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栃木県郡市町駅伝のこと

裏方として関わった、2024年1月の「第65回栃木県郡市町対抗駅伝競走特別大会」に関して、感想と意見などをまとめました。65回を数える、伝統の大会。形を変える好機と考えます。


トラックレース積算方式

栃木県郡市町対抗駅伝は前回開催の2023年1月、3年振りに公道で実施されました。しかし、2024年1月28日に行われた今回は、コロナ禍で行われていたようなトラックレース積算方式で実施されました。

多方面から伝え聞く内容をまとめると、2024年1月の大会がトラック開催に至った経緯としては、次のような流れであったようです。

  • 前回、3年振りに公道で駅伝を開催したところ、県民から厳しい内容の苦情が多数寄せられた。

  • 安全確保と適正運営のため、警察・警備員の増員が必要。

  • 警官の動員を増やすのは非常に難しい。

  • 警備員の人件費が高騰しており、結果として明らかに財源不足。

  • 一度、トラックレース積算方式で開催し、その次の年の大会を新企画で行うための準備期間に充てる。

レース前には「感染症が5類に移行したのに、なぜ今さらトラックレースの積算タイムで競う方式なのか?」「次回は従来通り、栃木県庁発着のコースで行うことができるのか?」など様々な意見が飛び交いました。その多くは、今回の判断と対応に不満を示すものだったと思います。

イベント的には盛況でした

そうはいいつつフタを空けてみれば、ふるさと選手や、通常では県内競技会に参加する機会が無い大学生有力選手なども多数出場されました。大会の間に挿入される形で行われた小学生駅伝=1000m5レースを含め、大会は1日を通じてずっと大きな歓声に包まれ、盛況でした。

選手個々の記録も集計したところ、この大会で多くの選手がPB(自己ベスト)・SB(シーズンベスト)を更新していたことがわかりました。タスキをつながない駅伝とはいえ、地元チームの対抗大会であり、地元テレビ局による中継生放送もありましたので、参加選手の多くは丁寧に調整して臨まれていたのだと思います。

例えば男子5000mでは、ある高校3年生がベスト15分20秒から14分47秒に更新。シーズンベスト15分31秒の社会人選手が、2年ぶりの14分台・自己ベストとなる14分55秒を出すなど。こうした選手はもちろんのこと、多くの選手にとって、思い出に残る大会になったことと思います。

次回、公道で開催できるか

先に記したように、この歴史ある栃木県郡市町対抗駅伝については「一度トラックレース積算方式の大会を猶予期間的にはさんで、次からは公道で」という流れで、進められることになっているようです。

一方で、この駅伝の2週間前頃に、過去恒例で行われてきた「県南五市対抗駅伝」は、廃止になったと聞きました。足利市から小山市をまでを結び、幹線道路をコースとする駅伝でしたが、交通事情が主な理由となり、廃止に至ったとのことです。

また、そのほかにも県内で行われてきた駅伝大会のいくつかが、公道から運動公園内を会場とするコースに変更されるなどの動向があるようです。

郡市町駅伝は果たして次回、無事に公道で開催できるかどうか。どのような区間配置になるのか。注目されるところだと思います。

その昔、私の選手時代には「東日本縦断駅伝」という、青森から東京まで1週間かけて東日本17都道県で競うという特殊な駅伝があり、私は栃木県代表として合計4回出場させていただきました。

当時、多くの社会長距離選手の貴重な晴れ舞台であったこの大会は、2002年の第45回大会を最後としてパタリと廃止されてしまいました。大変失望したのを記憶しています。この郡市町駅伝も急に無くなるなどのことがないよう、そして県内競技者や愛好者の憧れの大会として続けられることを望みたいと思います。

これまでの歩み

その昔は県庁から日光市総合会館まで、日光街道を利用して往復するコースで行われてきました。今とは異なり、箱根駅伝のように山登り・山下りの区間があるなど、趣がありました。一般・高校の区間は、今に比べ距離が長かったのも特徴的です。約10kmが5区間に8kmが1区間でした。

(現在と比べると、かなりいい加減な面がありました。県南のあるチームでは、参加資格のない=まったく地縁がない県外有力選手をたびたび替え玉的に出場させたり、決勝審判が判定ミスをして区間順位がまとまらなかったりということがありました。今なら新聞に載ってしまうような事案だったと思います。)

その後、積雪影響を受けることや交通事情から、栃木市往復コースに変更されました。平坦で片側2車線の幹線道路を通るルートです。当初は不評でした。距離が短く、アップダウンがない。選手が育たない…など。

そのうち、自動計測システムが導入されて、更にテレビ中継が実現されるようになり、大会は大規模で盛況なものになっていきました。

時代の変化に合わせた大幅変更を望む

私の個人的な見解として;この駅伝の将来像として、今後の地域社会における競技振興に向けた長期的な展望を見据え、大会の「大幅なサイズダウン」「公道利用のミニマム化」を希望します。

実は、現場の実態として、各チームにおける選手不足や体制脆弱化などは深刻です。

宇都宮市を除く各市町では急速に少子化が進み、学校から陸上競技部が消えていくばかりでなく、学校そのものが減っています。地域指導者は高齢化が進むとともに新たな「なり手」がみつからず、人材の新陳代謝が進まない。行政の業務スリム化などに伴い、チーム支援が行き届かない。

今回、参加した28チーム中、当日の体調不良などにより3チームがオープン扱いとなりました。もともとの補欠人員が足りていなかったようです。また、あるチームでは出場認知制度を利用し、選手10名のうち3名の域外選手を起用しました。もはや、その地域の代表チームとは言い難い状況です。

このような、現在に至るまでの変化や将来の見通しに合わせて、大会の形態を変えるべきだと考えます。

例えば、今回会場となった「カンセキスタジアムとちぎ」からスタートして、壬生のわんぱく公園及び周辺道路にて周回コースで行い、そのまま壬生でゴールする。そうした形態であれば、交通事情等を含め実現可能性が高いでしょう。交通規制をするのは片道10km程度で、時間にして40分ほどで済みます。

選手不足となりがちな郊外チームの事情を考慮して区間数を減らし、7もしくは8区間。最後の10km区間以外は3~5kmとしたり、女子とマスターズ男子の共有区間を設けたりするなど、仕掛けがあっても良いと思います。抱える選手数が多い郡市町は、2なし3チーム、さらには4チーム出場しても良いでしょう。

小学生駅伝は、郡市町駅伝のスタート後にそのまま「カンセキスタジアムとちぎ」及び周辺園路で開催することができます。警備の都合がつくのであれば、郡市町駅伝を壬生ゴールとするのではなく、スタジアムへ戻ってゴールとすることも選択肢のひとつになると思います。

栃木県では全国的な傾向と同様に、今後ますます少子高齢化と人口減少が進んでいく

結びとして

現在の時流に合わせることを優先し、従来からある「駅伝文化」的な発想は思い切って捨てるということです。箱根駅伝やニューイヤー駅伝、全国都道府県駅伝などといった大規模事業のイメージから離れ、地域において持続可能な形態を探るのが良いと考えます。

競技に長く関わる私たちは、次のように考えがちです。

  • 昔から公道で開催してきた。郡市町の行政が協力して行う公共性の高い大会。警察、県民の協力が得られて当たり前。

  • 箱根駅伝やニューイヤー駅伝、全国都道府県駅伝なども長い距離の公道を利用し、交通規制をして開催されている。栃木でも、同様に行うべき。

果たしてそうでしょうか。本当に公道を長時間に渡り規制して開催する意義、価値、理由があるのかということを、改めて考える頃合いだと思います。他の大規模事業と比較してそれを真似たり、過去慣習をそのまま引き継ごうとするのではなく、身の丈に合ったイベントに形を変えていく。大胆な判断のもと、そうした未来の実現を望みます。