見出し画像

俄(にわか)サポーターと思っていたのはいつまでだったろう。

(本記事は北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2022に参加しています)

これまでコンサドーレアドベントカレンダーを見る側で楽しんでたのですが、
物書くリハビリを兼ねて、今年は書き手側で参加させて頂きます!
自身の誕生日のワクが空いてたので、記念を兼ねて乗っかっただけとも)
この機会に自分のサポーター歴を振り返る内容の単なる自分語りなので、駄文をご容赦頂きお付き合いいただければ。

にわか(俄)とは?

タイトルを書いてから気づいたのだけれども、
にわかと俄では意味が違うことに気づいたけど後の祭り、、、
俄だと

で、
にわかだと、

こんな感じ。
元々は後者で書くつもりでしたが、
まぁ良かろうもん。

にわかサポーター発生期。

自分がコンサドーレ札幌を応援し出したのは2005年。
1996年、地元にJチームができたものの、
最初のチーム運営・経営とか見ていて、
あまり応援する気にはなれずにいたが、
2004年の方針の転換(じゃがほっけとか5段階計画)の報道を見て、
『試合に見に行ってみようかなぁ』くらいの関心を持ち始めたところで、
知人が関東の試合に行くのに誘われて、
横国に観戦に行ったのが、コンサドーレの試合の初観戦。
この最初の観戦で勝利を見たことが、すべての始まりだった。
その年は関東近郊の試合や帰省した際に『ロスタイム3分あれば(略』を見たことも今となっては懐かしい思い出。

にわかサポーター自称期(関東前半)。

翌2006年だったか、、、
コンサドーレ札幌関東後援会が発足して、
全国各地のアウェイ戦を観に行くきっかけになったり、
新宿ゴールデン街のバロンドールでアウェイ観戦会企画したり、、、
何よりサポ繋がりの友人が多くできた時期だったり。

にわかサポーター大旗を振る期(関東後半)。

関東後援会のサポ仲間と親交が深まって、
試合を観に全国各地にアウェイ観戦に行くうちに、
大旗を預かってアウェイで振る機会が何度かあって、
そのうちに自分で大旗を持って応援したいという思いが強くなってきて、
実際に自分の旗を作ったのが、2009年。

ワシ大旗

アウェイ旗として、デビューして、最初は不慣れで関係各所迷惑かけつつも、
全国津々浦々、この旗と共にあちらこちらのスタジアムに遠征をしたもんで。

にわかサポーター移住(Uターン)する期。

2011〜2012年の昇降格の辺りから
そこそこな頻度でホームの試合にも遠征(帰省)するようになって、
その頃の諸々な変化からUターン移住をしたい考えはじめる事に。
ホームの試合に来る頻度も高くなったことから
毎年シーチケを購入するようにって3年ほど後には、Uターン移住を実現させた。
(まぁ実際は色々あったもののなんとか実現でしたが、、、)
ホームの試合で大旗を振って応援して、
襷やら弾幕たたみのお手伝いし終わったら、
サポ仲間と祝勝会やらチクショー会やらほぼ毎回飲みに行くようになった。

旗を振り
サッポロクラシックで乾杯し
鴨鍋を喰らう

そんなこんなの現在。

札幌にUターン移住して既に6年経って毎年ホームゲームはほぼ皆勤で参戦しつつ、
その間に三回目の昇格も経験して、年一、二試合の遠征にいっていたが、
この数年のコロナ禍で色々な変化(大旗なし、声出しなし、宴会もあまりできない)を実感している。

フラッグベアラーもやってみた

この先も。

これからも自分自身もコンサドーレを取り巻く環境も色々と変化はあるだろうし、
それでもコンサドーレの試合は続くだろうし、
それを観に行く自分自身のライフスタイルは変わらないだろう。

客観的にはそこそこ息の長いサポーターの部類(老外か?)になっているのかもしれない。
しかしながらサポーターとしてのゴールが(すぐに)あるわけでもないので、
このまま”にわかサポーター”を自称して、応援し続けるのも良いかと思ったりしていたり。

またまた出てきた“にわかサポーター”論について。

日本代表のカタールW杯が終わって、
巷に増殖していた“にわかサポーター”の方々が
ご自身が住む街、生まれ育った街をホームタウンとするJリークのチームを応援する機会もあるのかもしれないし、
今回のこの話はひとつも参考にはならないだろうけど、
きっかけは様々あるだろうとも思うので、
北海道コンサドーレ札幌の“にわかサポーター”が増えていくと良いなぁと思いつつ。