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ICUC-037(週間031)2020.10.25【本物の知性を磨く読書の話:社会人のリベラルアーツ方】

I see, You see! Intellectual Curiosity Update Committee【知的好奇心向上委員会 ICUC】今週もゆったり知的好奇心のアップデート&趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦図書
『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』
麻生川静男(祥伝社刊)

ICUC#31「本物の知性を磨く読書の話:社会人のリベラルアーツ」
最近、修士論文と格闘していて、ようやく情報のインプットとアウトプットの意味がわかってきました。 リベラルアーツ研究家の麻生川静男さんのお話をしています。 ゆるりとご覧ください。

[CAMPFIRE] ICUC 知的好奇心向上委員会

ICUC note「ICUC知的好奇心向上委員会とは?」

ICUC主宰:角田陽一郎webサイト

mireva channel

動画の内容
・螺旋階段の下の僕のいつもの景色
・リスボンとポルトとリブラリア/地図とポスター
・僕のシコウの移行
・ 修士論文で変わる僕と本の関係性
・読書はライブ、アーカイブはマーク
・論を立てるをやってみたい
・ 人間にとって大事なものは背筋力と股関節
・リベラルアーツ
・学問が楽しいが分かる人は楽しい
・雑食的に体験した後で好き嫌いを
・ 麻生川先生の社会人のリベラルアーツ
・ 麻生川先生の問題点
・僕が好きな感性が鋭いオヤジたち
・僕の恩師・師匠は?僕の恩師・師匠は?
・赤ペンを引いてない本の紹介
メモという名の私の感想

螺旋階段の下の僕のいつもの景色

 おはようございまーす、知的好奇心向上委員会、えー…Intellectual Curiosity Update Committeeでございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でこざいます。おはようございます、よろしくお願いいたします。
 えーと、あの、背景を見ていただければ毎回見てる方がいらっしゃればわかると思いますが、いつもと違う雰囲気でやっておりますが。これですね、実は自分のスタジオのデスクの前で喋ってるんですけど、デスクの反対側に座ってみたらどうなるかなーと思ったら、こういう感じのバックになりました。つまりですね、この皆さんが見てるこの背景は、いつも僕がデスクに座って前を向くとこういう風景が見えてるという感じをバックでやっておりますね。だからいつも本棚に囲まれてるのを今僕は見て、この撮影をしているということなるんでございますが。
 なかなかいいでしょ?ここ(笑)。この感じが気に入ったんでここを借りていたんですけどね。ただ間も無く引越しちゃうんで、なんかそんな思い出と共に(笑)。思い出と共にってなんでそんな悲しそうに言うのか分からないけど。じゃあ引っ越さなきゃいいじゃん!なんですけどね。あの、引っ越すので、一応こう違う風景で撮影してみようかなーみたいなことをやりました。

 この階段を登っていくと上にあって、何週間か前に階段の上の方でも撮影したと思うんですけども。螺旋階段ね。螺旋階段の下側が私のスタジオになってて、上の方はソファがあるような…応接間と言っても誰も応接しないんですけどね。リビングというと生活空間になっちゃいますもんね。なんて言えばいいんだろうね、分からないですけど。そいういう風になってます。

リスボンとポルトとリブラリア/地図とポスター

 ちなみに上と下を僕がどう呼んでるかというと。僕が呼んでるったって僕が心の中で呼んでるだけなので(笑)、別に誰と呼んでるわけではないんですけど。上の空間をリスボン(笑)、下のココをですね、ポルトという風に呼んでおります。私いつも言ってますけどポルトガルが大好きでございまして。ポルトガルのポルトっていう街が大好きで、この空間はポルトだと思ってると。
 ポルトってね、本屋さん、ハリーポッターの舞台になったようなすごい綺麗な図書館というか本屋さんがあるんで、そこ(本棚の部屋)をリブラリア。だからここは一応本がたくさん並んでいるのでポルトと思ってます。で、上の方はそうするとポルトガルの首都であるリスボン(笑)。なので、上はリスボンと呼んでて、下はポルトって、自分の中では呼んでます。
 で、あのこちら見ていただくと(画面左、角田さんの右後ろ)、ヨーロッパの地図を貼ってるんですけど、これはヨーロッパの地図をヨーロッパで買ってきたんですね。僕あの、…とは言いながらとそんなに買ってないんですけど、その現場で売ってる地図みたいなものってすごい面白いなと思って、集めたいと言いながら全然集まってないや。そんなような感じで地図をここに貼ってます。だからここなんかいつも見てたりしますね。
 ちゃんみゃn…、ちゃなみにって言っちゃった、ちなみに(笑)、リスボンの方には世界地図が貼ってあるんです。それをこう普段見てるってなんか好きなんですよね、すごく。
 で、こっち(画面右、角田さんの左後ろ)、ここにあるポスターはですね、ホドロフスキー監督の映画のポスターでございまして。ホドロフスキー監督、僕大好きなものですから、映画のポスター…これサイン入りなんだよな!クラウドファウンディングで映画撮ったときに、クラウドファウンディングに私も参加させていただいたので、サイン入りのポスターいただいたのでね、貼ってあるみたいな。そんな感じの空間でございます、と。

僕のシコウの移行

 今日なに話そうかなーなんて思ってるんですけど、今週なにがあったかなーみたいなことも含めつつなんですけど。そうか、含めつつだから自分が書いた文章見た方がいいな。あのですね、ここに書いたんですけど、

最近想う。観る作品、読む文章、知る情報、来る仕事、起こる出来事、触れる人、去る者、そこから溢れ出す指向志向嗜好至高思考、この今の環境で出会う全てのヒトモノコトが新しい生き方を自分に啓示してくれている。やはり2020年は新しい生き方に移行する、まさにそんなきっかけのタイミングなのだ。

 っていう文章を書いてるんですけど。つくづくそう思うんですね。それってコロナってことも当然あるなーなんて思うんですけど、自分の身近な人が亡くなったりということもあるし。それで…なんかここが痒くなってきた(笑)!すいません、あはは!ごめんなさい!こんなこと解説しなくてもいいんですよね、いちいち痒くなったとかね。まぁいいや、いいや。
 あの、自分の身近な人が亡くなったりとか、引っ越してみようとか、環境を変えてみようと思っている。環境が変わってきたと。そうすると仕事みたいなものは変わってるかと言うと、来た仕事みたいなものもね、今スマートシェアって会社の社外取締役やってるのも、新しいものが生まれそうだし。それこそ先週お話ししたドリームマネージャー手帳、ドリームマネジャー協会とかもなんか新しくなりそうだしってこともあるんですけど。

修士論文で変わる僕と本の関係性

 僕の中ではやっぱり修士論文を書いてまして、そうするとパッとこう、今ここにありますけど、ベンジャミンの…ベンジャミンじゃないや、ベンヤミンの、ぁ、ベンジャミンでもいいんだよね。ベンヤミンの複製技術時代の芸術とかをぱらぱら見てたりすると、今まで比較的読書が好きな僕だったんですけど、読んだ本をそのまま自分の中に入れて。逆に言うとそんなにメモってないわけですね。読んだものを自分の頭の中に入れてぐつぐつ煮てるとポッと出てきて、アイデアというか考えというか思い、そのポッと出たものを本にすると、例えばこういう本(自著の「13の未来地図」を持って)になるようなことを繰り返してたんですけど。
 修士論文を書かなきゃいけないってことは、論文ってことは、インプットしたものをここでインプットされましたってことをやっぱり書かないと。典拠を示すというか、出典はなんなのか?ってことを示さないといけないわけですよね。そうすると本を読んでるときも、つまり論文用に読んでる本はなるほどと思ったところはちゃんとメモって線を引いたりとか付箋を貼ったりとか、──本当は本に線とか引くのそんなに好きじゃなかったんですよ。尊敬する松岡正剛さんとかはね、赤ペン引きながらとか言ってたんですけど──、それってなんか本を汚しちゃうじゃないですか。仮にその本をどなたかにお渡ししたときに、なんか書き込みとかしてたら悪いなー(笑)…悪いなーってのもよく分かんない(笑)、じゃあ売らなきゃいいんですけどね。でもそんなことを思っちゃうタイプだったんで、本はなるべく汚さないように。だから今僕はこういう紙(グラシン紙)を付けてますけど。そうなんですけど、そうも言ってられないというか。やっぱり研究に使うから。
 ってことで、線を引きながら読んでるわけです。なおかつそこで必要なものはちゃんと文章として写したりして、出典を明記して論文に書こうみたいな作業をやってるとですね、その気持ち良さが分かってきたというか。つまり僕の今までの読書というのはやっぱり趣味で読んでたんだなってことがわかると言うか。本を汚さないようにって意味で言うと、その本をお客様として大事に扱ってたんだなと思うんだけど、やっぱりその本というものとのインタラクティブな関係を持つとすると、やっぱり本に赤ペンを入れるとか、付箋をつけちゃう。付箋はまあともかく、ピッと曲げちゃったりね、折り曲げて印をつけとくみたいなことをやっておくと、結局、本も汚れるけども、それは果たして汚れと言うのだろうか?みたいな。

読書はライブ、アーカイブはマーク

 じゃあ僕が仮に僕が死んだあと、この本どうなるんでしょうね?分かんないですけど(笑)、その本にしるしが付いているみたいなものを残しておくということが、やっぱりあとで参照したときとかに、むしろ意味がある。この人、ここに注目してたんだとわかるっていう。だからライブだアーカイブだみたいな話をしてたときに、──してますよね、僕はこの動画でもICUCでも話してますけど──、ライブな状態というのをアーカイブするということを大事だって言ってるとすると、本にやると本に書き込んじゃうと言うか、その本の大事なところっていうのをマークするみたいなことが、結果すごい価値があるんだなってことに、すいません(笑)、やっと気づきました!
 こんだけ、11冊ぐらい本出してるのに気付いてませんでしたね〜。今まで出した僕の本というのは、だから僕のぐにゅぐにゅぐにゅっと入ったものがピュッと出てきたという意味では僕の本なんだけども、う〜ん、そこをこうちゃんと整理整頓して書くっていうのが論文なんだなってことにやっと気付いたっていうかね。

論を立てるをやってみたい

 う〜ん、気づくのに時間かかりますね。だってこれって普通に修士論文とか書くのって24、25歳なわけでしょ?普通研究者の人ってのは25歳、つまり僕今50歳なので、僕の人生の半分の年齢でそういうことに気づくわけですよね。僕は気づかないままこの歳まで来てしまったんだなっていう弱冠の後悔と、そいういう方が僕ぐらいの年齢になっている研究者の方と話すと、その整理整頓、分析、前も言いましたけど、分析って分けるって書くじゃないですか。つまり一つのことを分けて認識しよう、分けて研究しよう、分けて自分はどう思うってことを検討しようってことをやるのがお仕事の方だと、そればっかりやってる感じもちょっとだけするんですよね。
 それって結局、味が細分化されてて、料理の味の成分は分かったんだけど、結局あなたは美味しいんだったっけ?不味いんだったっけ?というところの表現が、なんか芳醇じゃないなって思う時も一方であるんですよね。
 だから論文とか見ていて文章下手くそだなって思うものとか、やっぱり僕は思ったりする。僕が上手いって言ってるわけじゃないですよ?でも、それはそれで言いたいことが伝わってればそれでいいんだという考え方もあるんだなと思うと、僕としては今回論文を書いているということでその辺の分けて整理してちゃんと論を立てるということを一回やってみたい。やってみたいと思いながら、今やってて相当苦労してるんですけど。

人間にとって大事なものは背筋力と股関節

 だってね、今まで分けないでどうやって出すかみたいなことばっかりやってきた人間、テレビを作るってこともそうだと思うんですけど、それをちゃんと分けてやるっていうことを、ちゃんとやらなきゃいけないっていうのって、大変ですね。自分の思考をチェンジしなきゃいけないって意味で大変なのと、体力的に大変ですね。ずっと座ってるということは、例えばですよ?分析しないで読んでるということはこうやって寝っ転がって読んでてもいいわけですよ。ところがちゃんと分析してよむってことは、さっきの赤ペン入れるっていうことは、結果、寝ながら読んでて赤ペン入れるのって、ボールペンだと、ほら、書けないじゃないですか(笑)みたいな。もう!小ちゃい話なんだけど、それって結局ちゃんと、少なくとも座って読んで書き込むとやらないと、ちゃんと印つけられないじゃんみたいなことって、結局これは昔から思ってるんだけど、人間にとって大事なものは背筋力だなみたいな(笑)。何かを創作するときに一番大事なものというか、大事な力は何だといったら背筋(笑)!この背筋がどんどん丸まっていっちゃうんですね。だからずーっとこう肩こりとか。ぐっとやるためには背筋を鍛えなければいけないんだよなーなんてことは30代くらいから分かってましたけどね、ただ、30代の時とかそうなんだよなとか言いながら、実際肩こりだなとか言いながら、若い頃の肩こりと年取ってからの本当の肩こりがやっぱり違うと思うと、これからぞっとするなーなんて思うんですけどね。
 で、またこのICUCで言ってますけど、その肩こりみたいなものって意外に下半身。そうなんですよね。そういうことも最近気づいたんですよね(笑)。上半身は上半身(腕や肩)をぐるぐる回してればいいのかなーなんて思ったけど、実は股関節を動かすことの方が結果上半身にも効くんだということをやっと分かったというね。それってなかなか面白いなーなんて思うんですね。

リベラルアーツ

 で、あと研究みたいな話で言うと、ちょうど今日は週末ですけど、水曜日に麻生川静男さんという方にね、お会いして来たんですけど。リベラルアーツ研究家という方でございまして…そっか!リベラルアーツ研究家ってことだから今日は麻生川先生の本の紹介すればよかったなー。どこにあるかなぁ、どっかにあるんだけどなぁ。(笑)用意しておかないと見つからないことがあるからなぁ。これ麻生川先生の本の方がいいなぁ。ちょっと探してみるか?こんな探してみるか?みたいな動画でいいのかな?今の、僕がいなくなって僕の話って聞こえてるのかな?ちょっとまってください、どこにあるかな〜。どっかにあるんですよ…どこにあるか…でも紹介するならちゃんと話したいもんな〜。う〜ん…まぁいっか。麻生川先生の話はまた今度徹底的に話します。
 リベラルアーツの何が大事だってことと、麻生川先生の問題点っていうと語弊があるな、だって僕が師匠だと思ってる人に問題点っていうのもなんなんですけど。でも問題点があるんですよ。その問題点の話をこの前麻生川さんとお話しして、私もそう思いますって仰ってたんで、そこの部分を話したいなと思うんで、徹底的に麻生川静男スペシャルを話そうかなと思いますけどね。

 まぁいいんですけど。その麻生川先生って本当なんでも知ってる方で、なんでも知ってる方なんだけどなんにも知らない方で。最近の100年は興味ないって言ってるんですよ。だから日本で言うと明治維新以降とか、逆に言うと未来の100年とかもそんなに興味なくて、それ以前の話、それ以降の話をすると。すごい未来の話はするし、すごい過去はするみたいな話で、だから本当にラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語みたいな話から、中国、韓国みたいな話を全部ひっくるめてすごい知を繋げるみたいなことをやられてる方だから、まぁ〜面白いんですよね。
 なおかつ元々理系でプログラミングとかやってた方なので、その方がプログラミング的に文献とか読んでるから、この辞書とこの辞書の違いはここだみたいなこととかを、例えば19世紀の辞書とかを見ながら分析してたりするとまぁー面白いんですね。その頃の中国と韓国と日本の本の装丁の違いとかね。やっぱり印刷とかね、日本の江戸時代の方が丁寧だったりするみたいな話とかも面白いんですけど。

 で、その方と久しぶりにお会いしてね。いつも関西にいらっしゃるんで、久しぶりに東京来るって言うのでお会いして、OEDっていうOxford English Dictionaryっていう全20巻の重いやつ、まだ本出すの大変だから段ボール箱6箱頂いてきまして、それを今まだ車からも出してない(笑)。運ぶの超大変なんです。車にまだ積んであるんですけど。それをね、角田さんに差し上げますって言って頂けたんで貰いつつね、私はワインを手土産に持ちつつ、先生の書斎にお邪魔して。すんごい本があるんですけどね。そこで「最近私ギリシャ語やってまーす。」「おお!そうですか。」「ちょっとプログラミングとかも興味が出始めまして。」「あぁそうですか。」みたいな話で、ギリシャ語でしたらこうやった方がいいですよみたいなね、話とかをすごい教えていただいてね。とても勉強になってなおかつ楽しかったんですけど。

学問が楽しいが分かる人は楽しい

 この楽しい感じっていいですよね!これって今僕が大学に通ってて、大学の先生ともそうなんですね。自分の指導教官の中村先生って方ともすごいいつもお話しさせて頂いてますし、文化資源学の研究長の小林先生という女性の先生ともすごい授業出てて楽しいですし、それ以外にも文化資源学にはたくさんの先生方いらっしゃって。で、当然文化資源学じゃなくて普通に講義を取った先生方とね、やりとりしてる時も楽しかったですし、まあだから今年はね、オンラインだからそんなにやりとりしてなくても、その後、Facebookで繋がったりとかしてて。そうするとその先生方の考え方とかをやってるとすごい楽しかったりするんですよね。
 で、そう思ったときになんかやっぱり学問楽しいんですよね。この学問が楽しいってことが学問が楽しいと思ってない人には伝わってないんだろうなーと思ったときに、この学問の楽しさみたいなもの…、なんなんでしょうね、漫画で言うとマスターキートン(笑)のキートン先生が感じてるあの学問の楽しさみたいなもの。
 でも学問をやってない方でもそういうことが分かってる方って僕ビジネスで会った方でもたくさんいますよね。そういう学問の豊潤な香りみたいなことが分かってる方と話してるとすごい楽しいなーなんて思うんですよね。それが無いなと思う人ってその人が仮にどんなに仕事できて、どんなにお金持ってて、なおかつバリバリ有名人ですと言われても、やっぱり僕は話しててもむしろ退屈になっちゃうんだな。僕の性格ですけどね。

雑食的に体験した後で好き嫌いを

 なんかそんな風なことを最近思うなと思います。だから若い頃って好き嫌いが激しくて、人とかのね。それがそんな好き嫌いなんて良くないよと思いながら30代40代ときて、40代になってから本を出してますから、僕の40代の本はだいたいバラエティ読みというか、バラエティに体験しようみたいな、雑食的な、なんでもまず嫌だという前にまず自分で触れてみて、体験してみて嫌だと思った方がいいよと。最初につまらないと言うんじゃなくて、見てから、見た後でつまらないといのはありだけど、見ないでつまらないはないんじゃないの?みたいなことをずーっと言ってきたんだけど。
 さっきの話で言うと50歳になって見て触れたものとかを一周回って好き嫌いみたいなものがまた出てきた(笑)。ただ若い頃みたく嫌いなものは嫌い!ってそんなにはっきり言うというよりも、ふ〜んそうだねっていう、それも含めてアリみたいな感じで、受け入れつつ自分の人生の中で何と触れてた方がいいなーと思ったときに、そんなに好きじゃないものと触れてても。好きじゃないって事前に決めてるわけではないけども、まあいいかな別に、みたいな。そんな感じで、こうグルグルと、右に左にずれるわけですよ、人の価値観ってね。

麻生川先生の社会人のリベラルアーツ

 今、途中でカット点が出ちゃいましたけど。またPCが落ちちゃったんですよね。ここから撮り直してますけど。で、撮り直してるんで本が見つかりました!麻生川先生の「社会人のリベラルアーツ」。今日本当は違う本を紹介しようと思ったんですけど、この本で続きにしちゃいたいと思います。つまりあれですね、今一回編集落ちて、落ちてどうしたかって言うと本を本棚から見つけてきて、これを紹介してるってことは、なんというか、麻生川先生の本を紹介しろって言うために神様は編集PCを落としたんじゃないかなみたいな(笑)、そんなことまで考えてしまう、またアホっぽいことを言っておりますが、どうもすいません。
 でね、この麻生川先生の本、すごいいい本です。つまりリベラルアーツって何だ?っていうと教養ですよ。リベラル=自由。アーツって言うと武器みたいな意味もありますけど、学問みたいな意味もあってね。アーツって学問でもあり武器でもあるっていう。ここに「本物の知性を磨く」って書いてあるんですけど。
 これすごいオススメなんですね。で、確かに分厚い本で読むの大変かなって思うんですけど、これはなかなか、こういう風に考えればいいんだっていう考え方がわかるから、僕がこの本を知って麻生川先生の深さみたいなものに気付いたなーと思うんですね。

麻生川先生の問題点

 で、さっきの麻生川先生の問題点ってじゃあ何かというと、麻生川先生は他にこういう本も出してるんですよね。「本当に悲惨な朝鮮史」「本当に残酷な中国史」って。

本当に残酷な中国史大著「資治通鑑」を読み解く (角川SSC新書) 麻生川 静男

本当に悲惨な朝鮮史 「高麗史節要」を読み解く (角川新書) 麻生川 静男

 この表紙を見たときにちょっと「んん?」って思ったりしません?別に思わない方は思わないでもいいんですけど。
 つまりこれって嫌中本に見えますよね?これって嫌韓本にみえますよね?で、あのですね、麻生川先生の知識って最近の100年の話はしないって話で言うと、そんな右だ左だじゃないんですよ。だから本当に100年前とかじゃなくて、ほら(本の表紙を指差して)高麗史、せつ、よう、”こうらいしせつよう”っていうんだっけな(笑)?俺が間違えてたらまたバカっぽいんですけど、高麗史節要を読み解くってなってるんですけど、

高麗史節要(こうらいしせつよう)は、1452年に成立した朝鮮の歴史書。高麗(918年-1392年)の正史のひとつである。Wikipedia

 当時の昔の悲惨な500年の歴史ってかいてありますけども、その時の歴史の本を読んで分析してるって意味でいうと、極めて冷静な本なんですよね。なんだけど、こういうタイトルにしちゃいましょうっていう編集者の、なんていうんですかね、この嫌韓ブームに乗っかっちゃおうみたいな感じがこの本の価値を低めてる。高めてるならいいんだけど、低めてる。う〜ん、というのがすごいもったいない。
 だからこのタイトルでもう読まないって思っちゃう人もいらっしゃるじゃないですか。だから麻生川先生にも言ったんですけど、この本ってこういうタイトルで出しちゃうのってすごくもったいなくないですか?っていう話をして、同様にこれ(中国史の方)もそうなんですよね。
 ただ一方で麻生川先生とも全くその通りだねって話をしながらも、というような…、だからってこの社会人のリベラルアーツみたいな本質を知りましょうみたいな本の体裁でいくとですね、手に取らない人は手に取らないんですよね。だからやっぱりこういう(嫌韓、嫌中に見える)タイトルにするから手に取る方も居るという風な編集者が今思ってること、中国は三千年前から困った人ばかりの国みたいな、こういう帯コメントだと本が売れると思ってることって、なんかすごくもったいないなと思うんですよね。
 いや、百歩譲ってですね、別にそういう本を各人を否定しているわけじゃなくて、本はどんな本が出てもそれを手に取るも取らないも自分自身の判断だしということが本当のリベラルだと僕は思うで、別に全然いいんですけど、ただそういうレッテルみたいなものを貼ることでその本の売り上げを上げようってときに、そのレッテルと中身が乖離してるときはもったいないなと思ったときに、麻生川静男さんの教養ってそんなレベルじゃないんですよね。そんなレベルじゃないんだよなーってことを僕はもっと知ってほしいなーってことを麻生川先生とまさに話したんですよね。だから知識みたいなものが知ってた方が得って思うところでもうすでにちょっと僕は浅いなと思っちゃう。
 だから前に言ってたおもひろい。「おもしろい」じゃなくて「おもひろい」話で言うと「おもあさい」。僕おもあさいものってやっぱり面白くないんですよね。このタイトルっておもあさいものに見えちゃうっていうか。こっち(社会人のリベラルアーツ)の方がおもふかい(笑)です。
 だからもしね、リベラルアーツみたいなものに興味がある方はこの麻生川先生の本をぜひ読んでいただけると面白いし、麻生川先生また本が出るって言ってたな。12月ぐらいに。だからそのときに麻生川先生となんかご一緒に動画とか撮影できたりすると面白いなーなんて。一緒にまた対談みたいなのやろうかなーとも思ってるんですけど。

僕が好きな感性が鋭いオヤジたち

 ただね、今コトブキツカサという映画パーソナリティと寿司特っていうのやってて、東京画廊の山本豊津さんと豊津徳っていうのやってて。なおかつ先日撮ったら好評だったんですけど浅生鴨さん、元NHKの広告クリエイター・作家の浅生鴨さんとzoomで対談させて頂いて。それって僕は「天才になる方法」っていう本を書いたものですから、僕たちの天才論ってのを始めようと思ってやってるんですよ。
 それをこう麻生川先生ともやろうともなると、なんか発信もの多いな!みたいな。僕すげぇ発信してるよなーみたいな。修士論文書かなきゃいけないんだけどなーみたいなこととかを思いながら。
 ただやっぱり豊津さんもそうだし、コトブキツカサがどうかは置いておいて、少なくとも山本豊津さん、麻生川静男さん、あと黒崎さんという人がいるんですけど、僕が好きなオヤジたち、オッサンたち。知性と感性が鋭いおじさんが僕の周りにいるんですけど、そう言う人たちをなんかプロデューサーとして盛り上げたいというのはおこがましいですよね。
 恩師というか。恩師ってね、師ってやっぱり教わったと言う意味では学校とかで教わった人を恩師って言うんでしょうけど、別に学校で教わったわけじゃないですけどね、ただこういう生き方がいいよなーってことを身近に感じさせてくれるという意味では恩師ですよね。

僕の恩師・師匠は?

 だから恩師みたいな話で言うとね、「恩人の思想」って山折哲雄さんの本を最近読み終わって。

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恩人の思想:わが半生 追憶の人びと (セミナー・知を究める) 山折哲雄 著

 そのこともどこかでまた触れようかなーと思ったけど、今日はちょっといいかな。その恩師恩人ってなんなのか?みたいなことを考えてて。山折さんがね、人生で出会った3人の恩師について、恩人について語るっていう本だったんですけど。僕の中でそんなに大学時代とかに恩師のように…、僕個人は慕ってたんだけど、慕ってる割にはそんなに研究に没頭してないから、先生とは仲良いけど、恩師だね弟子だね師匠だねって言う感覚になってないみたいな意味で言うと、僕なんとなく恩師っていないよなーなんていう思いがあってね。
 落語家の立川談慶師匠とかと話すと。談慶師匠はね、談志師匠っていう師匠がいて、弟子ですって言えるし。水道橋博士と話してるとやっぱりたけしさんは…、たけしさんは…って言う。やっぱり北野武、ビートたけしという師匠がいて弟子である博士みたいなのがあると、すごいすごい羨ましいんですよね。
 僕はじゃあテレビ局入って恩師、師匠っているのか?って言うとね…、師匠、一人だけいますね。今TBSで取締役やってますけど、うん、まあ、頭がちょっとおかしい人ですけど(笑)。ただ僕はその人に出会って、出会ったからこそTBS辞めちゃったとも言えるし、出会ったからこそ金スマとかやったり、色々エンタメのことも学ばせてもらったけど。
 なんか生き方みたいなことを、テレビマン…、うーん、その方はずっとテレビの第一線にいらっしゃるという意味で言うと、僕はその道を途中で外れちゃったみたいな意味も含めて、その方との出会いって大きいなと思うんですけどね。

赤ペンを引いてない本の紹介

 そう考えるとね。麻生川先生という、普段関西にいらっしゃるから時々メールでやりとりするけども、会うのは1年に1回とか、それで1時間くらいちょっと話すくらいなんですけども。なんかこう知の深さみたいなものってすごいすごい僕に刺激を与えてくれるんでね。まさに今、修士論文を書かなきゃいけないってときに先生と久しぶりにお会いできたのは、すごい楽しかった。
 本の紹介と言うと中身読んでこう言う本ですよとか言った方がいいと思うんですけど、でも別に本の紹介動画でもないんだよな(笑)。なんて言うんでしょうね、どこまで紹介していいか?みたいなことって、ネタバレって言うか、僕がこう思ったっていう話はそんなにしない方がいいんじゃないか?じゃあこの本紹介するな!みたいな話になっちゃうんだけど、この本を読んで皆さんがどう思うか?この本を買って厚いから結局読めませんでした、全然読めますよ?でも、読めませんでしたってなったとしてもその人の人生なわけで。そこに自分がコミットすると結果その本の良さが汚れる?(笑)話が戻ったね結局!赤ペンを入れて本が汚れちゃうみたいな意味とちょっと似てて、この本に赤ペンを入れた状態でどなたかに渡すよりも、その方が赤ペン入れた方がいいんじゃないかなみたいな話で、結果的に話が一巡したということで、今回のICUC知的好奇心向上委員会を終わりにしたいと思います。また来週よろしくお願いします。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。


メモという名の私の感想

 今回頭に思い浮かんだことは「角田さんは本を食べちゃったんだ」ということ。
 YouTubeで松岡正剛さんの本の読み方を紹介してるものがあるんだけど、それが線を引くどころじゃなくて、独自のマーク方法で思いの繋がりを本に書き込んでいく。後日読み返すときは前回読んだ記録も一緒に読んだ上で今回の書き込みをしていく。まさにアーカイブで、別冊にメモとして取らずに本に足していく。
 そのとき、これって「私の本になる」というか「手に取った本を育てる」と思ったのです。よく作品というのは誰かの手に届き、手に取った人の感覚を持って完成するというけど(そういう意味では作品とともに掲示してある説明文って不要という話もあって、それも面白いんだけど)、本もそうなんだと。
 これは5/24の紹介に出てきた翻訳夜話を読んでても思いました。翻訳書って翻訳者の読み方(気持ち)が入るので、もし私が原作の言語に堪能で読みこなせたなら、翻訳版を読んでみたら違和感があるかもしれない。私はこの主人公のセリフならこうしないなーなんてことがあるかもしれない。その辺が村上さんの仰る翻訳することは「かけがいが”ある”」ということなんだと。
 そうすると本に線を引くことというのは、作者の手が届くのは製本までで、その後は読者が育てていく、僕の成長のための栄養として本を食べてるということになると思ったのです。だから角田さんの言う「線を引くと汚れるというか」という感覚は、作者の思いを大事にそのまま残したいという、作者に対する礼儀のような、遠慮のような、愛情のような、そんな気がします。
 なので、本を食べる行為は「ごちそうさま」という、ちょっと別の感謝になると思ったのでした。

 読書が苦手だった私は(そろそろ苦手”です”から”だった”に変えてもいいかなと思う)、2019/11/23、渋谷のCAMPFIRE本社でのICUCで、角田さんに「早く読みたい」と質問し「ゆっくり読んだ方がいいよ」と教わり、その後「読書をプロデュース」を読み、自分なりに読むことが日常になるように工夫してみたのです。
 現在は夜を連想できる本、例えば翻訳夜話とか夜間飛行とか夢見る虎とかは寝る前に読むとか、今月5日からは10分だけ決まった読書をする(現在は「最速で身につく世界史」)とか、気になった本は買うようにしてます。そうすると、10分が終わると自然に他の本を開くようになっています。
 購入方法については自分なりの思いがあって。無職なので出費を抑えるということもあるのですが、誰かの手に渡ったけど手放されてしまった本の里親みたいな気持ちで古本を買っています。確かにその書き込みのせいで非常に読みづらくて書い直したこともありますが、逆に書き込みが読書を助けてくれた場合もありました。(ちなみに書き込みがあったために書いなおした本は、読書用と書き込み用になりました。)

 質問したその日は、2006年に私が長男猫を自宅へ迎え入れた日、子供の頃から待ちに待った猫との生活が始まった日でもありました。

ICUCは
一人一人の知的好奇心がくすぐられるような
さまざまな「ヒト・モノ・コト」を
皆で持ち寄って
話して聞いて調べて楽しんで
自分の知的好奇心をアップデートしちゃおう
って集まりです。
(by 角田さん)
[CAMPFIRE]知的好奇心向上委員会 ICUC
ICUC note

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