見出し画像

誰が作ったのか

『誰が作ったのか』

最近、コンビニや大手ファミレスの、
一押し商品を専門家に食べてもらい、
質の良し悪しを批評してもらう、
という内容のテレビ番組を良く見ます。

専門家が美味しいと言えば、
それは確かに美味しいのでしょうし、
実際に商品を購入する上での参考になる、
ということは言えると思います。

しかし、この手の番組が流行ることに、
微妙な不思議さを感じるのです。

コンビニのスイーツにしても、
ファミレスのメニューにしても、
作者の顔が良く見えないのです。

メニューを発案し、レシピを考えた人は、
確かに存在するのだと思います。

しかし、店主の顔がはっきりしていて、
店主のこだわりが反映されたラーメン、
というのとでは、意味合いが変わります。

作った人の顔が見えると見えないとで、
料理についての感じ方は違うのです。

コンビニの棚に陳列されたスイーツは、
当然美味しいのです。

しかし、大好きな誰かが作ったとなれば、
味や形が多少悪かったとしても、
コンビニスイーツより味わい深いのです。

何か作られたものに触れる時、
作った人の顔が見えると見えないとで、
受け取る側の感じ方は変わります。

そして、顔が見えるものに触れる時の方が、
感動できる要素を多く含んでいます。

なので、作った人の顔が良く分からない、
スーパーで売られているものについて、
その良し悪しを判定しようとすることが、
それ程興味深い事と私には思えないのです。

世の中には、
顔の見えないものが増えています。

顔の知っている人が作ったものや、
自分の手で作ったものは、
現代の生活様式の中では、少ないのです。

しかし、誰が作ったものなのか、
その人の顔が浮かぶと、愛着が湧きます。

この世界を創った方が存在して、
その方が誰なのかという事が、
はっきりしているかしていないかで、
世界の捉え方は大きく変わるのです。

創造主の顔が見えていると、
自分を取り巻く世界に対して、
丁寧に取り扱いたいという思いになります。

それは結果として、
自分を大切にすることだと思います。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?