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内申点って本当に必要?

こんにちは、ふくだです。

今日は、学校での内申点について考えたいと思います。

1.評価の仕方は2つある

学校の成績は大きく分けて絶対評価相対評価があります。

絶対評価とは、テストで

100~90点で評価5
89~75点で評価4
74~55点で評価3
54~20点で評価2
19~0点で評価1

のように個人の点数で成績が決まります

ほとんどが成績5の場合も起こりうるわけです

次に相対評価とは

集団の中で自分がどの位置にいるかで成績が決まります

例えば成績が上の生徒から

10%が評価5
20%が評価4
50%が評価3
10%が評価2
5%が評価1

のように決まります

ですから、もし自分が50点だったとしても

周りが40点ばかりであれば評価は5になるかもしれません

これらのふたつに共通することは

学校次第でテストが違ったり、周りのライバルの学力が違うことで

評価が変わってしまうことです

そこで出てくるのが文科省が頑張って作った学習指導要領です


2.内申点にある評価規準見ていますか?

さて、通知表が返されて真っ先に見るのは内申点でしょう

前と比べて数学が上がったとか

合計点が下がったとかじゃないでしょうか

学校にいるオール5の人をいち早く探したりもしていました笑

自分は、美術と音楽がどうしても5取れませんでした…

今回はそこではなくて

内申点の数字の横に必ず単元の評価規準という欄があります

例えば中学数学では

・数学への関心・意欲・態度
・数学的な見方や考え方
・数学的な技能
・数量や図形などについての知識・理解

の4つです

国語だけ5つあったはずです

これらがAなのかBなのかCなのかで内申点は決められています

教師はこれらを評価した上で内申点を出しています

できる限り公平に評価できるように作られたと思います

ん?

関心・意欲・態度って公平か?

これは自分が学習指導案などを作る練習していた時に感じたことです

ここ、かなり主観になるんです

ここの一般的な評価方法としては

・ノートやワークシートを取っているか
・ワーク提出しているか
・グループワークに参加しているか
・挙手の回数

などです

上の3つは特に主観が入ってしまいます

そして4つ目の挙手の回数なんて評価に入れてしまうのは論外です

こんなに公平でない評価方法はありません

生徒を当てるのは教師であり、当てた生徒の名簿に正の字なんて書くようならば最悪です

これは教師側のための評価規準でしょう

自分が中学生の時、全然当てられない友達が

自分が手を挙げていても当てられない回数を机に記録していました笑

でも本当に

よく当たる生徒となかなか当てられない生徒が出てきてしまうと思います


3.現在の内申点制度なんかやめようよ

上のタイトルが自分が思っていることです

中学1年生に習った単元は中学1年生のテストで出来なければならないんでしょうか

中学2年生の途中にその単元が他の単元と結びついて完璧に理解したなら

それで良いじゃないですか

その時のテストだけできて

中学2年生になったら全然覚えていない生徒よりよっぽど良いと思います

でも現在の評価方法では

その時のテストで内申点などが決められてしまいます

これを高校受験に利用していると思うとゾッとします

最後に、学校の先生もある意味被害者なんじゃないかなって思います

文科省に決められたように評価しなければならない

また、生徒全員に5なんてつければ学校にいられなくなるんじゃないでしょうか

生徒のためになる評価方法を考える必要があると感じています

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