等身大の自分[克服記録12]

医者だけに頼っていても埒が明かないので、自分でも色々やってみようと思っている。

こちらの記事を再読しつつ、等身大の自分について真剣に考えてみた。

僕は「ダメな自分」を赦せない。それが引き金となって自己否定が止まらない。
過去ノート療法やゲシュタルト療法などで探っていった結果、母から条件付きの愛しか貰えず「完璧」を求められた事が根源だと解った。
しかし、なぜだか自己否定(過去の黒歴史のフラッシュバック)が止まらない。

↑のブログの記事にこんな事が書いてあった。
〝等身大の自分は、弱々しい、内気、とか自分が過去認めたくなかった自分です。それを愛し始めるには新しい価値観が必要です。
自己愛性パーソナリティ障害の人の多くは、勝つ事、強い事、(例:学歴、資産、地位、等)に極端に評価を置きます。人間の価値とはそれだけではない事に心から気づかないと等身大の自分は愛せません。弱々しいのいいじゃん。内気最高!なんて思えるといいでしょう。また、自己愛性パーソナリティ障害でも人が周りにいてくれる理由を考えるのもいいと思います。恐らくそれは、自己愛な自分に現れた等身大の自分が持つ美徳かもしれません。〟

「過去認めたくなかった自分」という言葉を見た時ふと思った。
自分はありのままの自分を認められていないのだ、だから自己否定が止まらないのだ。
何故なのか?原因は母との関係だと理解して精算したはずなのに。

認めたくない自分とは何か?
面白くない
出しゃばり
痛い奴
何もとりえがない

こんな自分を認められないのだ。しかしよくよく考えれば、こんな自分こそ「ありのままの自分」の筈だ。コイツを別にいいじゃんって認めてあげなきゃいけない。

なぜこんなにも認められない、赦せないのか?

そうだ!
小学生から今まで、何度も色んな人たちに虐められたり、笑われたりし続けたからだ!

だから「こんな自分」はダメなんだ、と刷り込まれていたのだ。

そして僕はアダルトチルドレンの「ピエロ」から「ヒーロー」へと変身したんだ。

要約すると、まず母との関係で「ピエロ」になった。
友人などに「ピエロの僕」を馬鹿にされたり、虐められたりして、「ヒーロー」になったのだ。

これまでは「母との関係」に固執し過ぎていた。
友人達に虐められたり馬鹿にされた自分を癒しきれてなかったんだ。
どこかで「いや、でもあれは俺が悪かったしな」とか思ってしまっていた。
違う、そんな自分すらも認めてあげなくちゃダメだったんだ!

早速ノート療法で、小学生〜現在までで傷付いた事を癒やしてあげた。認めて、赦してあげた。
「君は悪くない」「虐めた奴らが間違ってる」「面白くなくたっていい、もっと良いところたくさんあるじゃないか」と。

で、数日が経過した。
大分自己否定が弱まった気がする。
まだ油断すると自己否定しちゃうし、「等身大の自分」はないままな気がする。
思考の癖、認知を書き換えないとならないのだとおもう。

そのためには新しい、正しい「価値観」が必要だと思う。それが何かはまだ分からない。

なんだかまとまりのない文章になったが、一歩前進した気がするので記録しておく。

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