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短編小説#7 さよなら、いなり寿司 後編

「――それでね、いつか二人でいなり寿司のお店を開業しようね。それにはまずは節約だね。家賃の安いアパートに二人で住もう。そこでコツコツお金を貯めながら真田君との子供を授かって、いつか一軒家で家族みんなで幸せに暮らしたいね。あ、子供はね女の子と男の子が欲しいの――」

 彼女の妄想話は右耳から左耳へと通り過ぎていく。勝手に決められて語られる未来に気持ち悪さを覚えることすら、今の僕には余裕がなかった。

 太ももが痛みを通り越して麻痺してきている。もう痛いのは嫌だ。早くこの場から解放されたい。僕の脳内はそれだけを告げていた。何でもいいから早く五個目を作り終えよう。

「――とりあえず、高校を卒業するまでは青春を楽しもうね」
「青春……」

 青春に二文字から先輩が残した『青春朝露の如し』という言葉を思い出した。笑えてくる。僕の短くてはかない青春は最悪なものとなった。そういえば、僕が後輩に向けて言葉を残すなら何がいいんだろうって考えていたっけ。『青春地獄の如し』だろうか。せっかくの後輩が怯えてしまいそうな造語だ。

「ははっ……なんだよそれっ」
「どうしたの真田君、泣いてるの? 悲しいことでもあった?」

 悲しいさ。僕の青春の舞台幕が閉じてしまったのだから。早く五個目のいなり寿司を作りに行こう。もう終わらせよう。

「油あげ子さん、五個目を作るからどいて」
「あはぁっ真田君っ、手を貸してあげるから早く作ろう!」

 馬乗りになっていた彼女が僕の身体から離れた――そのときだった。科学室の灰色の天井に刻まれた文字、その存在を僕は初めて認知した。

『青春は君の行動で変わる。負けるなよ後輩よ』

 彫刻刀できざまれた文字。きれいとは言えない字体。あの顔も知らない美術部の先輩が残したもうひとつのメッセージだ。

「天井をみてどうしたの……あぁこんなところにも文字が刻まれてたんだね。まったく迷惑な先輩もいたものだね」
「青春は君の行動で変わる、か」
「ん、何か言った?」

 痛みですべてを諦めてしまうところだった。まだ僕の舞台幕は閉じ切ってないじゃないか。

「まだ僕の青春は終わってない!」

 僕の火事場の馬鹿力が発揮した。勢いよく身体を起こし彼女を突き飛ばした。

 両足の激痛を気合で我慢して、「僕は科学室にいる!」、そう叫びながらドアのほうへ足を引きずりながら歩いていく。

「あはっ、活きが良いな真田君。逃がさないよっ」

 油あげ子がナイフを片手に追いかけてくる。

 僕は近くにあった備品や雑巾を投げながら阻止するが、所詮は数秒程度の足止めにしかならない。すぐさま追いつかれて腕を掴まれてしまった。

「往生際が悪いなぁ。足だけじゃなくて腕も使えないほうがいいかな。最後は酢飯をつめるだけだし、少しサポートすれば問題ないか」、そう言って彼女はナイフの先端を僕に向けた。でも僕は諦めなかった。

「痛いっ! 真田君、おとなしくして」

 僕は力いっぱい彼女を叩き続けた。ナイフが腕を掠めようが痛みを耐えながら必死に抵抗する。

「えええい、動くなぁっぁぁぁぁ」
「ああがぁ……」

 ナイフが右手に突き刺さる。さらに左手は油あげ子が踏み潰す。万事休すだった。もはや僕に抵抗する力は残されていない。
 
 けれど僕は希望を捨てていない。僕は信じていた。青春で得た友人を。

「ぎゃあっ!?」

 まるで車に轢かれたかのように油あげ子が科学室の中心まで吹っ飛んでいった。机や床に背中を打ちつけ、声も出せないくらい苦しそうにしている。そして絶体絶命だった僕を助けてくれたのは友人の笹部だった。

「ボロボロなのによく電話に応えてくれたな。もう大丈夫だ、安心しろ」
「ナイスタイミング。待ってたよ笹部」

 天井に刻まれた文字を見つけた瞬間、ポケットにあるスマホのバイブが作動したのを感じた。きっと笹部からの着信だと信じて、僕は油あげ子から逃げながら科学室にいることを伝えたのだ。

 あのタイミングで着信が無かったら僕はすべてを諦めていただろう。

「笹部が電話してくるときはいつも緊急のときだもんな」
「まあな。でもまさかこんなことになっていたとは。実はお前が拉致されたってある人物が教えてくれてな」
「ある人物?」

 笹部の隣から女子生徒が顔を出す。彼女はすぐさまハンカチを取りだして僕の止血を始めた。見知らぬ女子生徒は「死なないでよ。負けないで頑張ってさなちゃん」、涙ぐんでいる彼女の声は震えていた。きれいな黒髪の女子生徒。そんな彼女からお菓子のような甘い匂いがした。

「君は一体……」
「彼女の名前は黒糖子さんだよ。黒糖を専門に扱うお店を営んでいる。彼女は同じ学年でA組なんだ」
「とうこ……さなちゃん……あ、もしかして君は」

 僕のことを『さなちゃん』と呼んでいた女の子を僕は知っていた。いや思い出したと言ったほうが正しいだろう。

「わたしはさなちゃんと同じ幼稚園に通っていたんだよ。よく一緒に遊んでたんだけど覚えてるかな。そしてあそこにいるあげ子ちゃんも同じ幼稚園だったんだ」

 その一言で僕はすべてを思い出した。幼いころにずっと遊んでいた女の子は油あげ子じゃない。黒糖子だ。やはり記憶に残っていた『とうこ』の名前は合っていた。

「さなちゃんは油揚げの食べ過ぎで緊急搬送されて、手術は成功したけど一部記憶が混乱していたの。だからわたしのこともあげ子さんのことも忘れていたんだよ。あの子は昔から狂っていた。さなちゃんの事が好きすぎて愛情表現が過激だったの。わたしも彼女に嫉妬されて……」

 黒糖子さんは表情が暗くなっていく。きっと嫌な目に遭わされたのだろう。それを察したのか笹部が話題を切り替える。

「さて思い出話はその辺にして、油あげ子は俺が拘束するから黒さんは先生に」
「その前に、やらなくちゃならないことがあるの」

 黒糖子さんは覚悟を決めた顔で、痛みに悶える油あげ子に近づく。笹部も護衛としてついて行こうとしたが、黒さんは微笑みながら首を横に振る。

「またぁ、またわたしの邪魔をするのか、黒糖子っ! いっつもいっっつもお前が邪魔をしてきて、そのせいで真田君はわたしのモノにならなかったんだぁ!」
「さなちゃんは誰のものなんかじゃない。ここで終わりにしようあげ子さん。あなたの儀式はわたしが終わらせる」
「……儀式を終わらせる?」

 机のうえのコンロで油揚げが煮込まれている鍋を開ける黒糖子さん。彼女は制服のポケットから黒糖を取り出した。その動作に油あげ子は動揺する。

「まさか儀式のことを」
「あなたの一家に代々伝わる儀式について調べたよ。愛する人が酢飯を詰めたいなり寿司を五つ食べれば儀式が成功、契りが成立する。その契りは強力で、どんなに相手が拒否して逃げようとも運命レベルで引き合ってしまう。そんな儀式を止める方法はただひとつ、味を変化させたいなり寿司をさなちゃんが食べる」
「まさか……まさかまさかまさか、黒糖子っお前、黒糖いなり寿司を作るつもりか!?」

 油あげ子は必死な表情で止めようと立ち上がるも僕の血で転んでしまう。床に背中を強打。あの痛がりようは背骨でも折れているのだろう。

「ぁ…ぐ……やめて、やめてよぉ」

 黒糖子さんは慣れた手つきで黒糖いなり寿司を完成させた。そして最後に、やめてくださいと懇願する油揚げ子を悲しそうに見つめた。

「もっと別の形で出会っていたら、わたしたちは最高のパートナーだったかもしれないね」

 僕は黒糖子さんの作った黒糖いなり寿司を一口で食べた。いなり寿司なんて大嫌いになりそうだったのに、甘くて優しくて愛のある黒糖いなり寿司のおかげで『嫌い』程度に落ちついた。

「さようなら、油あげ子さん」

 科学室での出来事は学校内では収まらずマスコミや警察沙汰となった。僕は救急車で運ばれて全治一か月と診断されたが命には別状はない。リハビリすればすぐに歩けるようになるそうだ。油あげ子さんはというと魂が抜けた抜け殻みたいに生気を失っていた。自業自得だ。

「それにしても生きてて良かったなぁ真田」

 病室にお見舞いに来たのは笹部と黒さん。お見舞いのお花と黒糖菓子を持ってきてくれた。

「そういえば黒さんは真田と幼馴染なんだろ。仲良かったならどうして真田に話し掛けなかったの?」
「それはその……恥ずかしかった……ので。ほら、お互いあの頃からだいぶ成長もしたし」
「たしかに立派に育ってるもんな」

 笹部の目線が黒さんの豊満な胸に注がれたので、僕は「こらっ」と頭を叩いた。

「でも嬉しかった。さなちゃんがわたしのことを思い出してくれて」
「ずっと一緒に遊んでいたからね。懐かしいなぁ」
「そういえばね幼稚園の先生がね――」

 思い出話に花を咲かせていると、笹部が「いいなぁ」とふてくされていた。

「羨ましいなぁ幼馴染って。もしかして結婚の約束とかしてたんじゃないのか?」
「あー結婚の約束とかした覚えがあるなぁ」
「真田の場合は油あげ子さんと約束でもしたんだろう。油揚げの結婚指輪を作ってさ」
「あはは、あったあった。リングを指にはめて無理やり夫婦ごっことかさせられた覚えがあるもん」

 冗談を言って笹部と笑いあっていると、黒さんが俯いて身体を震えさせていた。過去に油あげ子さんに嫌な目に遭わされたのだ、彼女の話題はNGだったか。

「ごめんね黒さん。この話はここで終わろうか笹部。そういえば黒糖のお菓子持ってきてくれたんだよね。お腹すいちゃったから食べようかな」

 僕は袋に入った黒糖のお菓子を取り出した。黒糖のおせんべいに、黒糖の……。

「これ知ってる、というか覚えてる。黒糖のクッキー」
「あ、待ってさなちゃん、それはっ!」

 その黒糖のクッキーは食べやすいようにリングの形をしていた。まさにいま話題に出たような、結婚指輪のような形をしたリングだ。それを見てさっきの話が勘違いであることに気がついた。

「……そうだ、幼いころに結婚の約束したのって黒さんだった。この黒糖クッキーを指にはめて、無理やり夫婦ごっこをさせられたのも……」
「あああああやめてやめて……もぅやめてぇー」

 顔を紅潮させる黒さん。恥ずかしい表情を見られないように両手で隠しながら病室を出ていってしまった。黒さんの可愛い一面を見れて、僕と笹部は顔を合わせて笑いあった。

「ねえ笹部、退院したらさどこか遊びに行かない? 黒さんも誘ってさ」
「全然いいけどさ、真田がどこか遊びに行きたいなんて珍しいな。頭でも打ったか?」

 なんて失礼極まりない野郎だ。でもきっとこの事件が無かったら僕はこんなことを言うことはなかっただろう。そして青春はつまらなかったと大人になって嘆いていたかもしれない。短い青春を無駄に過ごしていたかもしれない。

 噛みしめよう。

 この短い青春を。

 刺激を与えてくれた油あげ子さんには油揚げ一つ分の感謝しようかな。

「だってほら『青春朝露の如し』っていうじゃん」

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