にゃん太

聖書的「人生の土台」を作り出すヒント、というテーマで、定期的に綴っている文章を発信して…

にゃん太

聖書的「人生の土台」を作り出すヒント、というテーマで、定期的に綴っている文章を発信していきたいと思っています。2024年から新しい気持ちで、noteにも書き始めようと思っています。 プロテスタントの信仰を持つクリスチャンです。

マガジン

  • 聖書的「人生の土台」のつくり方

    幸せとは一体何でしょうか。 辛いことや悲しいことが少なく、毎日を平穏に過ごすことができれば、それは幸せなことかもしれません。 しかし、生きている中には誰にでも、辛い事や悲しみ、試練や苦難を通る時があります。 そんな時に、自分が自分でなくなるような揺さぶりを体験しますが、どんな揺さぶり遭ったとしても、耐え忍べるためのしっかりした「土台」があると安心だと思うのです。 聖書は私たちの生きる土台となる「信仰」について、そしてその信仰を確かなものしてくださる「神様」について、伝えています。 私自身が日常の中で、神様との関係を通してどのように揺るがない「土台」を体験しているのか、という事をこの場で週毎に綴っていきます。

最近の記事

気を遣わせることについて

『気を遣わせることについて』 人前に出ることに気後れを感じさせる、 ひとつの原因として、 気を遣われたくない、という事が、 あるのだと思います。 気を遣うとは、その場にいる全ての人が、 不自由を感じたりしないために、 あれこれ配慮する、という事です。 初めて参加する場で緊張している人に、 一声かけて気持ちを和ませられるとか、 誰かの不用意な発言に素早く気がついて、 気の利いた冗談を言って、 不快感を中和させられたのなら、それは、 気遣いができたと言えるのかもしれません。

    • 敵意帰属バイアス

      『敵意帰属バイアス』 敵意帰属バイアス、という言葉を、 最近覚えました。 関わる相手が自分に敵意を持っていると、 勝手に思い込んでしまうという、 誰もが陥りがちな認知の歪みのことを、 そう呼ぶのだそうです。 自分が敵意を向けられているという、 勝手な思い込みが極端になると、 自分から関係を断ち切ることや、 誰かに怒りを向けることもあります。 何気ない話をしているだけなのに、 否定されたと感じる、とか、 質問しているだけなのに、 詰問されたと感じる、という事が、 物事の

      • クッキーを作って思ったこと

        『クッキーを作って思ったこと』 先日、クッキーを焼いてみました。 材料を混ぜて生地を作り、 生地を型で抜いたものを並べて、 オーブンで焼けば、クッキーができます。 せっかく作ったクッキーなので、 売り物のようにきれいにあしらおうと、 お菓子を入れることのできる透明な袋を、 100円ショップで購入して、使いました。 また、家庭用のプリンターで、 袋に封をするためのシールを作り、 贈答品らしい見栄えとなりました。 そして、思いつく何か所かに、 クッキーを配りました。

        • まっすぐでないもの

          『まっすぐでないもの』 日常の中に、きれいな直線を見る機会は、 たくさんあります。 当たり前のことのようで、 実はそれほど当たり前ではないようです。 自然の中には、直線は珍しいのです。 空に向かって伸びている木の幹も、 まっすぐのようで、 いくらかは傾きがあるのです。 枝は概ね真っすぐではありませんし、 地中に張る根も、曲線を描いて伸びます。 川の流れも、決して直線にはならず、 蛇行しながら海へ向けて流れています。 日常の中で見る直線は、 概ね人工的なものです。

        気を遣わせることについて

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        • 聖書的「人生の土台」のつくり方
          17本

        記事

          自然農法の考え方

          『自然農法の考え方』 自然農法についての話を聞く機会が、 先日与えられました。 肥料や農薬を使わず、 極力自然のありのままに近い環境で、 作物を育てる、という事を、 実践している方がいらっしゃり、 その方が学んできたことを聞く、 という内容の講演会でした。 講演されていた方には、 何人かの教えを頂いた方がいらっしゃり、 その、師匠とか教師と呼べる人達から、 教えられた内容が紹介されていました。 その話を聞いていて、 私が特に印象的だと思ったのは、 農業の主役は自分自身

          自然農法の考え方

          計画が頓挫した時の対処法

          『計画が頓挫した時の対処法』 何か意思決定をするという時、 必ず何らかの目的があります。 朝目が覚めたら、 一日活動するという目的が発生し、 その目的を達成するために、 起き上がり、着替えて、身支度をします。 人の一生はそんな目的と達成の連続で、 目的がしっかり達成していれば、 安心や幸福感が得られます。 そして、目的は時々大きなものとなり、 叶えたい夢や、将来への備えという、 長期的なものとしても発生し、それは、 目標という言葉で言い換えられます。 しかし、目標に

          計画が頓挫した時の対処法

          霊的な戦いというゲーム

          『霊的な戦いというゲーム』 人間は基本的に、 勝ち負けを伴うゲームが好きです。 勝って嬉しいとか、負けて悔しいとか、 そんな感情の揺れを体験するのが楽しくて、 私達はゲームにはまり込みます。 次のステージが早く見たくて、 手強いラストボスに何度も挑むのです。 そんな、ゲームの世界は、 決して現実と乖離しているものではなく、 私達のリアルな生活の中にも、 同じような要素が含まれています。 例えば、自分の対人恐怖症と向き合う、 という時に、そこにゲーム的な要素を、 意識

          霊的な戦いというゲーム

          悔しい気持ちへの対処法

          『悔しい気持ちへの対処法』 苦しみに会った時には、 それをこの上ない喜びと思いなさいと、 聖書の中で、書かれている箇所があります。 そんなことできるものか、 という事を、普通に思わされます。 しかし、苦しみをどう捉えるかによって、 苦しみに意味付けができるのだろうし、 苦しみに良い意味付けができれば、 苦しみは喜びとなるのだと思います。 例えば、悔しい気持ちを感じる、 というのは、一種の苦しみです。 試合や賭け事に負けて悔しい、 というくらいなら、 一晩経てば忘れる

          悔しい気持ちへの対処法

          場違い神経症

          『場違い神経症』 場違い神経症、という病名を、 自分自身の症状につけていました。 自分がその場に「いてもいい」と思えない、 という心情になってしまう事が、 生きている中で、しばしばありました。 どんな人間集団の中にいても、 自分は受け入れられず、 自分にとっては敷居の高すぎる、 場違いな場所だと思ってしまうのです。 おそらく子供の頃に、学校に馴染めず、 うまく友達関係を作れなかった、 という事が、由来なのだと思います。 自分の置かれている場所や人間関係が、 場違いだ

          場違い神経症

          髭剃り

          『髭剃り』 私は手動式の剃刀で、 泡をつけて毎朝髭剃りをします。 この作業が時々うまく行かないことがあり、 顔に傷をつけて、 出血してしまう事が時々ありました。 髭を完璧に剃り落としたいと思って、 剃刀を強く当ててしまい、 皮膚に傷を負わせてしまうのです。 無精髭を生やしていると、 だらしないという印象を与えてしまう、 という観念があって、 顔に生えている髭は、 一本残らず落としたいと思ってしまいます。 しかし、髭を残したくないがために、 下手な剃り方をして、 顔に

          愛することと関係のないこと

          『愛することと関係のないこと』 人前に出ることに、とても、 気後れしてしまうという時があります。 その場にいる人が、もしかしたら、 私について悪く思っているとか、 あるいは、軽く扱われているかもしれない、 という事を感じると、 もうそこには居たくなくなるのです。 実際には、それは私の勝手な思い込みで、 非難も軽蔑も誰も向けていない、 という事が分かっていても、 自分の思い込みを払拭できないでいる、 という事もあります。 他人が自分についてどう感じようが、 それはその人

          愛することと関係のないこと

          車が冬道でスリップしました

          『車が冬道でスリップしました』 北海道の冬はとにかく雪との戦いです。 大雪が降れば、除雪をしなければならず、 多くの時間と労力がそのために払われます。 また、北海道は車への依存度が高く、 都心から少し離れたところへ行くには、 車がどうしても必需品となります。 冬の道路は、踏みつけられた雪が、 氷の板となり、滑りやすくなります。 車のタイヤは冬ごとに履き替えて、 いくらか滑りを緩和できますが、 冬道の運転の難しいところは、 路面が滑るという事に限らず、 吹雪に伴う視界

          車が冬道でスリップしました

          自分の思いと神様の計画

          『自分の思いと神様の計画』 何か目標を立てて行動する、という時には、 自分の意志を働かせる必要があります。 なりたい自分になろうとか、 実現させたいことのために行動しよう、 という時に、 自分で考え、計画を立て、材料を揃えて、 始めるべきことを始めます。 そして、何か事をなそうとする時、 自分の中に、達成したい願望があります。 より快適に生活したいとか、 不便さを解消したいという事を、 私たちは普通に求めます。 あるいは、社会の中で、 好かれたいとか、認められたいと

          自分の思いと神様の計画

          パンドラの箱

          『パンドラの箱』 触れてはいけない何かがあって、 それに触れると悪い結果が予想される、 という事を表現するために、 「パンドラの箱を開ける」という言い方を、 使用することができます。 パンドラとは、ギリシャ神話の中で、 神様が最初に作った女性です。 開けてはならないと言い聞かせられた箱を、 パンドラが好奇心の故に開けてしまい、 箱の中からあらゆる悪や災いが飛び出して、 世界には悪いもので支配され、 人間は苦しむようになった、という事が、 神話の一節として語られています。

          パンドラの箱

          後ろ暗さ

          『後ろ暗さ』 後ろ暗い、という言葉には、 人には大っぴらに言えない何かがあって、 良心が苛まれている、 という意味があります。 過去の出来事が尾を引いて、 周囲の評価や見られ方が気になり、 人前に出ることを躊躇するなら、 その時、心にあるものは、 何らかの「後ろ暗さ」であると言えます。 信頼している間柄との関わりの中でも、 何らかの後ろ暗さを感じていると、 その中にいることが辛くなり、 関わりをやめてしまう、という事も、 少なからず、あるのかもしれません。 そのように

          本線と伏線

          『本線と伏線』 日本人は平均して、 大体80歳くらいまで生きるようです。 この80年の過ごし方として、 標準的に考えられるのは、 最初の20年くらいは学校に行き、 なるべく若いうちに結婚し、子を持ち、 働いて、定年して、 老後は子供に介護してもらう、 というものかもしれません。 多様性ということが言われる昨今なので、 この人生の流れを標準と呼ぶのは、 時代錯誤と思われるかもしれません。 しかし、いろいろ意見はあるでしょうが、 人生の標準というものが仮にあるなら、 その