに対して、想像力が欠如しすぎではなかったのかと言いたいのである。

富士フィルムの入江さんは、何度も繰り返していたのだが、、、

フィルムシミュレーションはフィルムの模倣ではありません。

パーソナルに一人一人の見たとおり思ったとおりをかなえるサポートをいたします。

このことをいま一度周知できるメーカーであってほしいのだ。

もし、なにも知らない世代が、楽しく仕事した結果を披露したにすぎないことであるならば、こういうことはこれからも起きそうですね。ということには、メーカーの古くからの支援者ならば気づいてきちんと指摘したいなと思いました。

202204240935に記録完了。



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