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ICUC#021(篭って週間#015)2020.7.5【徒然なるままに篭りながら外に出る】

今週ものんびりと知的好奇心のアップデート【 ICUC 知的好奇心向上委員会】に参加したので、復習用の参加メモを作成しています。

今日の推薦図書
『「中の人」から「外の人へ 出世のススメ』角田陽一郎著(日本実業出版社刊)
『藝術経営のすヽめ- 強い会社を作る藝術の力』舩橋晴雄著(中央公論新社)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開。)
#015「出世のススメ、徒然なるままに篭りながら外に出ること」
昨年の夏に出した拙著『出世のススメ』、このコロナ禍でむしろ時代が重なってきたように感じました。 あらためて今のこの時代を生きるために、この本を書いた想いをお話しています。ゆるりとご覧ください。

収録直前にあったYouTubeLIVE
【自由大学ライブトーク】「TRANSITION」2020年7月4日
ゲスト:角田陽一郎氏(発展途上人学教授/バラエティプロデューサー/文化資源学研究者)×深井次郎(自由大学)

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容
・アイドリング
 夕ご飯の前に喋っちゃおう
・アーカイブされると変わる時間の概念
 収録物の先ほどっていつ?
・出世のススメを書いたきっかけ
 伊勢神宮での啓示と徒然草
・出世の元々の意味
 世に出る。世から出る。
・イラストについて
 井の中の蛙
・出世はトリプルミーニングになった
 出家と昇進と…
メモという名の私の感想

アイドリング

話すことを決めてないのに何で撮っているかというと、さっきまで自由大学学長の深井さんと、20時から一時間ほどYouTube LIVE。ということはパソコンがこの位置にあってこの角度になっていて、夜ご飯どうしようかと思ってたんだけど喋っちゃってから夜ご飯にした方がいいなと思って。
そんなことを言っておりますが、よろしくお願いします。

アーカイブされると変わる時間の概念

自由大学の発展途上人学、お陰様でいろんな方参加していただいてます。お金を貰わないと話せないことはお金はら払わないと聞けない訳で、そうするとお金払おうと思うかは聞かないと分からない訳で。そこで一回無料で発展途上人学って何?というのをお伝えした方がいいよねということになり、それで先ほどYouTube LIVEをやってたわけです。

先ほどというのも面白いですよね。これYouTubeですから「先ほど」なんて概念はないわけです。先ほどと言ってもこの動画の一個前の動画ということになると、それは僕の mireva channel だと松岡正剛先生の「ツッカム正剛」な訳で。だから時間の概念のようなものがアーカイブされると変わるというところがすごく面白い。

さてICUCで何を話すか。さっきの…さっきのという概念もおかしいけど、YouTube LIVEで「後ろに写っている本棚からお勧めの3冊を教えてください」という質問があり、思い付いたんだけど、本棚のどこにあるのかわからなくて。1つはスタジオジブリの鈴木敏夫さんの「仕事道楽」が良いという話をして。2、3冊目をどうしようかと思ったとき、終わりの時間だったし僕の本の「出世のススメ」を出した。そのとき、この本について紹介してないじゃん!と思ったので、そのことを今日話しても良いかなと、今思いました。

出世のススメを書いたきっかけ

とうことで「中の人から外の人へ 出世のススメ」について。
2019年9月20日発行、8月に49歳なって一発目の本。この本を編集Sさんと2年前から打ち合わせして、色んなことを書こうとしてた中で、noteやメルマガに書いたことを整理して本にした。この本の僕的な面白さ、着眼点は「出世という概念自体を変えよう」です。

毎年、三重県伊勢市で行われる全国高校生SBP交流フェアという商業・農業高校などでビジネス的なサークル活動をしている学生たちの甲子園のようなもので、僕は審査員をしています。いつも2泊3日して、東京に戻る朝に伊勢神宮にお参りに行くんですが、開催日がいつも8月16・17日、17・18日とかで、僕の誕生日が17日だから、結果的に誕生日を迎えて伊勢神宮にお参りに行けるという、すごい幸運です。

2018年、48歳になったとき。伊勢神宮の内宮の森を歩いていると、8月ですごい暑いのに、すごく気持ち良くて、森を歩いている瞬間に「ああ、この森をただ眺めていたい。」と思った。それがこの本を書くきっかけになった。
それまでは社会にコミット(番組を作り、視聴率を上げ、利益を上げ、人気者になる)しないといけない、社会に自分の能力をコミットして、あるいは出して、それが社会に作用するようなことをやってきたし、そうしなきゃいけないという強迫観念みたいなものもあったかも知れない。自分のレーゾンデートル、存在意義があり、社会にコミットしなきゃいけないという束縛みたいなものが。

TBSを辞めて2年目、自分に束縛みたいなものがなくなったまま、でもコミットするようなことをプロデューサーとして企画したりコンサルしてたわけです。そういう風にやりながら伊勢神宮の森を見たときに「ああ、いいや別に」って、ポジティブな意味で本当にそう思ってしまった。
僕がこの世界にいて、僕が触媒になる、作用になる、起点になることは、僕じゃなくてもいいや。僕がそこにある森を気持ちいいと感じること、つまりその作用が僕"に"コミットされることでいいんじゃないかと思った。

元々思っていた僕のレーゾンデートルは何だったのかと思ったとき、僕が森に出会って気持ちいいと思ったことは記述できると思った。記述というのは絵が描ける人は絵で、音楽ができる人は音楽で。
そこで僕が思ったことをあえて文章化すれば「ただ眺めてるだけでいいや」。それまでは眺められるものになりたいと思ってたんじゃないかな。

それでなるほどと思い、伊勢神宮を後にして東京に戻り、このスタジオに並ぶ本から、たまたま一冊取って読んでいたところ、それは芸術的なことが経営に役立つとサゼッションしている本(※推薦図書参照)だったんだけど、その中に兼好法師の「徒然草」のことが書いてあった。
兼好法師は何歳のとき徒然草を書いたのか調べてみると、一説によると48歳、つまり僕がただ眺めていたいと思っていたことは、兼好法師的に言えば「徒然なるままに日暮らし」。つまり自分が思ったことを徒然なるままに書きたいと兼好法師も思ったんじゃないかな。

僕は浪人時代に徒然草を読んでます。古文も試験に出るところだけ読んでも難しいし分からないから、苦手意識があるんだけど。以前にも話した世界の歴史を全部読んだら「俺、世界史わかるじゃん!」って思っちゃっただけで乗り切れた。昔から暗示をかけるみたいなものが僕の中にはあって、一冊読めちゃったら「俺、古文できるんじゃない?」みたいな思いがあったわけです。でも源氏物語は難しいと思ったときに、徒然草はひとつの章が短いし、読むと意外に分かるしということで、なぜか徒然草だけは面白い面白いと読破した記憶がある。

兼好法師は武士だったのかお寺の方だったのか色々説はあるけど、自分が隠居して庵に篭り、徒然なるままを書き連ねたものが徒然草。「あれ?僕が48歳の誕生日の翌日に伊勢神宮で思ったことと一緒じゃん!」と思ったときに、「ああ、だから40代後半に兼好法師は徒然草を書いたんだ」と。
僕がただ眺めてるだけでいいと思ったことと、すごくリンクした。

出世の元々の意味

その本に書いてあったのか、調べて出てきたことだったのか。兼好法師が法師になった、「出世した」と書いてあり、出世ってどういうこと?と調べてみた。
出世は現代だと組織の中で偉くなることだけど、元々は世に出ること、世界に出ること、自分の地位がある場所から別の世界に出る、仏門に入る、法師になることを出世と言った。それがなぜ偉くなるという意味になったかと言うと、俗世間での位が高いと、お寺に入ってもすぐ偉い立場になるから(笑) それを周囲の僧侶が「あの方はすぐ○○の立場になられましたね」「あの方は出世の方ですから」という言い方をしたのが始まり。
結果、組織の中で出世するという意味になったということが書いてあった。

ということで、兼好法師は出世し、お寺の中でも出世したのではないかと言われていて、お寺で徒然草を書こうと思った。僕は仏門に入ってないけど会社を辞めてる、出世してる。出世という定義を変えてみるのは面白いんじゃないかと敏腕編集Sさんに伝えたところ、それは面白いですねとなり、出世のススメとう本ができたわけです。

なので、世から出る、中の人から外の人へということが、まさに出世です。 ここに書いてありますけど 「もしあなたが自由に生きたければ出世をしてみよう。出世と言っても部長や社長を目指すほうではありません。あなたが今いる場所から出発してみること。それが出世。」
ということで、出世してみたらどうなるかということを書いてみたつもりです。

そしてこの本、編集Sさんと話して電子書籍にしない方がいいということで、電子書籍になってないので、手にとっていただけると嬉しいです。手に取りたくない人は取らなくてもいいです。一番嫌なのは、手にとった上で面白くなかったと言われるの、僕は凹むので。そこまでして読みたくない人は読まなくていいんですけど、もしちょっとでも出世を考えてる方がいたら、少なくても出世してみたらこうなったという僕の徒然なるままのことは書いてあるので、それは意味があるのじゃないかなと思います。

イラストについて

ちなみにこの表紙のイラストは、メガネかけた人になってますけど、僕より遥かに若い人かと思います。蛙はなんで蛙なのかというと、井の中の蛙、組織の中で出世を目指してる蛙でいいんですか?ということ。その井戸の中の蛙が井戸の外に出てみるとどうなったかということを書いております。

なぜイラストにしているかというと、NHKのアナウンサーだった鈴木健二さんの「気配りのすすめ」という本が200万部くらい売れ、その本も気配りというものを再定義している本で、鈴木健二さんの似顔絵が描いてある。そのことをパクった、真似した、リスペクトした(笑) で、イラストでいこうとなった。さらに有名な人に依頼せず、出世してる身の自分は「イラストを描いていただける方、どなたかいらっしゃいいませんか?」とSNSで募集した。すると何人も手をあげてくださり、その中でイタリア在住のイラストレーター和田忍さんにお願いした。

( ´-`).。o○(イタリア、羨ましいなぁ。私もイタリアに住みたいなぁなんて思いながらも。まぁコロナで大変かも知れませんけど。まぁそれは世界中どこでも大変なんですけど。)

なので、挿絵もあったりして可愛い。だからこの本好きなんです。これ以外の本が嫌いというとそんなことはないんですけど、自分の気持ちが書いてある本としては、伝えたいことが伝わってるんじゃないかなと思います。

なぜ今この本のことを話しているかと言うと、この本は2018年の僕の思いから書き、2019年の誕生日に伊勢神宮に行った後の9月に発売なんですけど、その時はこのコロナのことは誰も想像していない。そんな中で僕がこの本を書いたことって、コロナになってどう変わるのかということを書いてたんじゃないかと思った。先ほどの発展途上人学のYouTube LIVEでもう一つ「コロナでどう世界が変わるか」という質問があったときに、それまでの映えればいい、話題になればいいばかり言っていることは、果たして意味があるんだっけ?ということを薄々みんな嫌だなと思ってて、僕もそのことを書いていている。

出世はトリプルミーニングになった

普通、出世のススメとういことは会社の中で偉くなる、成功しないと出世できないわけだから、成功するためのメソッド集みたいなものが映える/流行る/話題になると考えると、それが本でもオンラインサロンでも、こうやればこんなに簡単に成功しますよみたいなサゼッションばかりだったのが、僕的には超嫌だった。なのでこの本を書いた。
映えることはもう意味がないんだということに、みんな薄々嫌気が差してたことに、このコロナで本当に気づいちゃったんじゃないかな。

レストランで言えば、今までは良くも悪くも、この大きさの飲食店で、中には高級店でそうじゃないレストランもあったろうけど、これだけのお客さんが入ればこれだけ儲かるというのをギリギリやっていて、どれだけ人の回転を良くして、単位当たりの面積も、人の数も増やせば、これだけ売り上げが上がるということをやってた。
それってライブハウスとかもそうで、それが良いか悪いかというと、悪くわない。みんながわーっと集まるからライブのモッシュ感が楽しいわけで、それを否定しないし僕もすごく楽しいなと思うんだけど、それが人が楽しむためにそれならいいんだけど、そうすることで観客動員だけを誇る、バズればいいんだ、話題になればいいんだ、人が多くなればいいんだということが、すごく行きすぎてた。

こうやれば売れる、その本の中身自体はどうでもよくて売れるんですよ!みたいなことは、嫌気がさしてる人がたくさんいる中で、このコロナが起り、出来なくなっちゃった。これから出来るかもしれないけど、少なくとも今出来ないということを経験している。それが僕らの頭の中にどういう風に影響するかというと、もう「そうまでして人を集める必要があるんだっけ?集めなきゃ生きていけないじゃん。全くその通り。じゃぁ生きられる分だけ集めればいいんじゃない?三蜜を避けて。」そういう風になっていくんじゃないかな?
そんなことに気付かされ、嫌気が差して書いた本がこれなので、改めて読んでみてもコロナ中やコロナ後のこと書いてるような。自分で言うのも何だけど。

むしろコロナ前にこれを書いておいたのは、自分的にはコロナ的な考え方の前兆みたいなものを思ったから書いたし、結果、それを今読んで欲しいなと思うのは、「これを読んだからあなたのスキルが上がってバッチリですという本じゃないので読んでください」って言ってる。
大した本じゃないかもしれないけど、読んだことで皆さんの考えがなるほどな!となると、このコロナで僕らはどういう風に生きていくか誰も分からない中で、でも生きていかなきゃいけないっていう意味の、サゼッションになってればいいなと思いました。

出世の意味は偉くなる、そうじゃなくて外に出る、というダブルミーニングだけど、これをコロナの時代に読むとトリプルミーニングになる。世に出られないじゃないですか、篭れと言われてるから。つまり世に出ましょうというのは物理的に出れないことが多くなり、どうやって出るのか?zoomでミーティングするのか?リモートでやっていくのか?リモートの方がいいと気付いく人がたくさんいるなかで、そのサゼッションというのは、居ながらにして出世するという、つまり「組織の中で偉くなる出世」「世に出る・世界に出る出世」「出ない・篭ってるけどどう出るかという出世」みたいに、3つ目の意味が増えたんじゃないかと思っております。

なので読んでいただいたら嬉しいし、全くそう思わないよと思うならあれですけど、なるほどと思ったなら感想とかいただけると嬉しいなと思います。

つまらなかったという感想が要らないと言ってるのは、というのを受け入れるみたいなものが今までのリアルな世界では必要だったのかもしれないけど、わざわざ篭ってるときにノイズみたいなものは要らないかなと。それが建設的なこうすべきだというのはありがたいけど、そういうのだけ欲しいというわがままを言っているのではなくて、という風に何でも受け入れて、何でも人を集めて、何でも儲かるじゃなく、自分が気持ちいいものだけを選ぶ人間関係、あるいは選ぶ選択眼、あるいはセンスみたいなものをつけることが、実は出世なのではないか?なんてことを思ってるんで、今日はそんなお話をしました。

知的好奇心向上委員会でございました。
また来週よろしくお願いします。


メモという名の私の感想

自分が気持ちよく生きるための選択眼を持つには、ジャケ買いで失敗を重ねるのが近道。

私のジャケ買い失敗談。
去年、着付け講師を頼まれた。友達にその事を話すと、不足してるものの指摘ばかり。正直ちょっと鬱陶しく思った。
細かい案を出したりしたけど、やりたいのは依頼人。やるからお願いしますと言わない限り、私から次の予定など聞かなかったら、本番は来なかった。
今までと違うからだめなのか?運営まで一緒に責任を持てば開店したのか?

依頼を受け、取り組み、お金と時間をロスした。
本を買って、読んでみて、面白くなかった。
それは、それを面白く思う力が自分になかったと言える。

これからはもっと正解がなくなる。
と言うことは、面白さの範囲が広がるのかもしれない。
何でも面白くなるのではなくて、面白いと感じられる自分の幅を広げ、感度を高めないと、何でも面白く見えて、何でもチャンスに思えて、来るもの全てを引き受け、失敗を経験値と捉えられずに自己嫌悪してパンクするかも知れない。またはその逆で、チャンスと経験を逃し続けるかも知れない。

今までのようにひとつの大きな流行りにみんな一緒に流される、赤信号みんなで渡れば的なものも、終わりが近いのかも。

徒然するには、徒然できる幅と感度。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)

[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC

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