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2018.9.11 aikoとリズムと日本人

前髪を切られすぎた。つらい。

前髪を切られすぎた時にいつも口ずさんでしまうaikoの『シャッター』という歌に、「 切りすぎた前髪右手で押さえて少し背を向けた 嫌われたくないから うつむくあたしをからかったあなた 今はそれもあたしの夢の中だけ」という歌詞がある。私はこの歌詞を中学二年生の時にはじめて読んで衝撃を受けたことを今でも覚えている。というのも、『シャッター』は「別れた恋人への未練を抱く複雑な乙女心」を綴った歌なのだけど、ほんと「別れた元カレに未練があり私がわるいって分かってるけどあわよくば会いにゆきたい」という乙女心をこれ以上的確に表現した文章を私は寡聞にして知らない。いやまじで。だって別れた恋人の思い出として「前髪を切りすぎたときに恥ずかしがる私をからかうあなた」を出してくるってリアリティありすぎていっそ怖くないですか。凡人だったらデートで飲んだカフェラテとか一緒に見たイルミネーションとか挙げてしまう。しかしaikoは違う。からかったあなたなのだ。そこを思い出すという絶妙さ。そして歌詞のラストが「あなたとあたしの目の奥に生きる二人が 同じ笑顔でありますように…」で終わってるのとか怖すぎる。相変わらずaikoは凄まじい。

aikoの『彼女』というアルバムに収録されているのだけど、私のaiko歴はこのアルバムから始まってるのでやたら全曲歌える。


で、aikoじゃなくて読んだ本は『日本人とリズム感 「拍」をめぐる日本文化論』(樋口桂子、青土社)という本。

日本文化を論じた読み物としてなかなか面白くて、なんか話に使えそーな小ネタがいっぱいあった。こういう本こそ手元に置いておきたいのだけど図書館で借りてしまった。たとえば日本語の「気配」や「気分」(静的)をヨーロッパ語の「気分(たとえばStimmung)」(動的)で置き換えることはできないとか。シュタイガ―は「Stimmungはリズム」って言ってるらしい。へー。

日本人は「内側向き」にリズムを取るのだという。ひとつふたつって数えるときに指を内側に折ってくのだけど、あれは西欧では手を開くように指をたてる。のこぎりの切り方も違うらしい(日本人は自分に引きつける、欧米人は向こう側にむかう)。この差が鼓のような打楽器の構造や、バレエと能のような舞踊の差異にも現れ、日本人が裏拍が苦手な理由にもつながるんじゃないか、という話だった。だからじゃじゃじゃじゃーん、というベートーベンのあれは本来「ん・じゃじゃじゃじゃーん」なのに日本人が口ずさむ時だけ強拍始まりになるのだ、とか面白かった。リズム感が異なると、相槌の打ち方も変わるのだ。

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