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『奈落の翅』、『由宇子の天秤』、『空白』、『MINAMATA』

今回は最近観た映画の中で、特に面白かった4作品を紹介したいと思います。


『奈落の翅』

富士宮を舞台に実際に起きた暴力沙汰を、当人である不良達に演技させて撮った自主映画で注目された小林勇貴監督。20代で商業デビューを果たした『全員死刑』は映画評論家の町山智浩氏に、「日本のスコセッシ」「2017年のベスト!」、と言わしめる程の実力派バイオレンス映画作家であります。

そんな彼がコロナ禍で制作した自主映画の新作、『奈落の翅』はオリンピックで競技として注目されたスケボーがモチーフになっています。

まず上映スタイルや円盤(Blu-ray)の販売方法が画期的だと思いました。僕はBOOTHでのオンライン販売で『奈落の翅』のBlu-rayを購入したのですが、小林監督自信がTwitterでゲリラ的に数枚限定の販売を告知します。それの争奪戦になるので、うかうかしている内に完売してしまう訳です。また上映も映画館でかけるという事はせず、ライブハウスでのイベントという形で上映したりしています。

内容もめちゃくちゃ面白いし、特殊な上映形態と販売形式で観る事自体がレアなので、真の意味で新たなカルトムービーの爆誕を、リアルタイムで体験出来る興奮を味わいました。

本作の主人公が会社でスケボーの事ばかり考えて、仕事が手に付かなくなっていく様子は、小林監督がかつて会社勤めをしながら自主映画を撮っていた日々と重ねて描いているのではないかなぁと思ったりしました。


『由宇子の天秤』と『空白』

ワイドショー的な報道のあり方や、それに伴うネットリンチが問題視され、コロナにより、その酷さが更に加速した昨今ですが、ほぼ同時期にそれらを題材にした傑作が2本公開されました。

『由宇子の天秤』は僕が不勉強な事もあり光石研さん以外、殆ど知らない役者さんばかりでしたが、主人公の由宇子を演じた瀧内公美さん、何処かで見た事あるなぁと思っていたら『大豆田とわ子と三人の元夫』で東京03の角田を翻弄する女優を演じていた役者さんでした。

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一方『空白』は、松坂 桃李、古田 新太、寺島 しのぶ等、みんなが知ってる達者同士の演技バトルが見どころになっています。古田新太さんと言えば『逃げ恥』に代表されるようなコメディリリーフとして、脇を固める役者さんというイメージがありますが、本作では粗野で厄介な親父を暴力的に演じており、普段の生活では絶対に関わりたくないタイプですが、そこに妙な色気を漂わせる不思議な魅力がありました。

この2作品にはテーマ以外にもう一つ共通点があります。それは撮り方です。『由宇子の天秤』はドキュメンタリータッチと言いますか、ドキュメンタリーを撮っている主人公を見えないカメラ(映画の中の登場人物にとって)がずっと追っかけている風に撮っているんですね。ですからカメラがずっと手持ちでぐらぐら揺れている。それによって寄る辺ない感じが演出され緊張感が生まれます。『空白』もドキュメンタリータッチではないものの、手持ちで、あえてのぐらつきで持って緊張感を演出しています。個人的な好みとしてはもうちょっと緩急を出す為に、黒沢清監督やデヴィッド・フィンチャーのように基本は三脚にカメラを置いて欲しいなぁと偉そうに思ったりしましたが。また両作ともに印象的な登場人物のバックショットが散見されます。正面からのアップが答えを提示するものだとすると、後ろ姿は観客に問いを投げかける作り手の姿勢を反映しているのではないでしょうか。また人の心の分からなさを描いている点で、『由宇子の天秤』と『空白』は共通しており、そこもバックショットが上手く機能しているように思います。

『空白』は絶望の中に微かな希望を残して終わります。それは古田新太演じる父親が、不慮の事故で死んだ娘と生前、全く心を通わす事がなかったのに、最後の最後で、実は同じ景色を見ていた事が分かります。『由宇子の天秤』の主人公は様々な試練を通して、自身の大切な物を篩にかけ続け、どん底に堕ちた後に彼女は何を選択するのか。それはドキュメンタリー作家としての誠実さ、つまり自分にとって不都合な事も全部撮るという結論に行き着いたという事だと思うのですが、とにかくラストの長回しが衝撃的でした。


『MINAMATA』

ジョニー・デップがプロデュースも兼ねて主演した『MINAMATA』。タイトルはアメリカ人の写真ジャーナリスト、ユージン・スミスが日本の四大公害病の一つ、水俣病を取材し完成させた彼の遺作である写真集『MINAMATA』から来ています。

本作の音楽を手がけるのは、環境問題に取り組む活動でも知られる世界の坂本龍一です。

まず役者が皆さん素晴らしく、ジョニー・デップの抑えた演技も良かったのですが、僕は、特に真田広之が魅了的でした。還暦なのに若くてエネルギッシュで、やはり師匠が千葉真一だけあります。

水俣病については社会の時間で、なんとなく習った記憶はあると思うのですが、出来るだけ簡潔におさらいすると、熊本県水俣市にある大企業チッソの工場排水に含まれていた有機水銀に汚染された魚介類を口にした地元の人々が次々に発症した公害病です。時は高度経済成長期、国にとってもチッソは経済の支えとなる企業と見做され、患者達の声は届かず、補償を受けられない状態が続いていた。経済が優先か、人命が優先か、残念ながら現在でも起こっている問題です。

本作は世界中に衝撃を与え、その後ユージン・スミスの代表作になった一枚の写真を撮るに至るまでを描いています。それは『入浴する智子と母』と呼ばれる写真です。智子さんは先天性(胎児性)水俣病の患者で、生まれつき脳性小児まひに似た症状があり、運動・知的発達の遅れや四肢の変形などが見られる。かつて胎盤は、あらゆる毒物から胎児を守るものだと信じられていたが、水俣病はそんな医学的常識を覆した。母親が智子さんを横に抱き抱えてお風呂に入れている姿は、ピエタ像を連想させる。

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ユージン・スミスが目指す、アートとジャーナリズムの融合の真骨頂に当たる一枚です。『水俣のピエタ』と称されるこの写真は、一時期封印されていたそうです。映画『MINAMATA』製作に伴い封印が解かれるに至った複雑な経緯は、『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』に詳しく、また映画と並べて読み比べると、脚色されている部分と事実の部分がはっきり分かるので一読をお勧めします。

自分の話になりますが、三重県の四日市にある大学に通っていて、そこで映像の勉強をしていたのですが、とある縁で四日市ぜんそくの最後の原告、野田之一さんのインタビューをまとめたドキュメンタリーを制作した事があります。思い返せば丁度10年前、当時バカな大学生で(大学生が抜けただけで今も相変わらずですが)、自分には出来ないと思い逃げ回っていたのですが、周りにお尻を叩かれ、引き受ける事になりました。それは大学生の女の子が大学の講義で野田之一さんの事を知り、四日市ぜんそくについて興味を持ち、野田さんに直接お話を聞きに行くという内容で、15分程の作品になりました。2011年、福島の原発事故があった年でもありました。『MINAMATA』や野田之一さんのお話を紐解いていくと、政府や大企業の横暴に立ち向かう、市民運動の歴史があります。彼らは、港町の漁師さんだったりする訳です。社会をより良くするのは、政治家や大企業の社長なんかではなく、僕ら一人一人の手にかかっているという事を、この悲惨な歴史から学ぶ事が出来ます。

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