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感想/君たちはどう生きるか

 自分の備忘録ぐらいの気持ちで。
 あらすじの説明はない(ネタバレあり)ので、まだ観ていない人には意味不明だと思います。
 これから観る予定がある人、観ようかどうしようか悩んでいる人には、タイトルで損をしているような気がしていて、けっして説教臭い映画ではないので、安心して劇場に足を運んでもらえたらと思います。

 物語は、戦時中、空襲にて母親が亡くなるシーンから。母親がどんな人だったのかの説明は無し。それでも主人公の眞人が入院している母親の元に駆けつけようとするシーンだけで、母子の関係、少なくとも眞人の母親に対する想いがわかる。
 印象的なのは、炎の描写。
 今回のテーマは〈火〉かな、と思う。というのは、以前に〈風立ちぬ〉のときだったと思うが、宮崎駿は〈風〉を描いているときは調子が良く、健康的で希望がある物語を描くが、〈もののけ姫〉以降の〈水〉を描いている作品——彼にとっての〈水〉とは生命の塊で、得体の知れない未知で、その描き方も〈もののけ姫〉のどろどろに代表されるように、足首をつかまれて逃れられない病的なものになる——という記事を目にしていたからで、そのあたりを自分が意識してしまっただけで、観終わった感想としては、〈火〉が特別なテーマとして心に残ったわけではない。

 その後、父親が再婚し、どうやらその相手が死んだ母親の妹で、すでに妊娠しているらしいことがわかる(急に情報量が多い)。眞人の心中を察すれば、父親への不信感、新しい母親に対する戸惑い、といったところか。しかし眞人は礼儀正しい言葉を口にするだけで、その感情を表に出すことはない(できない)。
 その後の内面世界で、彼の鬱屈や不安がわかっていくのだが、前半は日本怪奇ホラーテイストで、この物語がどのように展開されるのか、まるで想像できない。正直に告白すれば、この前半部分がいちばんワクワクし、楽しむことができた。後半の内面世界に入ると、話的には何が起こっているのかわからない部分が多く、過去にも観たことがある既存の宮崎駿ワールドで、逆に安心(ほんの少しの退屈)してしまった。

 内面世界に入る導入として、主人公の自傷が描かれる。こめかみに石をぶつけて自分を傷つける。それは決断から逃げて選択を他人に委ねるための口実だったのか、ただの観察者に成り下がろうとしたのか、この現実(自分)に対しての発作的な破壊行動だったのか、捉え方はいろいろあるかと思うが、この自傷行為が一つのトリガーになっていることは間違いない。後に「これは私の悪意です」とその傷口を見せて告白するので、眞人にとって狡猾な意図があったのだろう。

 内面世界は、どうやら現実世界の下にある。ここで私が思い出したのは〈風の谷のナウシカ〉だった。ナウシカでも上下の世界観があり、ナウシカでは上の世界が腐海、下の世界が浄化されていく世界。ただ、ナウシカでこの世界を浄化していくのは、人間ではなく、自然と時間、地球の自己再生能力みたいなものだった。
〈君たちはどう生きるか〉における下の世界は混沌にまみれている。自然的な力は期待できそうになく、この世界を浄化していくのは〈僕(君)たち〉なのだ、というメッセージか? とタイトルから深読みしたりする。

 下の世界では、ふわふわしたタマシイ? が輪廻転生を繰り返している。宮崎駿がよく描くケサランパサラン的なキャラクターだが、まっくろくろすけやコダマ(だったっけ?)ほどキャラクターとして完成されていない。ちょっとしたエピソードの一つぐらいの印象。
 で、そのふわふわしたタマシイが上の世界を目指して飛んでいくのだが、次々とペリカンに食べられていく。それを助けるために眞人の実母(まだ眞人を産む前の少女)が何やら炎を打ちあげて、ペリカンを燃やしていくのだが、その炎の威力が強すぎて、ふわふわしたタマシイまで燃やしていく。
 ……?
 狂ってる?
 劇中ではペリカンだったと思うが、コウノトリか? 赤ん坊を運んでくるコウノトリが、いまから産まれてくるはずのタマシイを捕食しているという悪夢か?
 眞人の母が、ペリカンとともにその産まれてくるはずタマシイまで燃やすというのは、彼女自身の葛藤か? 最終的に彼女は「君みたいな子を産むことができるなら元の世界に戻るよ」的なセリフを言っていたと思うので、子どもを産むこと(ということを含めた女性の人生)について悩んでいたのかもしれない。
 と考えると、眞人の新しく母親になる夏子さん(死んだ実母の妹)も、眞人の母親になること、自身の子どもを産むことに不安を抱えていたのかもしれない。
 そういう意味で、この世界には悩んでいる人しかいない。思い悩んでいる人が訪れる場所なのだろう。
 と、ここは観た後に頭を整理した結果であって、観ている最中はよくわからないまま物語が展開していく。現実世界と内面世界をつなぐキーワードがなく、描きたいように描いたらこうなった、という感じ。

 で、インコ軍団のくだりがあって、大伯父。
 どうやらこの世界は、大叔父が積んできた石によってバランスが保たれているらしい。で、そのバランスがもう明日には崩れそうで、後継者を探していると……
 内面世界の後半は、結局のところ、この作品の内容だけではよくわからない。いままでのエピソードが機能しているわけではなく、やや唐突な印象。
 宮崎駿がほんとうの意味で伝えたいのはこの大叔父の部分で、これまでのエピソードは、ただこの映画をエンタメにするためのギミックだったのではないか、とさえ思える。

 おそらくこの主人公は宮崎駿であって、この大叔父も宮崎駿であって、この狂った世界はジブリを取り巻く環境であって、そうすると、インコ軍団は私たち観客か? この映画が宣伝無しという方針から、広告代理店やテレビ局やその他ジブリに癒着している企業、そこで働いている人たちの方がしっくりと来るかもしれない。
 ジブリ王国は崩壊寸前。後継者は育てられず。
 なんとかしようとしたけど、これを最後にジブリは潰れてもいいや、という会話がおじいちゃん二人の間であったのか、それはわからない。
 となると、少し退屈と感じてしまった既視感だらけの映像、イッツ宮崎駿ワールドも、敢えてなのかもしれない。過去の自分がやった仕事はこんな感じ。で、これは終わり。この世界を継ぐ必要はないけど、君たちはこれよりおもしろいもの作らなきゃね、というメッセージのようにも感じる。

 最後の場面、この狂気の世界から解放されるのは、怪物だった鳥たち。
 宮崎駿ではない。
 飛んでいくのは、ペリカンやインコ軍団。
 と考えると、インコ軍団は、やっぱり宮崎駿に囚われていた私たち観客か? と思う。
 ……なのだが、私自身はこうして考察を残しておこうかと思えるぐらいに楽しめたのだが、これが宮崎駿に興味がない、宮崎駿作品が初めての人の場合、どういう感想なのだろう? 純粋にこの作品だけの魅力を語る場合、何か重要なピースが不足しているような気もする。細田守よりは、物語として破綻していないと思うのだが。

 最後、音楽について。
 久石譲が聞こえない。ナウシカやハウルの印象的なシーンで奏でられていた音楽がない。鎮魂歌なのかもしれない。物語に静かに寄り添っている印象。
 米津さんを使ったのは、ここは宮崎駿が好きな曲でよかったと思うのだが、ここも「これからは現在の人たちの時代です」というメッセージなのか、ただのミーハーなおじいちゃんなのか?
 そういえば、お約束の「おわり」の文字を見つけることができなかった。私としてはファンタジーの終焉として、映画館の暗がりから現実に戻る装置として「おわり」の文字があってもよかったと思うが、宮崎駿のちょっとネチネチとした、勝手にしていいよと口では言いながら、あれこれ言ってきそうな人間臭さを感じる。
(結論としては、おもしろかったです)


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