当事者であること
岡田利規『未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀』という戯曲を読んだ。
新国立競技場建設において、建設費高騰の「責任」を押し付けられ、一度決まったデザインをひっくり返された設計者ザハ・ハディドを「シテ」にした『挫波』と、日本のエネルギー政策の「夢」を託されながら、一度も正式稼働することのなかった「もんじゅ」の地元を描いた『敦賀』からなるこの連作戯曲を読んで、「当事者性」の欠如を実感した。社会全体において、あるいは自分自身において。
先日、金沢に遊びに行った。北陸新幹線がまだ金沢で止まっている2023年現在は大阪・京都からサンダーバード一本でアクセスできることもあり、関西の大学生はやたらと金沢に行く、らしい。だが、僕は今まで金沢を訪れたことがなかった。たまたま大学時代の仲の良い先輩は一か月だけ金沢勤務になるということで、「どんなもんじゃい」精神で初めての金沢に行くこととなった。
いわゆる「金沢」を体験しようということで、21世紀美術館や兼六園は行くことは決めたが、具体的なスケジュールは何も決まっていなかった。とりあえず車を借り、日本海を走っているときにふと、『敦賀』を思い出した。北陸と言えば、原発銀座。福島の被災地を見たこともある。原発関連のドキュメンタリーもいくつか見てきた。でも、よく考えたら、原子力発電所そのものを観たことはないことに気が付いた。
「原発見に行きません?」
これがメインイベントとなる。
北陸電力志賀原子力発電所。3.11以来稼働していないその原発は能登半島の根本にある。金沢から一時間強。まさに「何もないド田舎」に、突然現れる大きな壁。刑務所か、あるいは軍事施設とも思わせるように、有刺鉄線や監視カメラが多数設置されていた。しかし、肝心な発電施設は、煙突の先っぽを除き、全く見えなかった。本当に「ゲンパツ」なる施設がその壁の奥にあるのか、その実感を得ることはできなかった。
原発のような大きな公共施設の周辺には、その事業者が設置する、「地域理解」のための施設が存在することが多い。今回は子供向けに原発を紹介する「アリス館志賀」と、町が所有する「花のミュージアム フローリィ」に訪れた。
「アリス館志賀」は屋外には遊具、館内にはキャラクターが原発のメカニズムや安全性を紹介していたり、クイズなどのコンテンツがあった。
施設に入ってすぐ、インフォメーションにいた受付の職員の方に施設の概要を聞いた。その職員は若い女性で、北陸電力の名札をしていた。地元のアルバイトなのか、あるいは北陸電力に入社した後、配属されたのか、事情は解らないが、本当に一日が長い仕事だろうな、と思った。
平成初期にオープンした「アリス館」の展示も、平成初期の「レトロ感」溢れる物であった。映像のクオリティも、子供が遊べるミニゲームも、30年前から全く更新されておらず、故障したコンテンツは修理すらされない。さらに、原発の安全対策の万全さをアピールするビデオでは、キャラクターの「原発が爆発しちゃったよ~」というセリフを聞いた。福島原発の事故以降、原発はセンシティブなものなのに、差し替えられもしない。その場所は、「原子力が夢のエネルギー」であった時代から、完全に時が止まっていた。
僕自身のイデオロギーとしては、反原発でも何でもない。活用すべきものは活用すべきであり、専門外だが科学的に常に検討されるべきであり、最終的には政治においてきちんと方針を決めるべきである。だが、志賀原発を訪れて、完全に放置されていることを実感した。30年前から時が止まった町。自分たちとは全く関係のない話にしか感じられないことが怖く感じた。
もう一つのPR施設、「花のミュージアム フローリィ」は11月いっぱいで事実上閉館になるらしい。庭や温室で様々な植物が育てられ、洋風の建物もすごく美しかった。いつかこの施設でサスペンスでも撮ってみたいと思ったが、それも叶わなくなるだろう。美しい草木のすぐ奥に見える有刺鉄線とドローン禁止の看板がいい味になると思ったのに。
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