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見えなくても耳がいいとは限らない

「目が見えないと耳がいいんでしょ」なんて言われる事がよくある。
補助機能と言うのだろうか、一部の機能が悪いと他の機能がそこを補助する。目が悪
いと他の感覚が視覚を補ってくれているんじゃないかと考える人が多いのは自然だろ


しかし多くの視覚障碍者は電車の中でイヤホンを使って音訳図書や音楽を聞いている
。会社では音声パソコンを使っているからイヤホンは耳に入れっぱなし。見えない分
、耳を過剰に酷使しているので、耳が悪い人が多い。

耳に負担がかからないように、ノイズキャンセリングや骨伝導のイヤホンを使ってい
る人もいるが、以前会社にいた同僚なんか、こちらまで音漏れするくらいのボリュー
ムで音声パソコンを使っていた。


私は大人になってから見えなくなったせいだろうか、事に耳の使い方が下手なようだ

ブラインドスキーもボクシングも音源を追えない。
映画やドラマ、お芝居を見ていても周囲の環境音で状況を察することができない。聞
こえなくて反応が遅れる事もしばしば。


しかしある日、母の車椅子を押していた時、音でエレベーターの位置が分かった。母
は見えているのにエレベーターの位置を見落としていて、音で反応していた私にびっ
くりしていた。ちなみに母は恒例だが、メモ耳もめちゃくちゃいいのだ。

近所に住んでいる全盲の後輩と歩いていた時、彼女が「もうすぐ曲がる所だね」と言
った。「なんでわかったの」って聞いたら、ファミマのドアの開閉音と自転車の音で
自分たちがどこにいるかがわかったとの事。
私だって聞こえないことはない。しかしいつも見えないなりに必死で周囲を見ながら
歩いていて、あまり音には注意していなかった。だからよく目的の場所を通り過ぎて
しまったり、曲がる所がわからなくなってしまったりしていた。

要するに聴覚がどうのと言うより、普通は目をこらして探すところ、見えない人は耳
に集中して環境認知をしているのである。

私が母の車椅子を押していた時も、同じように、ははが見落としていた情報を耳でキ
ャッチしていたにすぎない。


皮膚感覚も同様である。
建物の中で方向がわからなくなってしまったとき、出口を求めて冷たい風が感じられ
る方向に歩いて行った気がする。
見えていれば矢印の方向に従ったり、目でドアの位置を確認できるから、わざわざ空
気の流れる方向になんて意識を向けないだろう。

要するに、見えないと、他の感覚に意識を集中するので、あたかも耳や皮膚感覚が発
達したかのように感じられるだけなのである。


しかし一方、先天盲の人は脳の視覚を担う部分の使い道がないから、それが触覚や嗅
覚などに充てられるらしいという記事を読んだことがある。

トレーニングされたベテラン全盲の友人に、道を歩いていて、何で曲がる所を見つけ
られるのか聞いたところ、空気の感じがどうのとゴニョゴニョ言っていた。どんなエ
スパーなんだと突っ込みを入れたが、本人も経験的に体得した感覚だからあまりよく
説明できなかったようだ。
電柱とかにぶつかったら危ないからサングラスをかけたらと提案した時も、顔に当た
る風が変わってしまうから歩きづらくなると言っていた。
雪が降るとこの感覚がなくなってしまうらしく、雪が積もっている中会社に行ったら
、「会社のビルがなくなっていた」とも言っていた。普段なら感じられる圧迫感(?)
、存在感(?)が感じられなくなってしまい、いつも通いなれているはずの会社の建物
の位置がわからなくなってしまったそうだ。

いずれにしろ、このような皮膚感覚は昨日今日で体得できるものではなく、高いセン
スと訓練が必要そうだ。

だから彼らはあんなに早く指で点字を読んだり空気の流れや圧迫感で道を歩けるのか
!

中途失明の人にも勘がするどく、かなり上手に自力歩行をしている人もいるが、点字
を早く読める人には遭ったことがない。

やはり小さいころから見えない人には謎の感覚が備わっているのかもしれない。しか
し、先天網でも一人で何もできない人もいるので、この感覚はどうやら訓練しなけれ
ば育たないようだ。


ちなみに嗅覚もランドマークを探す重要な要素になっているが、花粉症がひどかった
時は、匂いも全然わからず、花屋もラーメン屋も通り過ぎていた(涙)


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