にゃるらが読んで面白いと思った本15選 2023
↑前回。
2023年に読んで好きだった本を15冊選びました。
来月は、僕自身も小説を出します。よろしくね。
↑音楽。
↑物足りない方はこちらへ。
・ハンチバック
詳細な感想などは日記に書きましたので、そこで。
この本の商品ページに飛ぶ際、改めて紹介文を読んだら、やはり「圧倒的迫力&ユーモア」という書き方になっていて、率直に「障害者の当事者による露悪と健常者への嫌味」と公に書けない構造かつ、内容としても「そういうブラックなユーモアです!」と建前が成り立つように描写されているので、そこまで含めて入魂の一冊だと改めて。
本編でもSNSやなろうのランキング、しょうもないPV稼ぎ記事についてなど、インターネットらしさが散りばめられている要素も多く、そして前述した作品の世界観そのものと合わせて、極めて現代的だと感じます。
といっても、ここまで暗いネット観も20代後半以上からの見え方で、画像や動画文化が主となり始めている今の今だと、さらに世界は変わっていきそうでわくわくしますね。「露悪」や「冷笑」、そして厭世がはびこった時代の一冊として歴史に残る作品でしょう。
・闇の精神史
木澤さんの本はつねに刺激的だ。僕がバカなので、すっごいざっくりな理解になるのですが、よくまあ毎回毎回、海外の妙な文化・思想を拾ってまとめられるものだと感嘆の息が漏れる。
たとえば、いまSNSの運営をめぐってつねに話題の中心であるイーロン・マスクについても、本書ではもはやそんな小さなスケールの話は飛ばして、イーロンを「数十年後の人類を火星で暮らせるよう本気で取り組んでいる数少ない人物」として解説する。目から鱗。たしかに、その尺度で見たイーロンの壮大な思考に対して、凡人かつ庶民の僕らはなにも言うことはない。数十年内に起こりうる地球の危機への対策を練ろうなんて考えたこともないのだ。本書はそういった話が無限に出てくる。この本、というより木澤さんの本すべてがそう。
どこを引用しても面白いですが、たとえば僕が思わず保存したページならこう。こんな文章が現代で読めるのだ。現代では希少な正しいサブカルアングラを、それも海外の掲示板やSNSを駆使して拾い上げて意訳することができる、なんとも意義のある作家だと思っている。「集合的弥勒菩薩」、カッコ良すぎる。こんな文字列がぽんぽん現れるだけでも僕は気持ちがいい。木澤さんとは個人的な付き合いもありますが、それ以上に作家として尊敬と感謝の念が尽きない。
・映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~
この本、とても興味深かったです。
なぜ若者たちは早送りで映像作品を観ることに耐えきれるのか。そんな作り手側の意図を無視する鑑賞に意味があるのか。それに対しての若者たちの主張が並べられており、さらには実際のところ40代以上もわりと早送りで視聴することも調査されている。
みんな、「タイパ」を気にしているそうなんですね。タイムパフォーマンス。よくわからない作品で無駄に可処分時間を消費するより、とにかく面白くて感動する作品だけを鑑賞して、その話で他人と盛り上がりたいのだ。まず「他人の話に乗りたい」が前提であるため、ネトフリの流行りの作品を「楽しむ」ことは二の次。「あのアニメ・ドラマ観たよ~」と言えることが条件なのです。そんな現代の事実を受けてネトフリ自体が倍速視聴を導入した。時代はどんどん加速する。
そんな若者たちにオタクたちは怒る。「製作者の意図が~」がどうのこうの。もちろん、その気持は自分もわかります。「間」まで合わせて作品ですから。この本によると、登場人物が喋っていないシーンは飛ばしていいものと認識しているらしい。北野武や押井守の作品はガンガン飛ぶな。押井守作品にいたっては政治やサブカル語りまで早送りされたらもはやどこを観るのかわからないな。『花束みたいな恋をした』で、サブカルカップルたちが押井守を知っているのに作品の話をまったくしなかったのはそういうことかもしれません。
が、若者たちにも言い分がある。まず、現代はコンテンツの供給が多すぎる。漫画もアニメも映画もYouTubeもテレビも無限に「面白いもの」を生産し続けるので、それに追いつくには等速では耐えきれない。学業や仕事まであるのに。けれどネットの話題には乗りたい。
しかも、実はこの小うるさい「オタク」にも問題がある。みんな気軽に深夜アニメやスマホゲームを楽しむ時代になり、だれもがうっすらオタクになった時代で、オールドなオタクたちは「○○を知らないやつはオタクじゃない!」と説教してくる。自分たちはただ「このアニメ面白いな~!!!」とわいわいしているところに、「元ネタも知らずにおまえら若者は~……」とおっさんが乱入してくるのである。なのでみんな恐縮する。
それでもおっさんに話を合わせようと倍速視聴したりする子もいる。みんな「何者かになりたい」時代ですから、たくさんの作品への知識があることも大衆とはちがった「何者か」なのです。
そういった複数の理由が絡み合って倍速視聴というスタイルが発生した。これは若者がコンテンツ過多な現代に適合するための生存戦略なのだ。
昔、僕らがおっさんに「最新技術に甘えるな!」と叱られてムカついていたように、今の若者がおっさんに「倍速視聴なんてするな!」と叱られてムカついている。この溝は深い。
けど、やっぱり倍速視聴して欲しくないよな~……って内容であり、この答えのでない問題をめぐる調査が面白い一冊でした。
・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版]
あの庵野秀明が編集した逆シャアに関する伝説の同人誌が復刻。そうそうたるメンバーが名を連ねる、80年代後半~90年代前半のアニメ文化を語るに欠かせない本でありながら、同人誌であったため現代では値段が高騰。どんどん伝説上の一冊となっていきました。
僕が復刻前に中野ブロードウェイで見かけた時の値段は16万! そんなプレミア同人誌が満を持して再び流通したのです。買わない理由なぞ一つもない。まだエヴァンゲリオンが企画途中の「若いオタク青年」としての庵野秀明、セーラームーンを監督するセンスフルな青年としての幾原邦彦、うる星・劇パト以降に感性が爆発しすぎて干され気味だった押井守……そして宮崎駿にVガンダム製作途中でうつ病最盛期の富野由悠季。時代がすべて詰まっている。アニメ文化にすべてを捧げた、熱いアニメオタクたちの物語。
あの名監督たちが、互いに互いの作品を忖度なしで愚痴っている様子が面白いですね。特にみんな宮崎駿の欲望が詰め込まれているのに関わらず照れ隠しで主人公を自己投影のおじさんでなくユーモラスな豚にした『紅の豚』はダサいと認識しているらしい。庵野秀明監督曰く「パンツを下ろしきっていない」。ついでに不調気味の押井守への文句もちらほらあるが、押井監督はこの少しあとに『攻殻機動隊』で世界中から再び評価される。そして、パンツを下ろした庵野秀明は『エヴァンゲリオン』に臨む。彼らがつねに磨き続けた美意識の片鱗がこれでもかと凝縮されている。本当に、本当に今後何十年も保存して後世に伝えていくべき一冊です。
・小銭を数える
不健康な暮らしを続けたため、昨年心肺停止で亡くなった芥川賞作家・西村賢太先生による短編小説。
西村賢太については、エッセイというか、もはや日記をまとめた本『一私小説書きの日乗』しか読んでこなかったため、ちゃんと小説も読んでいこうと気になっていたこちらを手に取った次第です。
↑の本もまた独特。一切カッコつける様子がなく、本当に日常がそのまま描写されていまして、なのでドラマティックな展開も少なく、淡々と仕事や打ち合わせ、その後にアルコールや炭水化物に溺れる日々が書かれていく。が、その文体がとても綺麗で読み進めていくたび、文字の中へ溺れる感覚がたまらない。結果、不健康が極まり50代で亡くなってしまったのですが。他人の人生に口出しするつもりもないので、芥川賞作家の日常が読める事実へ感謝するのみ。
さて、本題である『小銭を数える』。こちらは、ほとんど前情報無しに読んだため、非常に戸惑った。どこからが事実で、どこからが創作なのか判断がつかない。登場人物は二人。同棲している男女で、男の方は作家。女性の方はちょっと我儘な等身大の女性で、呼ばれるときはつねに「女」。金欠と暴力的な衝動に悩む底辺作家と、そんな男についてきた変な女が紡ぐ狭いアパートでの日々は、いや~な現実感に包まれている。
喧嘩の理由や言い争いの様子も、まったくカップルらしいリアリティがない。妊娠がどう、前の男がどう、子犬を飼いたいことでの口論、それに伴う嫌がらせのような軋轢。なにより過去に女性を殴ってしまったことがある主人公の忍耐、理性を保つ必死さが恐ろしい。この光景は、今日もどこかのアパートで必ずある。結婚したくて、妊娠したくて必死な女と、現実的にも責任感の面からも不安が募って身動きできない男。すれ違いが続くうえに、女が「ぬいぐるみ」を家族のように扱いだし、その様子が積もりに積もって「怒り」に変換されるリアリティ。
それが、どこまで本人の体験なのか明言されない。私小説として、何割かはもう実際のできごとそのものなのだろう。その境界線の見えなさが怖いし、逆に言えばそのスリリングな体験がぞわっと心震わせる。
現実での男と女の争いにきっかけや結論が発生している方が稀で、本来はドラマにならない小さな小さな掛け違いの連続なのでしょう。そこへ、主人公……そして西村賢太自身の暴力による前科がエッセンスとなり、他とない読み応えになっている。
・逆張りの研究
今月読んだ本の中で一番読み応えがありましたね。SNSと、特にTwitter(どうでもいいことだが、もうTwitterではない)と密接な内容ですので。
上の記事でもすでに感想を書きましたが、逆張り……ひいては昨今どんどん話題になってきた「冷笑」の話がてんこ盛り。冷めた目線ですべての話題やコンテンツに言及することで、自身のアカウントの承認欲求や数字を一時的に伸ばす。が、そんなことに意味があるのかという話が丁寧に解説される。そうやって冷笑……斜に構えてすべてを馬鹿にしたり疑ったりしているうちはダメージを受けないが、代わりに成長の機会を失うという話は、正しくその通りで切れ味のある結論です。
けれども、現実でもネットでも、オタクにはどうしてもそのような時期がある。流行に対して「あんなの大したことなよ」と語ってしまう「若さ」が。はしかのようなもので、これは大なり小なり通るものに思える。僕だってそうだった。その作品に「ない」ものを列挙して揚げ足をとるのは簡単だ。「書いてない」ことを列挙して叩くことで、あたかもそれっぽい批判をしているように見える。けれども、「ある」ものを書くことは難しい。真っ当に作品を読み取られねばならないから。人気の作品は確実に、指示を集めるなにかが「ある」わけで、その話まで踏み込めないのであれば批評ではない。「逆張り」だ。
……なんて、耳が痛いような話が、著者の実体験も含めててんこ盛り。記事でも書きましたが、そういったSNSのバカバカしさに嫌気が差した著者が、実際にTwitterを辞めている事実が最もかっこよく、そしてくだらない「逆張りゲーム」への最適解だなと、そこに痺れてしまう。
・オランダのモダン・デザイン: リートフェルト/ブルーナ/ADO
先月の記事にも書いた通り、どんどんデ・ステイル……モンドリアンが切り拓いたシンプルなデザインの美学への興味が止まらない。その意志を継いだリートフェルトの家具や建築にも。
そして、それらはオランダのデザイン文化へ色濃く影響したことがわかってきました。なのでオランダ生まれのミッフィーは、とてもシンプルに纏まったデザインなのですね。なるほど、こうして少しずつ段階を踏んでいくと、いろんなことがわかってきて楽しい。
最近、モンドリアンの絵がずっと上下逆に飾られていたことが発覚した。その際、野次馬が「上下逆でもわからないくらい美術館の人たちの目って適当なんだな」と煽っており、それは自分にとってすごく不快であった。
当然、彼らはただのネットの野次馬で、美術の権威を上から目線で叩けるチャンスに群がったに過ぎないけれど。
その点、上のうさこちゃんはきちんと理解している。「この絵はいい絵だ。けれど、どこから見ていいかわらかない」。逆に言えば、そもそも構造が美しいので、どの視点で見たって「良い」だろうなと思っているわけです。
これも僕の想像でしかないが、モンドリアンの絵はタイトル通り「構造」を描いているわけで、それさえ理解しているのであれば、上下逆だったとして魅力を感じたならそれでいいのではないか。なんなら、上下左右、あらゆる方向から見ても味があるからこその、「composition」。それこそ美術館の人ですら判断できないくらい、モンドリアンが完璧なだけで。
そもそも上下逆の根拠も、モンドリアンの部屋では、上下逆だった写真が見つかったことだけ。モンドリアンがその時は、上下逆に置いていただけの可能性もあるし、あとから上下逆のほうがいいかもと感じた可能性がある。
なら、「上下の方向も数十年わからなかった美術館の人たち」を責めることなんて誰ができようか。
という、ちょっとした愚痴でした。何はともあれ、この絵は「良い」よね。
・死の講義――死んだらどうなるか、自分で決めなさい
死について考えることが妙に増えたので、ちゃんとした研究者の本を参考してみることにしました。
死後の世界、気になりすぎるぜ……。
死後の世界が気になるというより、正しくは「死後の世界」が無いと認識する人間はなにを基準に生きるのか、逆に敬虔な宗教家たちは死後の世界とどう向き合っているのか。そういった疑問に対して一気に解決してくれる本。もちろん、答えなんてないわけで、各宗教による「死」についての見解が並べられているから、その中でなにを信じる・信じないかは読者次第だよってことになりますが。
日本人のほとんどは、敢えて言うなら仏教系無宗派になるのでしょうか。なんとなくの仏教思想がある程度で、それはそれで無神論者には適した形なのかも。そういったことも書いてある。
さて、みなさんの考えは1~6のどれだ!? だいたいの死後の認識は大きく分けるとこの6つのどれかになるらしい。たしかにそうだね。
それもあなたの死生観なので正解はない。こんなこと考えてね-よって考えもアリでしょう。わからないものは考えないって割り切るのも賢いですしね。でも、暇だとこういうことがずっと気になってしまうんだ。
これが仏教の宗派ごとに詳しく見てみるとこうなる。
まあ順番に読んでいかないとわけわからないでしょう。詳しくは実際に本書を手にとってもらいたい。しかも仏教は派生がたくさんあるので答えはない。これも仏教の一部の話だし。仏教の場合は、概ね輪廻があるよって感じです。これが一神教だとぜんぜん違うけれども。
前述した通り、これは各宗教の考え方であって、答えではない。けれども、少なくとも熱心な信者は自身の死をこのように受け止めていることがわかるのは興味深いですよね。死は誰も体験できない、平等かつ残酷なイベントですから。できるかぎり「死」なんて忘れて生きていけたら幸せなのかもしれないし、死について考えていくほど暇がある方が幸せと呼べるのかも。
・バッタを倒しにアフリカへ
大量のバッタに囲まれて襲われるのが子供の頃からの夢という異常な男が、日本で若者が細々と虫の研究をしているだけでは暮らしていけない……と一念発起し、ついに大好きなバッタで研究成果を出すため蝗害の本場、アフリカへ。
蝗害……何億匹のバッタが同時に移動し、通り過ぎた先にはバッタの死骸しか残らない、まるで神が人類に与えた裁きのような災害。『ハイパーインフレーション』でも大災害の一つとして扱われていましたね。
そんな蝗害へ敢えて立ち向かう、奇妙な男が一人……。「好きなことで生きていく」とは言うものの、「バッタに襲われるのが好き」という場合、こうしてアフリカで現地民と手を取り合い、直接バッタへ立ち向かわねばならない。もちろん、蝗害とはほぼ無縁の日本において、わざわざそんな挑戦をする人間なんてめったに居ない。
当初は遊び半分できたと現地民から訝しげに思われていた筆者も、そのバッタへの本気度がどんどん認められていき、ついには彼らから「ウルド」という敬意あるミドル・ネームを与えられるまでとなり、著者名にもばっちり入っている。すごい。間違いなく、日本におけるバッタ専門家として五指に入る人間でしょう。こんな人間がいざアフリカへ行くまでは食うに困っている(成果が認められるまで現地でも困難へ襲われ続けるのですが)ことが、また現実の残酷さと合わさってドラマチック。
ときおり挿入される小話も興味深い。
向こうでは「太っている女性」のほうが豊かで魅力的とされているため、子供が吐き出して泣きわめくほど食事を押し付ける文化があり、そのせいで教育方針による夫婦の対立に巻き込まれたりもする。日本では、シュッとしたスタイルの女性の方が一般的に好まれるが、向こうでは「貧乏そうでありえない」印象になるのだ。それでも抱えきれないほど大きすぎるとダメらしく、ビスケット・オリバとマリアのような関係の尊さを連想する。
それはそれとして、とにかく、このように行動に芯がありすぎてなかなか日本では認められなかった人間による決断が数年かけた行動に示され、こうしてベストセラーとして多くの人間に愛され、報われる様子は気持ちが良い。
剽軽な内容や表紙からは想像つかない、「バッタへの異常な執着」のみで生きてきた男のたしかな生き様の話なのだ!
ホントにいい本ですよ。
・ものがわかるということ
以前からのんびり追っていた養老さん関連の書籍が、ついにほぼ最新まで追いついた。ある程度の抜けはあるものの、少なくとも『バカの壁』シリーズを6冊全て読み、その集大成とも言える本書を手に取った時は、もはや本を読んでいるというより『養老孟司』そのものを識っていく感覚になる。人間一人の半生と思考の変遷を追っているのだ。
半生を読んできたので、実はこの本で記されている考えは、僕にとっては2周目である。「これ『◯◯の壁』で書いていた話だ!」となるものの、もし本書から入る方には初見であるわけだから問題はありません。今までの養老さん書籍において特に伝えたい内容を令和の文体でアップデートされている。養老初心者にとっては美味しいことしかない。今まで追ってきたファンは文章の微妙な差異で喜ぶ。
ここまで来ると養老さんの説教パターンもわかってきて、むしろそれを楽しみに読んでいるまである。僕らは強い老人によるありがたい説教が大好きなのだ! 養老さんのコンボルートの例を紹介しよう。
『世界に一つだけの花』というアイドルソングが流行った→ナンバーワンでなくオンリーワンでならないと歌っている。それは正しい→オンリーワンがどれだけ難しいことかわかっているのか、個性とは、自立とはなにか。むしろナンバーワンよりも複雑である残酷さを噛み締めるべきだ→そんな当たり前のことをアイドルが歌うまで、この国の若者は気づかないのか!
これ僕が好きな養老さんの説教コンボだ。まさか『世界に一つだけの花』のから、説教ゲージを溜めて「今の若者は大丈夫か!」と超必殺技に繋げられる老人もそうそういない。この他にも「都市化したことで日本は終わっていく!」ルートもある。いろんな始動技から展開されていくので、まさかこの話題から若者への批判に繋げられるのか! と無知な若い読者として感動するのみ。
そのうえで、もう80を越えた養老さんが、どんどん「死への準備」を始めていく様子もわかって寂しくなる。「死」を受け入れ始めた老人の思想と生活をここまで読んでいく体験がないので緊張している。
そんな養老さんが「人間関係の悩みは死ぬまで尽きなかった」と言い切ったことは勇気づけられました。僕らは、きっと死ぬ直前までしょうもないことで悩んでいく。何故かその事実があまりに腑に落ちて強く脳に刻まれた。養老さんほどの人が人間関係で悩み続けるのだから、僕らが延々と人間関係に苛まれるのもさもありなん。
実は、そんな養老さんと宮崎駿が対談している本がある。
まだ読んではいませんが、こんな老人と老人が会話したらどうなってしまうんだ。いったいどれだけ僕らは説教を喰らっていくのか!? ゴジラのVSシリーズ並のわくわくバトルが繰り広げられるはずだ。
いったいどれだけ面倒くさいことが書いてあるんだ!?
気合を入れて読み始める体勢が築ける日まで、楽しみにとってある。
・検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
また独特な視点から書かれるナチスについての本。あまりに「悪」として叩かれすぎると逆張りで生まれる「この人は良いこともした」論を検証するという、これまた面白い着眼点の一冊。元はSNSでの議論だったそうですが、ネット上で議論しても無意味であるので、こうして本の形になった。先月紹介した『「逆張り」の研究』に近い流れですね。
流行っているモノは絶対に誰かに叩かれ、逆に攻撃されているものはだんだんと誰かが逆張りのために持ち上げ始める。本書でも冒頭で書かれておりますが、人間が人間であるかぎり、誰も冷静に、客観的に歴史を語ることはできない。
例えば、ヒトラーの功績として紹介されやすい、ドイツ全土を走る高速道路『アウトバーン』の存在。どこまでも真っ直ぐに広がる道路のカッコよさはたしかに憧れる。僕はクラフトワークのファンなので、曲としてもアウトバーンは好きですし、何よりクラフトワークもその高速道路が一本、自国の土地にビシッと敷かれているカッコよさに惹かれたのでしょう。無機質でどこまでも巨大な存在、テクノだぜ。
が、本書ではヒトラーが造っていた時代のアウトバーンはだいぶおざなりであることを指摘し、アウトバーンのおかげで生まれた10万人の雇用に対しても、その問題点が並べられている。決して手放しで褒められたものではない。
けれども、見方によってはそれでもヒトラーがとっかかりを作らなければ、アウトバーンは生まれなかった。ここで各々の主観によって感覚が変わっていく。もちろん、僕だってアウトバーンの建設への取り組みがあったからといって、それを「良いこと」だと主張するつもりもありません。
本書でも、このように「良いこと」とされる例について、その実態を詳細に書いていきますが、その全てが「悪」であるとは断言していない。本ではあまり書かれていませんが、ヒトラーが軍服やマークのデザイン、統一感に拘ったことで、いまでも悪の組織の代名詞のように描かれるある種のカッコよさを演出したことは、善悪を抜きにすれば評価されることもできるでしょう。特撮なんてナチスモチーフ出しまくりだし。
なんにせよ、こういった「事実」が書かれる本の存在自体は面白いですよね。感情を中心に口論が発生するSNS上ではなかなかできないことですから。こうして書き手側の主張が一箇所にまとまっており、いちいち途中で誰かが揚げ足取りをしないだけでも、現代において「書籍」の価値はある。
・世界でいちばん透きとおった物語
この電子書籍全盛期へ颯爽と登場した、「紙の本」ならではの仕掛けが凝られたミステリー。
作者はライトノベル作家の杉井光。『神様のメモ帳』は直撃世代で、数少ない僕が全巻読んだラノベですので、恐山さん・常春さんの謎解き大好き組に勧められて再び名前を目にした運命に緊張……。
あまりにギミックありきすぎて、なにを書いてもネタバレになるため(髪ならではの仕掛けがあること自体は帯で明記されている)これ以上は黙っておきますが、このタイトルと表紙からは想像できない参考文献でちょっと笑ってしまう。
勘が良いミステリ・ホラーファンなら、やたらと京極夏彦が参考文献で引用されている時点でヒントになりそうですね。夏彦はすごいよ、やっぱり……。
・作画マニアが語るアニメ作画史 2000〜2019
この本、タイトルに補足があった方がいいんじゃないか!? この書名だと「アニメオタクによる同人誌」っぽく見えないか? まあ、こういったニッチな話は同人誌の方が愛と情熱があって読み応えあったりするのですが。
こちらの両名は当然「アニメオタク」の範疇ではない。そもそも、主に作画を語る「作画マニア」役は、自身もアニメーターと演出家として活動してきた沓名健一氏。WEB系アニメーターの始祖とも言われている。聞き手の小黒氏はアニメスタイルの編集長であり、アニメ関連の書籍やアニメ製作自体に深く関わってきた人物だ。そんな経歴を書かずに敢えて「作画マニアが語る」としているのは男らしい。どのみち、こんなジャンルの本に興味がある人間ならそれくらい知っているという読みだろうか。まあ、あんまりアニメに興味のない人が間違っても手に取ったりしない装丁だろうしいいか。
沓名氏の直近の大きな仕事と言えば、『魔法少女マジカルデストロイヤーズ』のOPでしょうか。内容はいささか自分のオタク観と合わず、海外向けであって自分の感性とは違いましたが、OP映像はとても格好いい。
僕の個人的に選ぶ沓名氏の真骨頂は『ぶらどらぶ』OP。
これはマジでいいぜ。僕が押井守に対して強い思い入れがあることを差し引いても美しい映像だと自信を持ってオススメできる。本人自体が多大な演出センスを持ちながら、いやだからこそ自身も「作画マニア」なのだ。
ちなみに、最近『妄想代理人』のオールナイト上映を観に行った際、スタッフトークで小黒氏の語りを聴いた。長くアニメに関わってきたモノの視点から語られる今敏の見方や裏話が面白く、本書の信頼感にも繋がって良い偶然でした。ちなみに本の中でも妄想代理人や今敏の話は何度も出てくる。当然、作画マニアが今敏を避けて語るわけがないからだ。
内容については濃すぎてこれくらいにしましょうか。というか、詳しく書くと単純に「僕が好きな作画」の話で終わってしまう! 僕が「作画的な意味」で特に好きなシスプリRepureにもちょっと触れられていて嬉しい。
ここ20年のアニメの大きな見どころはたいてい網羅されており、逆に言えばこの本から気になったタイトルを遡っていくだけで、いわゆる「アニメオタク」好みのアニメの多くを辿れる。そういった意味で「歴史を知る」ように紐解いていくのもいいかもしれません。
そして、押井守氏と仕事をしてきた沓名氏の口から語られる『イノセンス』の素晴らしさは、僕にとってたいへん心が救われるような心地よさがあった。
・一枚の絵から 海外編
というわけで、宮崎駿も憧れたパクさんの文化人的一面がよくわかりそうな本を読んでみました。ジブリが刊行している雑誌『熱風』にて連載されていた、高畑勲が毎回一枚の絵を解説してくれるコーナーのまとめ本ですね。日本画編もありましたが、自分の好みで今回は海外編から読んでみました。
最新の版は、帯の推薦文が宮崎駿による追悼文となっており、この時点で込み上げてくるものがある。パクさんの圧倒的すぎる教養に、誰より隣で影響され、嫉妬し、認め続けてきた作家のシンプルなメッセージ。
このように、一枚絵にまつわる所感が綴られており、あの宮さんも認める教養の圧に殴られ続けるのが非常に気持ちいい。途中、自分がたまたま倉敷によった際に美術館で惹かれた『受胎告知』について、パクさんもめちゃくちゃ褒めていたのが嬉しかった。へへっ……。
↑この時やね。大原美術館、オススメです。
こうしてパクさんの教養を知っていくと、それがどのように換骨奪胎されて彼の作品に活かされたか見えてきて面白い。まだ僕は、ジブリを半分程度しか観ていませんが(半年前くらいから友人の影響で観るようになった)、高畑勲の映像への拘りをはやくもっと観たいぜ。
・信仰
『コンビニ人間』の村田沙耶香さんによる、「信仰」をテーマにした短編小説集。すでに嫌な予感しか感じさせませんが、想像通り中身はドロドロじめっと「変な人間たち」のどうしようもなさの連続で構成されております。
あまりの「マニュアル人間」がすぎて、マニュアル的な仕事しか望まれていないコンビニでのパーツ扱いとの相性の良さを描いた傑作『コンビニ人間』……このあらすじから、コンビニアルバイト経験者(自分も……)含めてつらい気持ちになると思われますが、今回は「信仰」であるので、その対象がさらに尖っていく。短編集なので一つ一つはサクッと読め、SFチックな世界観の短編も多く、まるで一冊で『世にも奇妙な物語』の面白い回を一通り観終わったような読後感に。間違っても「きれいな物語を読んで気分爽快!」な心地ではない。
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