本の読み聞かせに見る、PTAの現状
とりあえずPTAに入ってみた、というわけです。
「こなす」ということ
実際に参加してみて改めて感じたことの一つは、やっぱりPTA活動は「こなす」ものという認識でみなさん参加しているのだろうなぁ、ということ。
学年委員の最初の顔合わせの時にもそう実感することがありました。
活動内容を確認する際、「じゃあこれとこれをやるから…」という感じで最初からやることが決まっていました。
その中の一つが「保護者による本の読み聞かせ」。多くの学校で行われているであろう取り組みです。
僕はまず、この読み聞かせってどういう目的のためにあるのか、それが気になりました。顔合わせに参加されていた他の委員の人や先生にそのまま尋ねてみたところ、先生曰く「本の魅力に触れるきっかけ作り」とのこと。
なるほどと思うと同時に、保護者がそれをやる意味付けが弱いというか、ちょっともったいないと感じました。
目的として「本の魅力に触れさせたい」というものがあって、その手段として「読み聞かせ」するわけですよね。であれば、極論を言えば「誰が読んでも良い」のだと思うのです。
先生が読んでも良いだろうし、生徒が読んでも良い。もちろん用務員さんが読んだっていい。
でも先生がその役目を一人で担うのも単純に大変だし、生徒が読むのも音読の延長な感じでイマイチうまくいかなそう。用務員さんは人手が足りない。いろいろ鑑みると、PTAとして「保護者が読む」のが自然な流れだったのかもしれませんね。(生徒が読むのは仕組み次第でアリだと思います)
ただ、現状では読み聞かせすることによって生じるメリットがきちんと感じられていないのではと思ったのです。我が校では読み聞かせは希望者によって行われるものなので、当然イヤイヤやっているわけではないし、それぞれ子どもの反応なんかを楽しみにされているようです。それでも明確に目的意識を感じて参加されている人はそんなにいないのではないかなと。
読み聞かせのメリット
そんな感じで長年「保護者がやること」になっている読み聞かせですが、そのメリットや効果ってなんなんでしょうか?
1.本の魅力に触れるきっかけをつくれる
2.子どもたちと保護者の接点を増やせる
3.保護者が学校に関われる
なんだか物凄く当たり前なことを書いている気がしますが、それでもやっぱりこの3つが最大のメリットなのではないでしょうか。
そしてほとんどの人はこういうメリットをほとんど気にしていないのではないかと感じます。
それは読み聞かせの目的を尋ねた際に、同じ学年委員のメンバーが「なんでだろう?」となっていたことから感じました。個人的にはそれが「もったいない」と感じる部分。要するにPTAに参加している保護者自身に、読み聞かせの意図や目的が浸透していないわけですね。
これは「毎回こんなメリットだのなんだのカタッ苦しいことを考えて参加しなきゃいけないの?」みたいな話ではありません。
読み聞かせに参加する保護者の方やそれを呼びかけるPTA委員の人に、上の3つを無理なくメリットとして感じさせるにはやはりPTAの「見せ方・伝え方」を変える必要があるでしょう。
PTAの存在意義がどこにあって、それをどのように実現していくのか。いわゆる「ビジョン・ミッション・アクション」といったものを明確に見せることで、読み聞かせのような端々の活動に自然と意味や意義が見えてくる。
(この辺はまた別の記事で書こうかと)
そういう全ての保護者に向けた意識改革が浸透した時、そこで初めてPTA改革が成功したと言えるのだろうと僕は考えています。
事実、学年委員で1年間共に過ごしたメンバーからは、読み聞かせの目的を尋ねたことを「そもそも気にしたことなかったから新鮮だった」と好意的に(たぶん)受け止めてくれました。ささやかなことですが、その積み重ねが大事だなと思います。
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読み聞かせ以外にも、学年委員1年間の活動の中で前年踏襲型の歪さをところどころ感じました。やらなくていいと思うものはやらない。その判断を毎年それぞれの委員の中で自主的に決めてしまっていい。PTAなんてそんなもんだよ、そう思って欲しい。
目的意識の低さは「こなす」という意識から来ているもの。一つ一つの取り組みに意味を感じさせ、やり甲斐を感じるものにするためには、PTAから存在意義や目的を発信していく必要があると思います。
ですがその存在意義も、押し付けになってしまっては本末転倒。それこそ「やらされている感」のモトです。
そこにも意識改革のヒントがあると感じた1年間でした。
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