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見えなくても不幸じゃない?!

いよいよ目が見えなくなってきて点字を習うことになった。

日本点字図書館で中途障碍者向けの点字教室をやっているというのでそこに通うよう
になった。

点字を勉強することはもちろん、そこではこれ以上視力を落とさないためにはどうし
たらいいか、眼科の情報、健康食品ゃサプリや見えない人のためのお便利グッズの情
報などを皆でシェアした。

その後点字だけではなく日常動作訓練もできるというので失明者更生館(いまの生活
支援センター)を紹介された。

当時私はまだかなり見えていたので、主に点字を勉強していた。

そこに皆が集まってしゃべったりできるロビーが会ったのだが、とにかく皆「信号が
見えなくなった」だの「暗くなると何も見えない」など、そんな話ばかりしていた。

見えないつらさや不安は周囲に言ってもなかなか理解してもらえないし、聞いてもも
らえない。

こうして見えない者同士で痛み分けすることによって少しでも心が安らぐならそれは
それで有意義な事だと思うが、正直聞いていてあまり楽しいものではなかった。

以上の事すべて、「見えないことは不幸である」という前提の話である。

私も好きな漫画は読めないし、自力で行きたい所にも行かれないし、正直人生詰んだ
と思っていた。

その後按摩、鍼、灸の勉強をするために盲学校に行った。

そこで新婚の若い全盲の先生に会った。

彼は子供も欲しいと言っていたので、私はびっくりして「子供も視覚障害だったらど
うするんですか」と聞いた。

かれは見えなくても不幸じゃないからと笑って言っていた。

もうびっくりしたのなんのって、それこそ目からうろこでした!

見えないのは不便だけど、不幸じゃないという人がけっこういたりもするけど、不便
なのって不幸の地続きなんじゃないかって私は思うのです。


所で私は小さいころから弱視で高校の時は視力0.1と0.01でした。

そして、自分が弱視だという事を知らずに普通に晴眼者と同じ条件で大学受験をしま
した。

その事を盲学校の友人に話したら、「大変だったね」とねぎらってくれました。

確かに目がよければ辞書を引くスピードもテキストを読むスピードも速かっただろう
からもう少しレベルの高い大学に入れたのではないかと負け惜しんだりした事はあり
ました。

でもそこまで自分が他の人に比べてアドバンテージが低いとも思っていませんでした


障害が重ければ重いほど、不自由で大変だったりいやな思いもする事はあるだろうけ
れど、小さいころから障害がある人たちはそれも混みでうまく日常に溶け込んでいる
のではないか。

私も無意識にちょっと目が悪い生徒として晴眼者の中になんとなく溶け込んでいたの
だなと今は思います。

そこにはあまり幸せだとか不幸せだとかなかったような気がします。

ま、個人差あるからいろいろな人がいるとは思うけどね。


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