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変わり者

『変わり者』

とりとめのない記事を書いて、
毎週SNSに投稿するという習慣を続け、
かれこれ10年近くになります。

大反響を呼ぶという事はありませんが、
それなりに読んで下さる方がいらっしゃり、
感想を頂けることに、励まされています。

何週間か前の記事で、私が自分自身を、
「変わり者」だと表現している事について、
私を良く知っている何人かの人が、
ご意見をくださりました。

私について、決して変わり者じゃないよ、
とおっしゃるのです。

私が変わり者かどうか、という事よりも、
私が自分自身を低く見積もるのを、
やめて欲しかったのだろうと思います。

もっと自分を大切にして欲しいと、
私のことを思ってくださり、
ただただ感謝するばかりです。

また、この事を通して、
変わり者、という言葉の印象は、
否定的に取られやすいのだ、
という事を知り、驚きました。

私はあまり、変わり者という、
他人に対する評価を、
悪いものだと思っていなかったのです。

変わり者であると、
普通の人の感覚や、常識的な振る舞いが、
分からなくなるのかもしれません。

しかし、変わり者だからこそ、
気がつく事もありますし、
変わり者特有の視点があるから、
創り出せる物というのもあるのです。

クリスチャンの間で、
賜物という言葉が良く使われますが、
主に、何か特別に優れた能力、
という意味で理解されがちです。

しかし、賜物とは、
神様から与えられたもの、という意味です。

環境や人間関係も、賜物ですし、
社会の中で不利に働くと思える、
自分自身の資質や特性も、賜物です。

賜物は、神様から与えられたものですから、
神様に喜びを与えるものとして、
充分利用できるものなのです。

変わり者が変わり者なりに、
一見無価値と見える事をしていたとしても、
それは、神様から与えられた賜物を用いて、
神様を喜ばせることをしているのだと、
理解することもできます。

なので、自分を変わり者だと思うなら、
神様の栄光を現すのに十分な存在として、
誇りを持って、変わり者でありたいです。

いつも読んで下さり、
ありがとうございます。

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