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マイルール 感謝のサイクル作り

今までのわたし

「感謝の気持ちはなるべくすぐ相手に届ける」
よく聞く言葉だが長年私には心底ピンときたことがなかった。

今忙しいから。きっと相手もわかってくれてるから。時間ができたら。
そんなことをつぶやきながら、気にしながらもつぶやいたことすらいつの間にか忘れ去ってしまう。文字通り心を失っていく日々。まさに忙しない生活だった。

子供の頃のわたし

幼い頃から祖母に繰り返し言われたのは「お礼の電話はすぐかける」だった。

しかし、口下手な私にとって、普段ろくに話したこともない相手と表情もわからないまま言葉を紡がなければならない状況は本当に嫌だった。親戚のおばさんのことは嫌いじゃない。送ってくれた果物は美味しい。好きだ。わざわざ送ってくれたことへの感謝はしている。
しかし、祖母や母に、ハイ!と耳元に押し付けられた受話器の感触は冷たく無機質で、途端にどうしていいかわからなくなった。相手が私から感謝の言葉を待つ沈黙の時間は、心臓が爆発しそうなくらい気まずかった。私のそんなパニックは相手にも伝わっているだろうなという自覚はあった。
しかし当時(ちがうの、、、!贈り物は嬉しかったの、、、!!)と心の中で叫ぶもう1人の私の声は、自分の中だけで反響するばかりで言葉になって発せられることはなかった。どうやって表現したらよいのかわからず、途方に暮れた。
口籠もってばかりの子供からの、しかも祖母や母に隣で急かされながらのしどろもどろなお礼の言葉が、相手にどう届いていたのかはわからない。
当時の私は自己嫌悪と絶望的な気持ちでいっぱいだった。
祖母や母は必ず溜息をつき、私を詰った。なぜこんな簡単なお礼がちゃんと言えないのか。感謝の気持ちがないのかと。恩知らずで礼儀知らずな振る舞いだと。

でも、正直私が1番知りたかった。なぜ言えないんだろう。私は嫌な子なんだ。子供らしく無邪気にお礼が言えない、可愛くない子供。相手の、家族の期待に応えられない、感謝すらできない自分。今思えば感謝できないのではなく、表現ができないが正確なところだが。そう思い込んでいった。感謝という言葉もどんどん嫌いになった。強制されてしかたなくするもの、という印象がわたしの中で強く残っていった。

今のわたしがようやく掴んだもの

今思えば、『しなければならない』という家風?が合わなかったんだと、感じる。
祖母と母の伝え方がわたしには合ってはいなかった。
「貴方が嬉しかったかどうか、相手はわからなくて知りたいと思っているわ」
「貴方を喜ばせたいと願って相手は時間を使って行動してくれたのよ。貴方が嬉しかったと相手に伝えることで相手は喜び、お互いが幸せなエネルギーでもっと気持ちよく過ごせるのよ」
「幸せをもらったら、感謝を伝えることで相手も幸せになり、幸せは2倍に増えるのよ」
「今度は貴方が相手を幸せにする番ね♡」
こんな言葉だったらどうだろう。

私は私自身のために生きている。
でも1人で頑張っても幸せにはなるのは難しい。
無理ではないのかもしれないが、自分以外の何かのためになる経験は、なかなかに心地よいものだ。そのものが生まれてきた意味となり、価値となる。幸福のもとのひとつになっていくだろう。


『感謝のサイクルによって人は孤独や不幸とは無縁になれる。それは当たり前に存在するものではない。簡単な行動から生まれるものだが、安易に手に入るものではなく、自身がゼロから作り上げて初めて築かれる幸せの繋がり。わたしと周りの人生を幸せにする大事なエネルギー源になりうるもの。苦難が訪れても一丸となり、乗り越える強さすら手に入る可能性をもつ。わたし自身ばかりか相手の人生をも救うエネルギーとなるだろう』

だから
私流の感謝のサイクルの作り方

①メッセージですぐ感謝のメールを贈る
②具体的に相手のどの行動がどう嬉しかったかを伝える
→お互いの幸せポイントとアンテナをさらに共化、強化できてしまう!
③形式や礼儀は自信がなくても、自分なりの100%の感謝の気持ちが出せていれば良しとする
→うまく伝えるスキルは経験値でアップしていくから気にしない!
④次回相手に会うときは、以前の感謝メールのやり取りを読み返し、そのときの会話からスタートする
→会うのが楽しみになるし、感謝のサイクルからの幸せリスタートが可能に!

こんな感じ。
やっとここまで、なんとか掴みました笑

もっといいアイデアやサイクルをご存じの方はぜひ教えてください!笑
大募集!

それでは 素敵なサイクルを♡


☆ここまでの内容に
どこかすっきりしないもやもやに気づかれた貴方へ


以前のわたしなら、
世界中の人々すべてを感謝のサイクルで繋ぐことを考えたでしょう。
例えば、元上司や同僚、ウマが合わないと感じる知り合い等。。です。
でも、それって、わたしの祖母や母の『しなければならない』と同じ感覚になります。わたしはイヤです。
合いません。
『したければ、すればいい。そうしたい人だけが』
今のわたしはこう思っています。

繋がることは、エネルギー源にもなるけれど、ゼロから作り上げるものだから、もとになるエネルギーは絶対に必要なんだとわたしは感じます。この3ヶ月の休養と自身の変化の姿で強く感じるようになりました。
だから、感謝のサイクルは自分にとって心地よい身近なところからでいいんだと気がつきました。
私の人生に『しなければならない』のパニックはもう要りません。
何の生産性もない。他人軸の世界に合わせようとしてもがき苦しむ時間の余裕?なんてわたしにはもうありません。
したいこと、繋がりたい人、会いたい人、目指したいもの。。。
わたしの考えてきた世の中、世間、世界はあまりにも偏り、狭かった。
現在のわたしは、未来のわたしを解き放ちたい。まだまだわたしの知らない本物の世界。きっと今想像しているよりももっともっと広いのだろう。

ちっぽけなわたしは、わたしにエネルギーをくれる存在たちに感謝するだけで手一杯笑

まだ見ぬ誰かや、エネルギーの共鳴や増幅の可能性を感じない存在に心を失っている場合ではないのです、きっと。

縁があれば、感謝のサイクルが豊かかつエネルギーに満ち溢れた生活のその先に、今はそっとしておきたい存在とも繋がるあるいは繋がっている道が、ふと見えてくるのかもしれないと思う今日この頃なのです。

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