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なぜ今、「母」との関係の本を書いたのか?

先月『娘が母を殺すには?』という本を刊行した。おかげさまで文芸批評という割とニッチなジャンルにもかかわらず、さまざまな場所で感想を見かけるようになり、とてもとても嬉しい。読んでくださった方、感想書いてくださった方、本当にありがとうございます!!!

谷川さんのnoteへのお返事、はこちらの6/29イベントにて!! 皆様ぜひ見てください来てください!!!


あとこちらの感想noteも本当に本当に嬉しかった。


さて、今回書きたいのは、この本を書いた経緯である。つまり「母娘」というテーマをなぜ選んだのか? という問いについて書いてみたい。



私は今月発売の群像で『「夫」になれない男たち』というタイトルの批評を寄せた。この批評は「2023年の小説映画アニメそれぞれのもっとも読まれた見られた作品は全て『シングルマザー』が重要な要素になっている」という指摘から始まる。

ようはどの作品も、父が不在、なのである。

ここから分かる通り、なんというか、現代のフィクションにおいて父という存在はなぜかやたら存在感を薄めがちになっている。というか存在感がなくてもあまり気にならないようになっている。ーーもちろん私はここから現実の男性がどうこうと言いたいわけではない。実際は男性の育児参加率はどう考えても上がっているし、周囲の父になった男性たちもしっかりと育児参加しているからである。

しかしだとすれば、これらの作品の「父不在」が表現するものとは何だろう?

簡単だ。母の存在感が強化されているのである。


最近読んだ、今月号の『現代思想』2024年6月号で面白い話があった。昨今の調査において、高校生の主な悩み事を相談する相手として「友達」が下落し、代わりに「母」の割合がどんどん上昇しているというのだ(「友人関係と共同的親密性 「友人関係は結婚を代替し得るか」という奇妙な問いをめぐって」久保田裕之)。2022年においては相談相手が「友達」43%、「母親」30%とかなり肉薄しているのだから驚く。ちなみに「父親」は2〜3%で推移したままだという。

ちなみにこの背景には友情が「リスク」と化している、要は友人関係は昨今極めて不安定なものとされることがある、と論じられる。つまり今の若者にとって、友人は、悩み事を安心して相談できるような相手ではなくなりつつあるのだ。それよりは繊細に気配りをして、楽しい空間だけを共有する相手となっている。

こうした友人関係のリスク化は、恋愛関係同様、資源の多寡に基づく友人関係の階層化と孤立を生むとされる。 その結果、親密な関係への期待は、相対的に制度的な共同性と結びつきを維持する家族関係、とりわけ母親との関係へと回帰することになる。

「友人関係と共同的親密性 「友人関係は結婚を代替し得るか」という奇妙な問いをめぐって」久保田裕之、『現代思想』2024年6月


たしかに『スキップとローファー』でもみつみちゃんが繊細な気遣いをするあまり、友人には特に相談事を開示しない場面があったなあ……あれは極めて現代的にリアルな友人関係描写だったのか……と私は思い出した。

が、問題は「母」の重点化である。


私が『娘が母を殺すには?』の刊行後、少し驚いたのは、「母との関係は、実は自分とっても大きなテーマで」と語る男性が、意外とたくさんいることだった。とくに自分より歳下の男性たちが、「母と息子は書かないんですか?」と言ってくれることがしばしばあり、「なるほど、母子関係はとくに自分より下の世代にとっては、息子たちにとってもアクチュアルな問題なのか」と少し驚いた。

しかしこれは考えてみれば、当然のことかもしれない。

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