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ICUC第31回(篭もって第25回)2020.9.13【科学哲学と自分という雑誌を作ること】

今週もゆったり知的好奇心のアップデート【知的好奇心向上委員会 ICUC】趣味の動画文字起こしメインのメモ。

今日の推薦図書
『科学哲学の冒険』戸田山和久著(NHKブックス刊)

動画 (ICUC先行公開後に一般公開)
ICUC#25「科学哲学と自分という雑誌を作ること」
あっ、そうか!!!いろいろ興味があっていろいろバラエティに手を出すと、仕事量と作業量が増えてやがて体力と気力が尽きる。
そうじゃなくて、あるひとつのことに自分の興味の趣くままいろいろバラエティな要素を入れていけばいいのだ!
なんか、これからの自分の生き方が今、突然、観えた気がする!
つまりこれは自分の中では総合的な知的興味の『雑誌』を作るということを意味する。音楽に限らないオリジナルコンフィデンス=『オリコン』とでも言うような。エンタメに限らない『ぴあ』とでも言うような。多分菊池寛のそういう思いから大正には文藝春秋が産まれたんだろうな。新たな雑誌作りたいな。
ということを話しています!よかったらご覧ください。

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動画の内容
・螺旋階段の上から/逆光?ライト?顔アップ?
・新しい変化/スムージー/引越しノスタルジー
・改めて考える僕のバラエティ/つまり雑誌/文章と動画の線引き
・科学哲学の冒険/科学の線引き
・演繹(de離)、帰納(in入)、推論(ab加)、生産(pro前)+導く(duct)
・英語や漢字でよくわかる/Ductionの方向/知的興味の雑誌
・Conductionとも言える/僕の知的興味を集約するもの
メモという名の私の感想

螺旋階段の上から/逆光?ライト?顔アップ?

 おはようございまーす、バラエティプロデューサーの角田陽一郎と申します。今日は撮影の場所を変えてみました。難しいですよね、後ろに窓があるじゃ無いですか。だからこう(顔を画面から遠くして)やると逆光になって顔が暗くなったり(顔を画面に近づけて)明るくなったりするなーみたいな。だからってすげぇアップにすると明るいんだけどとか。ライトをどうしようとか。色々考えるとどんどん考えなきゃいけなくなっちゃうので、もう面倒くさいから考えるの止めてここでやろうと思っております。よろしくおねがいします。
 でもあれですね、後ろに何にも風景、背景がないと大丈夫かなって思っちゃう。やっぱりこれは職業柄気にしてしまうポイントかもしれないですね。

新しい変化/スムージー/引越しノスタルジー

 今日は何の話をしようかみたいなことで言うとですね。今日13日ですよね、まだ暑いんですけど夏も終わって、自分の中で変化があるって話は先週させて頂いたんですけど、その変化みたいなものをTwitteとかに書いたりしてますけど、スムージーの機械でスムージー作るようになったりとか(笑)。例えばそんなこともすごい自分の中では変わってるんですけど、でもここで「はい!スムージーの機械でーす!」って一瞬やろうかと思ったんですけど、それってなんか宣伝ぽいじゃ無いですか。宣伝ぽく見られるのも嫌だなと思って。
 seasoningってラジオのパーソナリティの市川さんからスムージー機械を放送中に教わったんですよ。厳密に言うとCM中だ。「これいいですよ」「なんて名前ですか?」ってピピっとAmazonで検索して、だって3,700いくらだったから買っちゃおうと思って買っちゃったわけですよ。
 で、買って。自分は本当に何もやらないんですけど、説明書にはバナナとパセリとピーマンを混ぜて作れみたいなことが書いてあって、そんなのできるのかなーなんて。できるんでしょうけど本当にそんなこと何もやらないんで、マズかったら嫌だなーなんて思いつつ作ったら超ウマくて。もうそこから人参とかパイナップルとか小松菜とか色々買ってきて、コレとコレを調合すると美味しくなるみたいなことを今やってます(笑)。
 つまり科学ですね、料理ってね。料理がうまい人って料理は科学ですよと言ったり、料理ってのはアートですよと言ったりする人もいて、原理的にはそうだなと思ったりしてるんですけど、それが自分では出来なかったところがやってみると面白いなと分かって。それが新しいことの一つだと思います。

 あとはこの場所を違うとこで撮影しようかなと思ったのも、今、引っ越してもいいかなと思って物件とか探してて。見つかるかどうか分かんないですけど、見つかったらここで撮影するのもできなくなるじゃんと思ったりして。だからまたノスタルジー(笑)。だから今借りてるとこでも色
んなとこ撮っといた方が面白いかなと思ったりとかね。

 なんか首が斜めになってる感じがするんですよね、うん、うふふふ。いや別にいいんだけど。イマイジナリーラインじゃないくて…バーティカルライン?みたいなものがすごい気になっちゃう。いつも斜めなんだろうな。でもこうやってるとどんどん面白く無い話になりそうだからやめよう。

改めて考える僕のバラエティ/つまり雑誌/文章と動画の線引き

何から話そうかな。Twitterでつぶやいたことから言うと。昨日呟いたのを読まさせていただくと。

あっ、そうか!!!いろいろ興味があっていろいろバラエティに手を出すと、仕事量と作業量が増えてやがて体力と気力が尽きる。
そうじゃなくて、あるひとつのことに自分の興味の趣くままいろいろバラエティな要素を入れていけばいいのだ!
なんか、これからの自分の生き方が今、突然、観えた気がする!

 と、書いたんですね。何かというと先週紹介した「東京返し」という吉見俊哉先生の本をちょうど読み終わったんですよ。で、終わった時にその吉見先生って社会学の先生でまさに東京をぐるぐるまわりながら案内してる本なんですけど。本当に色んなとこから色んな考えが出てくるのが面白いなと思ったの時に、つまり東京裏返しっていうものを企画すれば何でもできるじゃんということを改めて思ったんですね。改めて思ったと言うのは、そういうことがやりたいからバラエティプロデューサーって名乗ってんじゃんってことは薄々分かってたというか、元々そのつもりだったんだけど、バラエティプロデューサーってバラエティに色々やるってなっちゃうと、結局色々やるから大変なんですよ(笑)。一つのことに絞ってるわけじゃ無いとすると、ノウハウも人との話し方も予算の使い方も、それが辻褄が合わなかったりすることとかもあるわけですね。
 一方で先生みたいな事もやり、一方で生徒みたいなこともやる事って、面白いとは言え自分の中のマインド切り替えみたいなものが結構大変だってことがあるのと一緒で、自分が出演する方をやるのと自分が作り手をやるのもマインドの切り替えが結構面倒臭いと思ったりとか、色々やるのが時々疲れるわけです。
 あれ?でもバラエティプロデューサーと言ってるんだから色々やることが僕のレーゾンデートルじゃんって思ってたんですけど、今読んだ文章みたいなことを吉見俊哉先生の本を読んで新ためて気づかされたと言うか、色々興味があって色々なことにバラエティに手を出すとどっち付かずになるし疲れちゃう。
 なんだけど、なんか1個のことにいろんな要素を入れていくっていう風に考えた方がいいじゃんと、そんなこと思って呟いたんですね。呟いた後にすぐ呟いてるんですけど。

冷静になれば、てなことはすでに拙著『「好きなことだけやって生きていく」という提案』や『出世のススメ』には書いてあった。本というのは、実は未来の自分に向けて書いてあるモノなのだ。

 そうそうそう、そうなんですよ。それをずっとずっと言ってるんだけど、そうすると言ってるのに何でそうなってないのか?ということを思ったわけです。そう思うと結局つぎの呟きになるんですけど。

つまりこれは自分の中では総合的な知的興味の『雑誌』を作るということを意味する。音楽に限らないオリジナルコンフィデンス=『オリコン』とでも言うような。エンタメに限らない『ぴあ』とでも言うような。多分菊池寛のそういう思いから大正には文藝春秋が産まれたんだろうな。新たな雑誌作りたいな。

 って書いてるんすけど。そうそう、つまり雑誌ってそういうものじゃないですか。ファッションに特化したものだったらファッションということもあり、文芸雑誌なら文芸に特化してるけど、総合雑誌ってそういうことですよね。色んな情報を一つの記事というエンタメにするということで色んなものが内包されるということは、自分の興味とかが色々そこに織り込めるじゃんと思った時に、まあ僕の言ってることってつまり雑誌なんだなと思ったんですね。

 雑誌っていうと紙じゃなきゃダメなのかって言うと、別にWeb雑誌でもいいわけで。そういうのは全然それでもいいわけですよ。それでもいいんだけど、逆に言えば動画でもいいんですよ。動画でもいいんだけど、動画って何と言うか物事に興味があってそれを突き詰めるとなったときに、それを文章にしたためるのと動画にするというのは似てるようでちょっと違うなってことを思ったわけです。なんで思ったかって言うと、まさに今、修士論文をもう本当に書かないといけないんで、修士論文はテレビのことを文化資源学的に捉えるっていうのを書いてるんで、そんなこと思ったわけです。
 つまりテレビって動画で、動画を作ってきたということを修士論文で文章にしたためようとしたときに、文章で成立することと成立しないことにすごい線引きがあるなと思ったんですよね。そう思ったのはなぜかと言うと、もう今週の本を紹介しちゃうんですけど。

科学哲学の冒険/科学の線引き

 『「科学哲学の冒険」サイエンスの目的と方法を探る』っていう、戸田山和久先生の本です。戸田山先生って「論文の教室」って本がすごい良かったって話(※)をしてて、その戸田山先生って名古屋大学の教授なんですけど、専門は科学哲学なんですって。

※「論文の教室」について話している回
016「伝えること、書くということ/グラヴィティ・ゼログラビティ問題」|ICUC知的好奇心向上委員会
ICUC#022(篭って週間#016)2020.7.12【伝えること、書くということ/グラヴィティ・ゼログラビティ問題】|彩

 この本を何で読むかというところは僕が修士論文を書いているところと関係があって。さっきのテレビ番組をどう論証に持ち込むかというときに、どういう風に持っていけばいいでしょうねと指導教官と相談してたら、これ読んでみたらヒントがあるんじゃないの?と言われて「科学哲学の冒険」という本と。
 そうしたらですね、面白いです。文章を書きたい人は「論文の教室」は本当に読んだ方がいいと思うんですけど、これは哲学だから論理的なことが論理的かどうかみたいなことを話してるから、もう分かんない!と思っちゃった人にはすごい苦手だろうと思ってて。
 なかなか難しいんですけど、読んどいた方がいいよと言ってこれ読んで、読んだら分からなかった、だから読書ってむずかしいじゃんって思っちゃう人が一定数いるなとは思います。で、一定数いる本を勧めちゃうから本嫌いって増えるんだろうなと一方で思うので、この本を勧めないのに紹介してるってのもまた嫌なんだけど、すごい僕的には刺さりました。僕的には刺さったんだけど、皆さんに読んだ方がいいって言うかどうかは分からないです。

 分からないんですけどね、その科学哲学ってのはそもそも何なのかということって、僕は大学時代に村上陽一郎先生(※)っていうね、当時田村正和に似てたんですけどね。陽一郎って下の名前も同じなので興味があって科学哲学の授業って結構取ってたら面白くって。まだ御存命でばりばり働いて執筆を進めてらっしゃいますけど。

※村上陽一郎
Wikipedia  ─  Amazon

 村上陽一郎先生の専門って科学哲学なので、科学哲学って面白いんですよね。つまりこの「科学哲学の冒険」ってところはまさにそういうところなんですけど、科学ってみんな正しいと思ってるじゃないですか。一方でインチキ科学みたいなものがあるじゃないですか。インチキ、迷信というか。その差はなんなんだというときに、どこで線引きしてどこで線引きしないのかみたいなところを考えるのが科学哲学なんですよ。でね、仮にですよ、この本に書いてあることというより一般論で言うと、その科学が正しいと思って、一方でとんでもだなと思うことの違いって、それが論文になってるとか、偉い教授がこれは正しいですよと言ってると、みんな正しいと思うじゃないですか。それって実は社会が決めてませんか?みたいな。社会が権威とかで決めてるだけなんじゃないの?っていうようなことを論証してたりとか。そんなことない、科学というのは自然に正しいことで、でも自然に正しいと言ったってそれが観測されてるのか?されてないのか?みたいな。
 例えば電子って本当あるかどうかわかんないんですよね。あるんですけど小っちゃくて目に見えないから。あるという風にしておいて色々やった方が、結果的に電子レンジが出来たり、ブラウン管テレビが映ったりするっていうのはあるんですけど、技術に応用されてるけど果たしてその元々の電子の理論というのは科学的なんでしたっけ?みたいなことが疑問点としてあがる。それを今この世界の人たちがどう考えてるか?ってことが「「科学哲学の冒険」サイエンスの目的と方法を探る」っていうことなんですね。

公理は理由なく決まる/真贋論争ってナンセンス

 で、さっきの話とも繋がるんだけど、これが正しいか正しくないかみたいな話はずーっとずーっと子供の頃から疑問に思ってて。数学で言うと公理って習いますよね?三角形は内角が180度ですと決めるみたいな。で、決めたらこうなる、こうなる、こうなる…なんだけど、その公理ってのはなんで決まるんだっけ?ということとかが、ちょっとだけ僕の中では納得いってないところがあったんですよね。まぁ子供心にというか。詳しいことが分かってるか分かってないかということではないんだけど、なんか分かってなかったんですよ。
 で、それがどうやって決まってるかみたいなことって、さっきの社会的権威のある人が言ってるから正しいみたいなことって、そうじゃないだろという議論も色々あるんだけど、結論から言うとその公理が正しいかって何で決まるかと言うと、つまりその疑念は究極的には払拭できないんですよね。僕らはみんなが正しいと思うから正しいんでしょって言う直感に頼ってるみたいな。それがキリスト教だと神様が作ったこの世界はこんなシンプルな数式じゃなきゃおかしい、何故なら神が作ったんだからという神の絶対性のところに論拠を持って行くしかなかったりするんですよね。
 それが村上陽一郎先生の本読んで面白いなと思ったんですけど、戸田山先生の本に書いてあるのは、つまりその疑念を払拭できず、とりあえずそうした方が世の中うまく進むでしょ?ってことなんですって。でね、これって科学的と言われてる見地も実はそこなんだと考えると、昨今のネット等でのあらゆる真贋論争ってあるじゃないですか、正しいの正しく無いのとか、コロナ禍によるPCR検査はどうだのどうじゃないのとかって、そういうことも含め、たくさんあるなーなんて思った時に、その真贋論争って今の科学哲学の成り立ちを考えると全くナンセンスななんだよなってことが少なくとも分かるというか。それが分かった方がいいというより、分かると言うことが面白いなと思うんですよね。

演繹(de離)、帰納(in入)、推論(ab加)、生産(pro前)+導く(duct)

 っていうようなことをこの本は紐解いてくれて。面白いですよ。結果的に科学的実在論みたいなものっていうのが、なんとなく信じられている科学の正当性とかが、反実在論とかそういうもので反証されていくみたいなことが面白いなと思ったのと、この本に書いてあるところを超えちゃうといえば超えちゃうんですけど。

 論証って演繹法と帰納法ってあるじゃないですか。演繹法と帰納法って言われて「はいはい」って分かる人はいいんですけど、その辺が出てくると途端に分からなくなるよなーって思った経験、皆さんあるんじゃないかと思うんですね。で、数学的帰納法とかね、なんかやったと思うんですけど。で、帰納法とかって僕もときどき論理的なことが分からなくなっちゃうから文系に行ったんじゃないかななんて、ちょっと思うんですけどね。なんかすごい難しいなと思ったんですよ。で、思ったんだけど、この本で一番僕がほぉ〜(驚)!っと思ったのって、この本が書いてるからじゃないんですけど。
 言葉に英語が書いてあるわけですよ。英語で元々なんて言うんだと書いてあるんですけど。そうすると演繹法ってDeductionって言うんですよ。deという接頭語がついてduction。ほぉ〜Deductionっていうんだ〜って思ったんですよ。で、帰納法というのは何なんだといったらInductionって言うんですよ。あれ?deって離れるって接頭語なんですよね。inって中に入るみたいな意味でのInduction。ほぉ〜そうなんだ〜なんて思って。
 で、帰納法の中のInductionの中に推論をするみたいなものがあって、その推論みたいなものって何なんだ?みたいなことを考えると、Abductiontって書いてあったんですね。Abdductionっていうんだ、ふぅ〜んなんて思ってたりして。で、そうそう、ちょっとメモ、ノート見ていいですか?あぁあったあった。

 演繹というのはDeduction、帰納というのはInduction。Ductって導くみたいな意味なんですけど、だから外側にDe・ductionすると演繹で、In・ductionで中の方に導くと帰納法なんだと。まぁでもよく言ってること分からないじゃないですか。と思ってAbductionってのが出てきたから、仮説を立てるみたいなことをAbductionって言うんですけど、なんかカタカナでアブダクションって聞いたことあるよな映画のタイトルで…とか思ってAbductionって調べたら誘拐って意味があるんですよね。誘拐、拉致とか。
 つまり仮説を作るってことと拉致って英語で同じAbductionって言うんですよ(笑)、abって加えるみたいな意味ですけどね。だから加える方に導くみたいなことだから推論をするって意味なんだけど、誘拐することもAbductionっていう。へぇ〜!と思って、面白いなと思った時に、接頭語を変えていくという意味で言うと、あと接頭語って何がある?って言ったら、preとか。でもPreductionってなかったのかな辞書みたら。で、obってのがあってObductionがあるんだなと思って調べたら司法解剖とか検死って意味があるんですよ。で、あともう一個proって接頭詞があるなと思ってProduction…?!プロ、プロダクション!!プロダクションってプロダクションじゃん!僕らがよく使ってる〇〇プロダクションとか、プロデュースの同じ語源の。あれ?!みたいな。そこでProductionを調べうと生産とか製作、プロデューサーのプロダクションですよ、まさに。

英語や漢字でよくわかる/Ductionの方向/知的興味の雑誌

 あぁなるほど!と。演繹とか帰納とか仮説推定とか言われちゃうとイマイチ分からないんだよなって思うんだけど、物事を何か作るのは前へ、Proは前へって意味だから。前へ導く、だからまさに生産みたいなものがプロダクション。その前に出すのが生産で、中にやっていくのが帰納なんだと。だから帰納法って誘発とか導入とか、あと徴兵もインダクションって言うんですよみたいな。面白ぇな!
 漢字二語にして難しく考えると分からない。漢字にすると分かることもあるんですよね。だけど英語にすると何かすごいわかるってことが面白くて。なるほどプロダクションなんだ。プロデューサーなのでプロダクションをいつもしてるとすると、外側にDuctするとDeductionになって演繹法になるんですよね。
 だからなんかプロダクトだけのものを作ってて演繹とか帰納は考えるで、アブダクションは誘拐だみたいなことですけど、まぁ推定するみたいなことで言うと、基本的には自分の脳内でその方向に向かうみたいな。Duction、Ductするみたいなことをどの方向にするかで帰納法にもなるし演繹法にもなるし仮説推定にもなるし、製作・生産にもなるんだみたいなことを知って、自分の中ではちょっと興奮してたんですよね。

 だからこの話、本当に面白いかは別なんですけど「科学哲学の冒険」で僕が面白かったのはまぁそこですかね。で、そんなような本の紹介に入っちゃいましたけど、その中でさっきのをもう一回読みますと。

つまりこれは自分の中では総合的な知的興味の
『雑誌』を作るということを意味する。

 それってつまり僕はDuctした、Dctionしたいんでしょうね、僕ね。で、インダクションだしディダクションだみたいなことって演繹だ帰納だということは置いといて、今まではプロダクションしてきたわけですよ。その生産物をもう一度中に入れて、それは何なのだ?と考えるインダクションをしてみたいし、そこから離れてディダクションもしたいし、誘拐したいというよりはアブダクション、推量してみたい。そんなことをすごい思ったんですよね。

 だから菊池寛さんが文芸春秋という会社を作って、今は文春砲みたいな雑誌と思われてますけど、あれだって基本はトピックは色々なものに分かれてるじゃないですか。自分の中の興味、トピックみたいなものをプロダクトすると……うん、そうか。だからこうとも言えるのか。プロダクションするとやっぱりちょっと動画に近くなるんだな、僕のイメージでは。そうじゃなくて僕が興味あったものをインダクションをして行くみたいな、そうすると帰納法になっちゃうんだけど、でもなんかそういう風に溜めてくイメージが僕の中では雑誌と言ってて、それはやっぱり言葉じゃないとだめなんじゃないかとちょっと思ってるんですよね。

 この言葉の意味みたいなもの、それを言葉にすることがインダクションできると言うか(笑)、そんなようなこと思ったんですね。そう思った時にただ思うだけじゃ駄目で、なぜ雑誌みたいなひとつのものに集約しなきゃいけないかというと、それを見た人からもしかしたらお金を頂くみたいなことというか、雑誌ってそいういうことですよね?
 つまりそうしない限り、ひとつのことに自分の興味を入れるというのはなかなか難しいなと思った時に、ひとつのことに入れるというのはどういうことかと言うと、つまり自分の考えたものを雑誌にして、それを欲しいと思ってくれる人とか、ある一定の人の興味に共感するような、なんかそういうものがないと駄目だということですね。

Conductionとも言える/僕の知的興味を集約するもの

 ごめんなさいね、今検索しますけど。接頭語の話してましたけど、conっていうのもありますよね?Conductionって言いますよね、Conductですよね…
 Conduction=伝道、誘導、はぁ〜。conって「ぎゅっ」って意味ですからね、(両手でボールを握るようにしながら)ぎゅって(笑)。Conductorって指揮者ですもんね。いやいやごめんなさい、急に思っちゃって調べちゃいました。だってinとかdeとかproって話をしたから、それ以外の接頭語conって忘れてたなーなんて思って調べちゃったんですけど。

 うん、だからコンダクションしたいとも言えるんだな、自分の思いをね。なんかそんなことをすごく思うわけですよね。話が戻るんだけど、そうすると、そう思ったことを一定の人に共感を得られるものじゃないと、その人だけ、僕だけがやってても、やってただけでもいいんですけどね。やってるだけでもいいんだけど、それだとそれ以外に働かないと駄目じゃないですか(笑)。そうですね、それ以外に働かなきゃ駄目ですよね。それ以外に働いても当然いいんだけど、そうすると結果的に色んなものに手を出して心身ともに疲れるってことに似ちゃいますよね。そうすると本質的にはそれを防ぐためには自分の思った興味みたいなものをどう一つに集約していくかを考えた方が、自分の興味がどこにあっても全部集約できるみたいなものが出来ると面白いなと思ってますね。
 だからオリコンって書いたのはオリジナル・コンフィデンスって、オリジナルなコンフィデンス=信頼みたいな意味ですけど。オリコンって今でもありますけど、最近はWEBに軸足を置いてやられてますけど、音楽に限らないオリコンみたいなものは別にランキングかどうかは置いておいて、自分の今の知識とか思ってることのコンフィデンスを、オリジナルなコンフィデンスを世に出すみたいなことは、なんか雑誌として一つの考え方なんだなーなんてね、そんなことを思ってる次第でございます。

 後はあれですね、昨日とかはねネット配信でムーンライダーズの慶一さんと博文さんと良明さんのライブを観たりとか、その前にはマギーさん演出のね、「私の耳」っていう3人芝居をネット配信でやったのを見たりとか。で、修士論文書いたりとか、物件探したりとか、スムージー作ったりとか。なんかもう、なんか今やってることってのが趣味なのか仕事なのか本当に分かんないよなーとか。科学哲学のの冒険を読み終わり、東京裏返し読み終わり。ただそれが何か一つにまとまってそれでこう、利潤を生み出すというといやらしいんだけど、自分がリサイクルできるというかね、そう思ったことを世に出すことでうまくいくといいよなーって思いながら、そんなことを話しております。


メモという名の私の感想

 無職どれだけ暇なのか。ラジオもちゃっかり聞いてますが、市川さんはコロナ中に4kg減量と仰ってた。偉すぎる。ヨウイチロウさんは2kg戻っちゃったと嘆いておられましたが、ストウブで米炊いてるし(炊飯器より早くて美味いんですよね)、次はスムージー。組み合わせを調合と言うのって、いつか聞いた世界一美味しいコーヒーのお話を思い出しました。温度も鮮度も種類も状態も淹れ方は徹底的に科学し、それを披露しながらコーヒーを抽出するマジックの組み合わせ。調合ってまさに科学。

 何でも知ってそうなヨウイチロウさん。それでも小さなことに驚いたり喜んだり面白がったりされてる印象が強いですが、今でもバラエティプロデューサーって何をする仕事だろう?に立ち返ってるのは驚き。そうか、東大に戻るというのもそういう一面があるかも知れない。自分で積み上げてきたものに嘘はなくても、実はよく知らずに積み上がってるものもあるかも知れない。そう考えるともう一度大学に戻って今度は積み上がったものを見てるうち、自分の揺るぎない軸だと思ってたものも新たに捉え直せるのかも知れない。
 哲学ってそうだと思われてることを何でそういうことになってるんだっけ?と問い直すところが入り口ですもんね。違ったっけ?まあいいや。私にはそもそも何をこれって何でこうなんだっけ?の対象にするのか?その方が難しい。そのためにはずっと手を付けなかった読書から行くのが妥当だろうとだけはわかる。とりあえず、積読になってる論文の教室を読もう。

 馬鹿でも覚えるde/in/ab/ob/con/pro+duction。覚えたのかな?と夫相手に一通り喋ってみたら、とりあえず言えた。東大行くような人ってこうやって物事に興味を持つ形で知識を入れていくのだと聞いたけど、なんか初めて体感できた気がする。
de離、in入、ab加、pro前、ob反、con共、ductは導く、conは、ぎゅっ。

 ほとんど雑誌も買いませんが、実はひとつ買ったのです。ICUCで紹介された「翻訳夜話」から、柴田さんが編集されてらっしゃるMONKYって雑誌を。あんまりおしゃれで、持ってればインテリになれる気がして、中身も見ずに年間購読しそうになって危なかった。美容院や待合室でみる雑誌と違って読み物としての雑誌。雑学、雑貨、雑談、雑誌、ヨウイチロウさんは【雑知】という言葉も作ってるので、もし雑誌ができたらすごく面白いそう。できたらいいな。

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