見えなくても働かざる者食うべからず2

そしていよいよ就職。

そのころから企業内マッサージ、いわゆるヘルスキーパーが女性の職場として徐々に
増えてきていた。

それでも当時はなかなか見つからず、治療院なども視野に入れようかと考えていたら
先輩でもある友人に激しく反対された。

前回にも書いたとおり、私は三療の適性が皆無なので、治療院ではやっていけるとは
思えないという事であった。

ましてや歩合制のある所に入ってしまった日には就職したはいいが、ほとんど収入が
見込めない。

そうこうしているうちにヘルスキーパーの就職が決まった。

マッサージはともかく、とにかくなるべく他の社員に迷惑が掛からないようにひたす
らじっとしていた。

当時が今と決定的に違っていたのはパソコンスキルが求められなかったことである。

マッサージ室にもパソコンはなく、カルテも拡大時や点字で書いていたが、それで特
に不自由はなかった。

健常者でも皆が皆付きたい仕事につけるわけではない。

適性のない仕事についている人もたくさんいるんだと思い、私もそれなりに働いては
いたが、いかんせん、2年目くらいに親指が曲がらなくなった。

ばね指というやつである。

これはさすがに適性以前の問題なのでヘルスキーパーは諦めて電話交換になった。

しかしせっかく取った三療の免許を溝に捨てるようなマネはしたくなかったので、自
分はどうやったら三療で生き残れるかを模索し、先輩などにも相談した。

そこでたどり着いたのが、当時はまだ珍しかったアロママッサージである。

多少下手でも、力がなくてもそれなりに気持ちがいいし、いい香りでリラックスでき
る。

これっきゃないじゃん!

私は電話交換をやる傍ら、アロマオイルの教室やマッサージすくーーるに行き、地元
の治療所や友達にアロママッサージを行った。

電話交換は給料も低く、それだからかわからないが人間関係もあまりよくなく、将来
の展望もなかったので、部署移動を命じられたタイミングでまたヘルスキーパーに再
就職した。

今度は以前と同じ轍は踏むまいととにかく親指を死守しつつアロマも導入してもらい
つつ、下手なりに続けられている。
                                  

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