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ICUC第33回(篭もって第27回)2020.9.27【TENET:自分の思考の順行と逆行】

今週もゆったり知的好奇心のアップデート【知的好奇心向上委員会 ICUC】趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦映画
『TENET』

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
ICUC#27「TENET:自分の思考の順行と逆行」

映画TENETから思うことを述べています。
ちなみにTENETのネタバレ一切ありません(笑)。
自分が想うことを表現するときに想うことを話しています!
よかったらゆるりとご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」

ICUC主宰:ヨウイチロウ web サイト

mireva channel

動画の内容
・ICUCは略と駄洒落/生死に想う/月日の早さ/2020年を片付ける
・思考の分裂≠バラエティ
・TENET/大森立嗣監督/タメに敵わん
・山田洋次監督と寅さんと東大/映画監督になりたい
・映画「げんげ」監督/一周回って他力本願
・演劇はケラさんに/演出は嫌いじゃないけど
・芝居はオンラインより舞台/一周回って観なくていい僕側の問題
・面白いと思える素養/周りにどう思われたいか?/思いと関係性
・気持ちのアーカイブ/魅力のある人と数/思いより表現のかたち
・知ってる人の声は徹りやすい/気をつけ方を気をつける
メモという名の私の感想

ICUCは略と駄洒落/生死に想う/月日の早さ/2020年を片付ける

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会ICUCの角田陽一郎、あ!角田陽一郎って言っちゃった、ヨウイチロウでございます。よろしくお願いします。
 えーっと、そうそう、知的好奇心向上委員会っていうのがICUCっていうのは何なのか?って言うと、知的好奇心向上委員会を英語で言ってみたら…ん?Intellectual…ん?言えない(笑)!え?知的”好奇心”=Curiosity、知的好奇心”向上”=Update、委員会=Committee。で、ICUCなんですけど、I see , You see ! って、I see って言うじゃないですか?それで You see って言うので I see , You see ! で、ICUCという、まぁ駄洒落でございます(笑)。ということを定期的に言っておかないとあれかなぁなんて思いながら、今日はそんな感じで始めてみました。よろしくお願いします。

↓ CAMPFIREのトップ画像 ↓
【I see , You see ! 】【ICUC】【Intellectual Curiosity Update Committee】
全部載ってます。

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 今日は9月27日、日曜日、今は朝方でございます。大体、前日の土曜に撮ったり当日の朝に撮ったりするんですけど、昨日は身内の葬儀がありまして。1か月前くらいに自分の父の葬儀があったんですけど、その姉貴、私の伯母が亡くなって。立て続けに続くんだなーなんて思って「あぁ」と思ったんですけど、つまりそいういうことですよね、自分の親の年齢がそういう年齢に差し掛かってきたんだなってことを思いつつ。色々思うことがあるんですけども、そんなお話ばっかりしてるのもなんなので、それはまた別の機会に譲りたいなーなんて思ってたところ、竹内結子さんの自殺のニュースが飛び込んできまして。んー、亡くなる方、死を選ぶ方、選ばざるを得ない方、死にたくない方、生きたい方、色々いらっしゃるように色々本当に考えさせられる2020年だなーなんて思いますね。
 数日前にね、Twitterで呟いたんですけど。えーとどこだ?えーっと…呟いたの探してるから待ってくださいね…えーっと…

月日が経つのは早いなっていつも年々歳々感じてて、なんか勿体ないって思うこと多いんだけど、今年はやはりなんか違う。早く終わってくれないかなって気がすごくしてる。
あーもう、2020年はやることやるべきことやらなきゃいけないことをさっさとまとめて片付けて、来年2021年を心機一転迎えよう。

 なんかそんな気持ちです。このコロナの2020年っていうのはなんか色んなことがやられてるなぁなんて思いつつ、実はコロナだけじゃなくて、やっぱりどう考えても ── 例えばここ数日、頭痛がするなと思ってんですけど、やっぱり湿度というか低気圧というか気圧の問題みたいなのってすごく大きいんだろうなと思った時に、いつも喋ってるんであれですけど気圧が本当に低くなってるんですよね。で、それってやっぱり地球環境汚染、環境破壊、温暖化みたいなことでどんどん過激な気候変動になってる中で大型台風みたいなものがやってくるみたいな意味で、本当に気圧が、僕らが若かった頃よりも激しくなってる、上下が。ということが本当に体にきてるのかってことと、もう一個は単純に自分が老化してる(笑)。若い頃はその気圧の変化に耐えられたんだけど自分の体が耐えられなくなってきてるんじゃないか?みたいなね。
 ── なんかそういう2つの可能性。強いて言えば3つの可能性、ということの中の思い込み、みたいな。思い出、思い出から来る、ノスタルジーから来る、自分がこうなんだみたいな。自分はもう低気圧だと頭が痛いんですみたいな思い込みなだけで、実は頭が痛いのは別の理由があるのではないか?みたいな。まあ大体この3つくらいの理由が思いつくんですけど、なんかそんな中、なんか僕の中ではもう9月27日、9月が間もなく終わりで、2020年早くやることをパッパッと、僕がやることはなんとなくあるのでそれをパッパッとやっちゃって、早く2021年になって旅でもしたいなーなんてちょっと思ってるという心境だなーなんてことをね、思うんですよね。

思考の分裂≠バラエティ

 今日も色々話そうかなあなんて思ったことがたくさんあって。でもこれ難しいんだけど、話したいことがたくさんあるってのも、ちょっと自分の中での思考が分裂しすぎてて、それって果たして本当に良いことなのかなと思ったりするんですよね。なんか頭が一点の方に集中してないって言うか。それってそれでいいのか?みたいな。
 分散してるって言うのは(両手で空間を触るように動かしながら)「ばばばばばばばば」みたいにバラエティに富んでいるという意味で言うと良い事なのかも知れないけど、全部どっち付かずだし、なんか取っ換え引っ換えみたいな感じだと、なんか心が休まらないというのもありますし、一個一個が形にならないとも言えますし、強いて言えば自分がやってる今の原稿がなかなか進まないってことになるなーと思って。先週も言いましたけど10月まで、9月31日までに書く!って啖呵を切っちゃったのにもう27日で、うーんそんなに出来てない。ほとんど出来てないから、今日頑張ろうかなと思って。
 今日は27日、日曜日でございますが、頑張ろうなんて思って。で、朝イチでこのYouTube動画を撮ってるのも頑張るぞっていうのを自分に…「頑張るぞい」って何かありましたけど、頑張るぞいっていうのを自分に言い聞かせるためにやってんだろうなぁなんて思います。

TENET/大森立嗣監督/タメに敵わん

 今週紹介するのは本も色々考えたんですけどこっちにしようかなと思いまして。(パンフレットの表裏上下をくるくるしながら)どっちだ?逆か、逆とかないのか…これでございますね、【テネット】。映画テネットについて語るかどうかは分からないですけど、テネットのことを話そうかなって。”テネットのことを話そうかな”ってことと、”テネットについて語る”って違うのか?って、面白いですね。「ついて」なのか「こと」なのかってのはちょっと違うのか?みたいなことなんですけど。

↓ 確かに上下解りにくいパンフレット ↓

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 テネットね、こうを見ても分かるに裏返してもテネットというような意味で言うとね。クリストファー・ノーラン監督の作品でございまして、何か難しいと言われてて観てみたら確かに難しいっていうか、一個一個が説明されないとわからないシーンって面白いですね。それってもう一回観直したいなーなんて思うし、観て分かったから「うん、分かった」っていうことで果たしてその映画が分かったのかどうか?がまた問われるなぁなんて思いながらもね。
 自分としてはなるほどと考えさせられることがたくさんあるんですけど、まずノーラン監督はタメなんですね、1970年生まれなので。だから「わぁ、敵わんなぁ」っていう思いがすごくまず最初になりますよね。大森南朋さんのお兄様の大森立嗣監督とこの前の週刊プレイボーイの連載で対談させていただいたんですけど、大森立嗣監督もクリストファー・ノーランのこと言ってました。で、大森立嗣監督も同い年なんですけど「クリストファー・ノーランにはやられたって思う」と。「いつも思う、やられた」と。
 そこで立嗣監督には2つ聞いたわけです。つまり「やられた」って2種類あるじゃないですか。1つはこんなの思いつかねーよみたいな。こんな脚本すげぇよ、どうやってんだよみたいな意味でやられたって思うのと、もう一個は金ありゃできるんだけど、日本映画と世界、ハリウッド映画の制作費があまりにもあまりにも違いすぎて、仮に大森監督がテネットみたいなこと思いついてもそれを実現できるほどの金額が日本映画にはないっていう事実。どっちですか?って聞いたらですね「どっちの意味でもです」って笑いながら仰ってましたけどね。

山田洋次監督と寅さんと東大/映画監督になりたい

 で、僕なんかが観るとですね、僕も一応映画を監督一回だけやっておりますが、映画好きなので映画監督ってすごいなりたいなあなんて思ってる自分がいましたね。
 山田洋次監督、男はつらいよとか幸せの黄色いハンカチの。山田洋次監督が僕は大好きで、っていうか寅さんが大好きで。小学校のときに寅さんを家族で観に行って、すごいバカ笑いして、終わりに映画館の近くの中華料理屋でご飯食べてる時に親父とかお袋に言われるわけですよね「山田洋次監督って東大なんだよ」「東大?!」みたいな。それで僕の中で東大というのを初めて意識したのは山田洋次監督で、つまり東大っていうのは当然知ってましたけど、東大って何かこう偉い人になる、映画監督が偉くないのかって話じゃないんだけど、世間的に言うと銀行員とか政治家とか法律家とか、そういうのになるんだろうと言うのが東大なんだろうなーと思ったら、映画監督、しかも寅さんみたいな庶民映画を作られてるんだっていうことに衝撃を受けて、僕は第一印象「かっこいい!」と思ったんですね。だから自分もそういうのをやってみたいなーなんて思ったというのが、僕の中での東大というのを意識した初めてなのかも知れないですけどね。そんな感じで映画とかずっと好きです、全然詳しくないんですけど映画とか撮ってみたいなぁなんて思いながら。
 大学時代に映画を撮ってみたいと思って、でも映画会社に入っても映画が撮れない、映画会社のサラリーマン監督みたいなのはどんどん居なくなってる時期だったので、今もそんなに居ないのかな?よく分かんないですけど。で、一方で「ぴあフィルム・フェスティバル」とかで賞を取って映画監督になるみたいなパターンがある中で、テレビ局がちょうど映画に出資し始めた時期で。だがらテレビ局とかに入るとなんか映画とかもやれるんじゃないかなーと思ってテレビ局に入ったっていうのは僕の中ではあります。
 特に20代30代で実際映画監督やりたい、やりたいと、ずーっとずーっと思ってて、ブルース・ブラザーズが好きで、ブルース・ブラザーズみたいな映画が撮りたかったんです。みたいなっていうのは色んな意味で「みたいな」なんですけど、一番はブルース・ブラザーズ。サタデー・ナイト・ライブっていうアメリカのバラエティ番組のワンコーナーからブルース・ブラザーズが映画化されたみたいな。今はバラエティ番組から映画化されるってありますけど、その頃って日本じゃ無かったんですよね。だから僕はバラエティ番組を自分がやってて、その自分の番組のワンコーナーが映画化される、それが理想だなぁみたいなことをね、ずーっとずーっと20代のときとか思ってましたね。

映画「げんげ」監督/一周回って他力本願

 そう思ってて、実際まだ大した映画ではないですけど頑張った映画だし、今観てもなかなか面白いなーなんて。今そんな観ないですけどね、面白いんじゃないかなーと思う。「げんげ」って映画を僕が43歳、2013年に撮らせせていただきました。撮って、すっごい面白くて、また撮りたいなあなんてずーっと思ってるんですけど、やっぱりあれですよね。大森監督じゃないけど、大森監督は自分が監督だからいいですけど、僕なんかがこういういうテネットみたいなのを観るとむしろ一周回って自分は映画作んなくていいかなーなんて思っちゃいますね(笑)。
 作れないですよね。大森監督が言った2つの意味、思いつかないか?つくか?っていうのが1つと、2つ目は思いついても金があるのかみたいなのもあるし、3つ目、それを表現できるだけの技術があるのか?だって普通にどう撮ってるんだろうと思いますもんね、テネットとか観てても。
 だからそういう自分が仮に思いついたものを形にするためにはそのお金みたいなものも必要だし時間みたいなものも必要っていう、なおかつもう1個スキルみたいな。だからお金と時間とスキルみたいなものがないと、いくら自分が思いついても形にならないんだなって思うわけですよ。
 そうすると仮に思いつくまではやれるじゃないですか。やれるかどうかは置いといて、それが面白いかどうかは置いといて、思いつくのは思いつけられるじゃないですか。それをどのようなメディアで形にするかみたいなことに話はいくわけですよ。どのようなメディアで形にするか?みたいな時に、例えば紙に文章で書くものから、パソコンのキーボードを打ってネット上にあげる、絵にする、音楽にする、芝居でやってみる、ストリートパフォーミングする、YouTubeでこのように喋る、映像にする、とか。まあ色々あるわけですよね、そのメディアというか出現させるための、表現するための形というものが。それを何にするか?みたいな時に、自分も年を取ってくると、若い頃は色んなメディアで表現したいなって思いがたくさんあったし、その思いは今も無くはないんだけど、でも例えばテネットとか観ると、映画は僕の中での表現方法の一つとしては僕じゃない人がやった方がいいやっていう風に思いますよね。無理だなと。だからむしろ僕が思いついたことを、仮にそれがすごい面白ければそれを誰かが映画化してくれる方がいいやっていう(笑)、ちょっと他力本願な感じって出てきますよね。

演劇はケラさんに/演出は嫌いじゃないけど

 で、同じような意味で、演劇。演劇もね、これ何だったかな…三谷幸喜さんの舞台だったかケラリーノサンドロヴィッチさんの舞台だったか…ケラさんかな。ケラさんの舞台とか観てると、何年か前に観たケラさんの舞台、比較的毎回観てるんですけど、ケラさんの舞台観た時にプロジェクションマッピングとかがすごくて、そこに役者さんが完璧にピッピッピッとハマってるわけですよ。ハマって、ピッと消えて、みたいな事とかをやってる瞬間に、だからストーリーの面白さとかその上手さとかっていう話以上に、これ練習っていうか稽古大変だなーって(笑)、思ったんですよ。そのプロジェクションマッピングにピタッと合わせて。でも皆さんプロの俳優さんだからすぐパパッて出来ちゃうのかもしれないけど、これを思いついたとして、これを形にするためにプロジェクションマッピングのデザイナーみたいな方と編集者とすごい打ち合わせをして、それを形にするみたいな時の、簡単に言えば手間暇みたいなものが僕には無理だなと思った時に、何かその芝居のその部分を観た時に、あぁもう芝居はケラさんがやればいいじゃんって(笑)。ケラさんが作った芝居を観て、それで楽しむ自分っていう方が芝居との関わり方としてはすごくいいんじゃないかなーなんてと思いましたね。
 でも一方でね、芝居の演出って数回やらさせて頂いたことがあって、嫌いじゃないんですよね、すごく。嫌いじゃないんだよなぁ、あの稽古みたいなのって。段取りをどう形にしていくかみたいなのも結構みんなで作り上げていくみたいな、あれ堪らない人には堪らないだろうなと思いますね。学生時代にちょろちょろっと遊びごと程度にやってて、なんかその仲間感みたいなのが一方で僕の中では馴染めず、みたいなこともちょっとあったりしてね。

芝居はオンラインより舞台/一周回って観なくていい僕側の問題

 でもその自分の表現みたいなものを芝居で形にするのってすごくいいよなあなんて思うんで、芝居はやっぱり嫌いではないなと思いながらも。今週もね、芝居をオンラインで2つ観たわけですよ。1つはケラさん演出のケムリ研究室の「ベイジルタウンの女神」っていうのを観させていただきましたけれども、3時間半くらいあって、長くて、それはいつものケラさんっぽくて、すごいいい話で、良く出来てて、面白いんだけど、それをオンラインで観てたらなんか芝居に観えなかったっていうか。皆さんが上手すぎて。なんか本当にファンタジー映画を観てるようというか、むしろアニメを観てるような。ベイジルタウンというファンタジーな街というか空想的な街が舞台の話だったから、なんか映像作品を観てるように観てしまって。
 やっぱり舞台って舞台で観た方がいいんだろうなんなんてことを再認識しつつ、なんかその作品が良いだけに、なんか自分はもう一周回って観なくてもいいかなって思っちゃったっていうね。これ観なくてもいいかなーって所ってこういうこと言うと誤解されるなぁなんて思うのでそんなに言わない方がいいなと思うんだけど、だってケラさんすごい尊敬してるし、大好きだし、ばんばん芝居を作って欲しいなと思うんだけど。だから角田陽一郎個人が観なくてもいいかなと思ったってことかな。別にケラさんの芝居をじゃなくてね、世の中の芝居をっていうか。
 昨日も「あなたの目(原題:The Public Eye)」っていう八嶋智人さんと、小林聡美さんと、野間口徹さんの三人芝居をね、オンラインでやってて。面白かったです、すごく。ピーター・シェーファーっていう演出家というか脚本家の作品、1960年代とかの作品なんですけど。八嶋智人さん超かっこよかったですね。かっこよかったというのは八嶋さんの真骨頂的にかっこよかったですね。面白い、基本は。面白い眼鏡おじさんなのにどことなく不思議で、それでいながらなんかかっこいいっていう。あれすごいなーなんて思いながら観てましたけどね。でもそれも「うん、観た」っていう以上の感想ってのは僕の中ではいい芝居なのにって言う…
 だからこれはね、究極的に言うと僕側の問題な気がします。だからこの僕らの問題ってのはだんだんこのテネットの話に行き着くんですけど、つまりこれが、
 ・分からないから、つまらないのか?
 ・分からないけど、面白いのか?
 ・分かるけど、面白いのか?
 ・分かるけど、面白くないのか?
 簡単言えば4種類。何でも四象限に区切ればいいのか問題ってのはあるんですけど、それは置いといて。

面白いと思える素養/周りにどう思われたいか?/思いと関係性

 そうなった時にこの作品がどうかとかじゃなくて、それを受容する自分側の問題のような気がしますよね、うん。だからそれでいいんだよなっていう当たり前のことしか僕は言ってないんだけど、それをつまらないと思ったか面白いと思ったかってどうでもいいんですよね。どうでもよくて、僕がどう思ったかもどうでもよくて、当然僕以外の人、皆さんがどう思ったかもどうでもいい。ポイントはそれを表明するかしないかみたいなことだと思うんですよね。それを面白い/つまんなかったって言うのか?とか。
 分かんなかった、分かったとか表明することで言うと、自分は単純に面白くないものを面白くないって表明したくないっていうのはちょっとだけあるんですよね。皆さんあるよね。ただ一方で、すごいつまらない、憤りを感じるような作品はつまんなかったって言いたい、むしろ。でもそれって一周回ってやっかみに近いじゃないですか。だってその作品がつまらないことって本当につまらないのかどうかってのもあるけど、あなたがつまらないと思っただけで、あなたにその作品を面白がる素養はない、つまり分からなかっただけかも知れないじゃないですか。いや分かれば面白いのかって問題はさておきですけど。
 そう考えた時に、それはつまんないか、つまるか…つまるかっていうか、つまんないか面白いかって大した話じゃないんですよね。そんな中でそれを面白いととかつまらないって表明することって、実はその作品自体が面白いかつまらないかということよりも、あなたが表明しているというその態度、アティチュード、あるいはそれをネットで話すのか?周りの人に言うのか?文章に書くのか?とかは置いといて、それをこう観た人に対してのメッセージになるわけですよね。「あー、あなたは、この作品をつまらないと思った人なんだな」ってことを態度で示す。あるいはそれをみんなに伝える必要があるのかないのか?っていうな事なだけな気がするんですよね、結局、その作品が面白いかつまらないかってことは。
 だから自分がなんか作品に触れてみた、面白い、あるいはつまらない、分かった、分からない、何でもいいんですよ。何でも良くて、それを他人に表明する必要があるかどうかはその作品が面白いかつまらないかとかというよりも、あなたが周りにどう思われたいのか?どう見られたいのか?っていうことに関わってくるんだと思うんですね、良くも悪くも。で、周りのことなんかどうでもいいじゃんかって言うんだったら、本当はどうでもいいと思ってるなら表明しない方がいいんですよね。表明するとざわつくからね。それで面倒くさいんですよね、そのざわつきがね。
 あなたがつまらないと思ったなんてことは別にどうでもいいと言うか、僕はそれを見て面白いと思うか?面白くないか?僕にはそんなに興味がないなと思いつつ、若い頃はそれでも何か面白いものは自分の大事な人とか近くの人とかにこの作品は面白いですよ、見た方がいいですよとかって言いたかった気もあるんだけど、今ほんとに1ミリもないかな。
 若い頃でいうと「この作品超良いから観て」って、相手が「うん、観る観る」って観ないときって結構落ち込みません(笑)?落ち込んだこととか僕あるな。「うんうん、いつか」みたいなことで観ないんだろうなっていう感じで観ないならまあいいんだけど、観るって言って観ないのって嫌じゃないですか。観るって言ったんだったら観てよ、と。でも観るって言ったけどそんなに観たくなかったんだけど、あなたとの関係性的に断るわけにはいかないんだよみたいなことだったのかも知れないしね。それは分かんないですよ。
 だからつまり、あらゆることが関係性なんだよなあなんてちょっと思ったりするわけです。で、人との関係を大事にするか?大事にしないか?ってこともそれぞれ、その人の自由なんだけど、まぁこの歳になると関係性は一個一個は大事にしようかなって基本思ってるってところはありますよね。それが自分の主義、教義…テネット(笑)?うん、自分のテネットなんだなと思いますね。自分の信条。

気持ちのアーカイブ/魅力のある人と数/思いより表現のかたち

 なんか結局そういうふうに自分がどう思ったかみたいなことの方が昔は大事だった気がしてたんだけど、今はそんなことは実はどっちでも良くて、周りとの関係性において自分というのがどう生きていくのかってことを結果大事にしない限り、自分の面白いとかつまらないなんて思いもそもそもそんなに意味がないのかなって。
 意味がないって、意味がなくたっていいんですよ別に、そんな。いいんだけど、何かそんなことを思うなーなんて思うんですね。だからそう考えるとここでYouTubeで毎週30分ぐらい喋ってて、これは一方で自分の気持ちのアーカイブだからやり続けてるっていう事もあるんですけど、逆に言うと大した人が…大した人がって失礼ですね、えーっと、大した人数が観てないっていうのも事実であって。
 これって、ねぇ、なんかすごいなと思うんですよ。なんか他のYouTubeチャンネルの人気YouTuberとかインスタとか、すごい数の人に見られてますよね。すごい数だから観るって事も僕はそんなにないんだけど、たまたまちょっと目にしたりすると、やっぱり面白いなあと思うのとか、それが面白いかつまらないかというより、やっぱり魅力のある人だから集まるんだろうなってことは事実だなーって思うんですよね。
 そう、だから話自体が面白いか面白くないかみたいな事はさて置き、この人にそれだけの魅力があるからそれだけ集まるんだな、で、その魅力ってのはなんかすごい崇高な魅力もあればちょっとダーティーな魅力もあるよなぁなんて思いつつ。
 今ちょっと自分の中で面白いなと思ったのは、崇高なって言った逆を汚らしいと言わないでダーティなって英語で言ったのって、英語で言うことで汚らしいという言葉が若干緩和されるなという。だから表現だって、今だってそうだなと思うんですよね。崇高っていうのも別にピュアなとか、ワンダフルとか、どう言ったっていいんだけど、崇高な漢字の言葉で言っときながら、反対の言葉をなんか汚らしいとかじゃなくて汚辱とかじゃなくてダーティーって言ってるのって、それって僕が思ったことをどう相手に伝えるかってときに若干慮ってるってことなんだと思うんですね。多分言葉遣いとか、どういう文章を書くとか、どう表現するか、どうパフォーミングするかみたいなことって、基本はやっぱり自分がどう思ってるか以上にどう見られたいか?みたいな事ってやっぱり大事で、じゃなければ別に汚辱って書いてもいいわけですよ、ダーティーってところをね。でもそれって見た時に「なんだ俺のことを汚辱って言ってんのかよ」とか、ダーティーって言うとちょっと、少なくともかっこいいじゃんと思う方もいらっしゃるかも知れないしみたいなこととか、そんなようなこととかね。 
 今だって「いらっしゃるかも知れないし」って、「居るかも知れないし」って言ってもいいし、「そんな奴が」と言ってもいいかも知んないけど、そんな方がいらっしゃるかもしれないしって僕がちょっと敬語で言ってることって、それを嫌味と捉える人もいれば、この人はそういう言葉使いをする人なんだなって思う人もいれば、気を使われる方なんだなって思う方もいらっしゃるかも知しれないと。だからなんか自分がどう思ったかってことをどう表現するかみたいな事ってなんか実はどう思ったか以上に大事なんだなっていう。
 そうか、だからそれが…ん?伝えたいことが9割?違う、何だっけ?話し方が9割?みたいな、あの本みたいなことで言うと。伝え方が9割か(笑)。伝え方が9割みたいなことなんだなって思うんですよね。

知ってる人の声は徹りやすい/気をつけ方を気をつける

 だからね、なんか広島の餃子屋さんと堀江さんが揉めてるなーなんて見てますけど、色んな議論があってお互いの意見があったりして、それはそれでなるほどなるほど、いやいや違うんじゃないかなと、思うことがお互いにお互いにありつつ、僕はあの事件で思ったのは単純に言い方な気がしますね。で、言い方っていう意味で言うと、そんな激しく言ってないみたいなことを堀江さんは言ってたけど、堀江さんって言葉がビビッド、ソリッドで声も大きいし、なおかつ知ってる方の声って知らない方の声よりも耳にすごい入りやすいから、彼が普通に喋って普通に質問しても、それはもう詰問とか恫喝とかに取られちゃうんだよなぁみたいな事ってあるのかなあなんて思ったりもしましたね。
 僕も比較的そうなので、こんな感じで早口でわーっとしゃべって、声も大きいし、なんなら太ってるし、なんなら論理的に詰めてるような感じに見えちゃうんで。僕はどちらかと言うと優しさと愛情をもって喋ってる時ほど、相手に何でそんな詰められるんだろうっていう顔をされたりするときがよくあるよなあなんて思って。
 それってそこまでね、自分が気をつけて…気をつけて喋ってるとまた気持ち悪かったりするんですよね、見え方がね。なかなか難しいなあとは思うんだけどね。
 ただその難しさみたいなものをどう処理するかみたいなことって難しいから放っときゃいいじゃんっていう風に思いつつ、そんなの疲れちゃうからもう関係ないよっていうのもありつつ。だから0か100じゃないような気がしますよね。
 なんて言うんだろう、自分が気をつけて、なおかつそれが気をつけることで自分の体が痛まない程度、心身が痛まない程度に気をつけるみたいなところ気をつけるみたいな(笑)。なんかそういうようなことが大事なんじゃないかなってことを思いますね。それがこう作品を生み出すみたいなこととかで大事なこととも言えるし、そういうことばっか考えてることも疲れちゃうからね。気をつけるって事を気をつけるということは、つまりそんなに気をつけない時も時々あってもいいんじゃないか(笑)。
 もう、何言ってる分かんない!時間が巡行したり逆行したりしているような感じでございまして、まさにそれがテネットなんじゃないかなーと思うんですけど(笑)。
 なんだろうな普通にSF好きな私としてはピュアに、観たら面白いんじゃないかなって思いますし、なんか色々思いますよ。色々思うけどやっぱりノーラン監督ってすげえなあとか思うことが僕の一番の感想かなーなんて思いますね。この前もインセプション久しぶりに観たんだけど面白かったしね。ダンケルクもすごいしね、メメントもね。僕メメントのDVD持ってますけど、逆再生したこととかありますけど、メメントみたいなことが全世界で起こったらどうなるのかな?みたいなことがテネットだったんだなーなんてことを思って、今日のICUC知的向上委員会を終わりにしたいと思います。


メモという名の私の感想

 実は最近、マガジン「知的好奇心向上委員会ICUC 文字起こし&メモ」内の篭って第07回から前回の26回まで、今週の推薦図書が投稿を開かなくても見える様に頭数行を入れ替えました。それから今回の第27回からICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」のリンクを増やす予定にしていたんですが、ヨウイチロウさんからは偶然にもICUCが略で駄洒落だと言う話が。歩調が合わせられたようでちょっと嬉しい。少〜しづつですが、文字起こしをしていない回も起こしているところ。速く上手く起こせるように練習。

 8月はいつまで経っても終わらず、逆に9月はあっという間。私の感覚だとまだ9月第2週くらいなのに、なんでこんなに早いのか?もはや不安。歳を取るということは経験値があがるということ。気温も湿度も下がってくると「次は年の瀬!」と身体が予想してる?それとも気温と湿度が下がって動きやすくなって、あれもこれもと気が急くのか?とりあえず10月はあと2週間は待って欲しい。

 思考が分裂、一見バラエティに富んでるように見えるけど、実際は材料が散らかってるようなもものだと思い「思考の分裂≠バラエティ」としました。マルチタスクに似て非なる状態で、何かをやって進めてる実感が得られない。そうなるといつまでも頭の中を散らかった材料が飛び回り続け、睡眠の邪魔までする。解決策としてはやらざるを得ないことがあること、できれば期限が迫ってる様な。そうするとそこに集中せざるを得ないから、強制的に思考が一方向へ向かう。ということで、啖呵切っておいて結果正解だったんだなーと思ったのでした。

 実は「げんげ」のレンタル落ちDVDを見つちゃって、持ってます。最初の方、観ててイラッとするほどじゃないけど「あぁ〜そんな無責任に約束しちゃって…」って部分がたくさんあって、調子に乗ったところで良い顔しておいた人たちにどーんっと愛想を尽かされて、土下座で挽回しに行くんだけど……映画監督って人より自分の世界観を持ってる上に、人の世界観も見られる能力がいるんでしょうね。私には監督と演出家とプロデューサーの違いがはっきりしてませんが。
 小説家なら自分の世界観を表現する道具は自分の文だけど、監督の道具ってお金と時間と人の使い方。何をどう伝えるか伝えないか?世界観が伝わってないから演じてもらえないのか?伝わってるけど演じられないのか?お金と時間だって、結局は人に関係してるし。

 そう考え得ると一般の私たちがSNSで好き勝手に表明するかしないかってことは、せいぜい人付き合いの範囲でということになるでしょうか?それも出来ないからクソリプになるんだろうけど、どこまで「SNSは独り言、それに突っかかってくる方がおかしい」を盾にとれるのか?だってそれだって私はそう思ってSNSを使ってますという表明では?
 ソーシャル(S)をネットワーク(N)するサービス(S)だから、個人を繋げる仕組み。その上でどこまで「独り」の言うことで通せるか?そうするとコミュニケーションツールって言い方は言い得て妙だな。どこまで行っても、どこへ行っても、人と人との関係性で信条をどこまでどう表明するのか?から離れられない。


ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by ヨウイチロウさん)

[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC

ICUC note

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