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牙を向けられても、笑顔と優しさで返したい

復讐したい
なんて考えたことがある人はどれくらい多いのでしょう?

私は、そのひとりでした。

強烈な悲しみを胸に受け、自分の人生が変わるほどに長期間に渡って苦しみ、そして、その気持ちを晴らそうと思いついたのが、復讐

復讐というのは、仕返しのこと。
嫌なことをされて、それをそっくりそのまま返す。
それが復讐。



復讐をしたいという想い
年齢と共にその気持ちは薄れ、完全に消滅しました
復讐という考えに嫌悪を抱くほどに。

よく考えれば、痛みを知った者が、誰かを傷つけるなんて、とても悲しいことだと思うんです。

復讐は、心の傷を持つ人をきっと増やします。
傷つけ合うことを肯定することになりうるんです。

Aに虐められた。Aにいじめ返す。
ときには、腹いせに、無関係のBに。
BからCへ、CからDへ…

傷つけ合いは、当事者間だけでなく、他人を巻き込み、世界中で連鎖します。



そして、私の考えた選択は、許容です。
傷つけ合いの連鎖は私で終わらせたいんです。

悲しむ人や、苦しむ人、争いがない世界を望むひとりとして、私にできることはそれだと思いました。


更には、たとえ、
「牙を向けられても、笑顔と優しさで返したい」
こんなふうに思うんです。

悔しい思いをするかもしれない。
それでも、正しいと思うことをし続ければ、きっと数週間後、数年後、数十年後、、人生を振り返ったときに素晴らしかったと誇れる気がします。
たとえ、どんなに些細なことであっても。

傷つけ合いが連鎖するように、
優しさも、必ず連鎖していくでしょう。


何かされても、黙ってるなんて…
そんなのは、無力な人、負け犬だとも言われます。

それでも、他所は他所、自分は自分。
ですから復讐を、今からしようとする人に対して自分の考えを押し付ける気はさらさらありません。


なぜって、私はこの世から傷つけ合いの連鎖が無くなることを祈っていますが、傷つけ合いが連鎖するなんていう考察は間違っているかもしれないのですから。

さらに、私は世界中の人が幸せならどれほど良いかと願っています。
傷つけられた人が相手を傷つけることで、傷つく人が倍になるというのが私の考察ですが、

復讐で真の幸せを得られると思っているところに、赤の他人である私が介入する余地はないと思いました。

それに対して、私は少なからず自分の無力さをひしひしと感じていますが…。
多くの考えを認める、いえ、それが当たり前というか、あくまで完全にこれは自分の考えだと割り切る気持ちです。

若しくは、例え親友みんなにこの考えを否定されても、私はきっと今の考えを変える気もありません。

自分の正しいと思うことをする
これが、私のひとつのモットーなのです。

復讐をすべきでないという手段については、自分の中だけで実行しようと思っていますが、その目的は他人にも共有したいと思っています。


I pray someday we may yet Live to live and let live

"Someday" from 'Hunchback of Notre Dame'

ノートルダムの鐘というミュージカルをご存知でしょうか?
私は劇中歌のsomedayという曲の歌詞が大好きです。

引用した歌詞では、認め許し合うことを言っています。

そんな世界が
いつか(someday)、いつか(one day)

訪れることを月に祈り、
(wish upon the moon)

私の正しいと思う方法で、
牙を向けられても、笑顔と優しさで返す
そんな強さを持ちたいなと思います。



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