見出し画像

見えない人の個人差が半端ない件

「視覚障碍者は」とひとくくりに言われることがある。

障害だけではなく、「女は」とか「日本人は」とかいろいろなパターンで一元化され
る事はよくある。

私がヘルパーさんや関わりのある人たちに必ず言うのは、「視覚障碍者の個人差は健
常者の比ではない」という事である。

視覚障害は「ただ目が見えないだけ」と言う人もいるけど、「見えないだけ」は生活
の質をどん底まで落とす。

そこから這い上がるには、生活訓練と言うハンター試験のようなハードルがある。
そして、どの高さのハードルを越えられるかでその人の自立度が変わってくる。

障害が重ければ重いほど、ハードルは高くなり、越えられる人とそうでない人が出て
きて、それが大きな個人差につながる。


同じ全盲でもパソコンはキーボードの暗記の部分で挫折する人がいるかと思うと、一
方ではプログラマーや開発者になっている人もいる。

ブラインドサッカーで杖も持たずにピッチを走り回る人から、小さな段差も上り下り
できない人もいる。

定職をきれいに食べる人がたくさんいる反面、私は外食はハンバーガーかカレー、ラ
ーメンのような一つの器で済むものしか食べられないという人に会った事がある。

フォークやナイフが使えないから、招かれた結婚式で何も食べなかったという人もい
た。


もともとの能力が高い人、低い人、継続的な努力ができる人できない人、これは障害
の有無とは関係ない。

でも見えないと、ここの所で健常者とは比較にならないほどの大きな個人差が生じる
のである。


視覚障碍者への配慮については基本的な指標はあるけれど、とにかく個人差が半端な
いという事を理解していただけるとありがたいのです。

そして、もし視覚障碍者と接することがあったら、一人一人に話を聞きながら、必要
な助力をお願いできると嬉しいです。

同じ全盲だからと言って、「Aさんがこうだったから、Bさんも」という事はありませ
ん。


こう書いてくると、できない人がいけないような印象になってしまうけれど、私は一
概にそうは思っていない。

誰も好きで障碍者になったわけではない。
健常者の世界に迎合するために努力を強いられるのは不条理だと思っている。

努力は自分がやりたいと思った時にやればいいのである。
私がアニメや声優さんの情報が欲しかったから仕方なくパソコンを勉強したみたいに
(笑)

萌は力なり!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?