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短編小説/十数年魔

♯1

 朝起きてから牛乳を飲んだ。マーガレットだろうか、ガラスコップの表面には昭和レトロにデザインされた白い花がプリントされている。花びらが牛乳の白と同化して、中央の黄色い円だけが浮かんで水玉模様になった。

 1992年。8歳のわたしは祖母の家で漫画を描いている。自宅から持参したノートに鉛筆。汗ばんだ消しゴム滓ばかりが増えていく。

 2024年。40歳になったわたしは台所のテーブルに寝そべって、飲みかけの牛乳が入ったコップのまわりに人形フィギュアをならべて遊んでいる。身長3センチの彩色された女子高生。苔テラリウム用の模型だ。指先をクレーンのようにして慎重に。

 アパートの台所には磨りガラスの窓があって、色素を失った陽ざしを透かしている。窓の周囲だけがガラス自体が発光しているように明るい。まだ目覚めきらない意識で接したテーブルは、わたしの頬の下で最初こそ冷たく感じたが、すぐに体温と同じになった。

 奥の座敷では大人たちが泣いている。
 1992年の夏のことだ。何が起こったのか、8歳のわたしでも理解できたし、それは自分の人生における重要な出来事だったはずだが、1992年のわたしは自作の漫画を完成させることに夢中になっている。定規を使わずに引いたコマは曲がりくねり、オレンジジュースの氷は溶けている。手のひらの側面を黒くして、無心に鉛筆を走らせている。

 思えば、それが頂点だった。幼くして星々の悲恋を描こうとした少女は、わたしが16歳になるころには姿を消した。それ以降の人生は、ファミレスのメニューを眺めている気分だ。育ててくれた祖母によく注意された。注文した後になってもメニューを見る癖をやめなさい。

 ノストラダムスが終わりのはじまりを告げた2000年。三宅島が噴火し、プーチンがロシアの大統領に就任したとき、16歳になったわたしは韓国料理店が軒を連ねた市場を歩いている。
 そこでひとりの女性に出会う。彼女は当時もモデルとして活躍していたはずだが、いまのようにテレビ出演はしてなかった。
 彼女はわたしに道をたずねた。わたしは時間を持て余していたので、その場所まで案内すると申し出た。それはたった数分の道のりだったが、彼女は感激してわたしを夕食に招待した。
 夕食の時間、彼女は一方的に喋りつづけた。彼女の大きな口は喋るか、渡り蟹の醤油漬けの黄色い卵に吸いついていた。覚えているのは、たとえばこんな話だ。
「ともだちがね、活動休止するんやんか? さすがのわたしも気が滅入ってしもうてね。それで悲しいって気持ちに楽しいを混ぜてみたんやんか? 何でもいいねん、あれ食べようとか、これ着てみようとか。そしたら真っ暗やねん。混ぜたら何でも黒色」
 豪雨のように途切れることがない彼女の言葉の、そのすべてを聞き取れたとは言わないが、それでも彼女の心情を察するに余りあった。
 印象的だったのは、窓が美しい店だったことだ。外の街灯が点滅するたびに、ロマネスク時代を模したステンドグラスが彼女の独創的な顔を赤や緑に染めた。
「生きるのがつらいです」と16歳のわたしは言った。
 彼女は汚れた唇を白いナプキンで優雅に拭いたあと、達観した瞳の奥からわたしを見つめて言った。
「自分の悲しみを他人の悲しみで上書きしてみて。そしたら気持ちが楽になるねんで」
 それから十数年。わたしはその言葉を人生の道標として生きている。

 24歳のわたしは黴臭いホテルの安シャンデリアを見つめている。露光時間の長い写真のように、電球の光が線を描いて揺れている。
 36歳のわたしはクッキーの空き缶を集めるのに夢中だ。数少ない友人はそれを棺桶と呼んで忌み嫌った。
 40歳になったわたしは朝食代わりの牛乳を飲んだあと、観たい映画も聴きたい音楽もなく、テーブルに頬をつけて女子高生たちを眺めている。ショートカットがルカ。長い髪がフラニー。金髪がデボラ。セルフレームの眼鏡がベティ。
 女子高生たちは微笑んだまま硬直している。そこには不公平な人生も、老後の不安も、眠れぬ夜に胸を焦がす後悔もなかった。ひとり真夜中の市営グラウンドを散歩する孤独も、街路樹の向こうで煌々と輝きつづけるスーパーマーケットの明かりも、空腹や便意といった生理的現象さえ存在しなかった。
 数秒後、わたしは自分の視界に飽きた。
 彼女たちにとって、わたしは見えない巨人だ。透明人間で、かつ巨人。
 わたしの人さし指を震源にした地震によって、紙相撲の力士みたいに女子高生たちが動きはじめる。ルカとフラニーが体を重ねて倒れて、ベティが腰を抜かして両膝をつく。金髪のデボラがバランスを崩してよろめき、足を踏みはずしてテーブルの端から落ちていく。

 テレワーク癖がついた所長がもう2週間も出社していない。彼がいないデスクに視線を向けると、ペン立てにバラが挿さっている。枯れないバラ。手品で使用するプラスチック製の造花だ。その下には、亡くなった息子さんの形見だというスノードームがあって、ジャグリングに使うカップやスポンジボール、指を入れても切断されない処刑台といった玩具が散らばっている。
 台所のテーブルで目を閉じたとき、わたしの脳裏に浮かんだのは、黒いステッキから花開いた造花だった。もしも自分の悲しみを他人の悲しみで上書きできるとしたら、わたしは所長のデスクに散乱した手品の小道具を選ぶだろう。核戦争が起こり、明日には人類が滅亡するような壮大な悲しみに襲われたとしても、わたしは瞼の裏側に流星群のように降りそそぐトランプの雨を見ていたいと思うのだ。

♯2

 わたしの朝はバス停からはじまる。名前の知らない顔なじみとバスに乗って、生協の病院があるバス停をおりたところに勤めている会社がある。健康食品の卸しの会社で、この営業所にいるのは所長とわたしの2人だけだ。新商品があればルートの営業に出ることはあるが、新規の顧客開拓はしていない。つまり平常時にはすることがない。
 所長は職場に来てから朝食を摂っている。通勤途中に買ってきたサンドイッチのことが多い。卵とマヨネーズの臭いを漂わせながら朝食を終えると、デスクの引き出しから手品で使う小道具を取り出しては入念なメンテナンスをしている。
 薄くなった髪を寝かしつけ、いつもダブルのスーツを着ている。焼きたてのロールパンのような頬だ。その目は干し葡萄のように小さく、要するにレーズンパンなわけだが——小道具のメンテナンスが終えると、そのあとは黙々とトランプタワーを組み立てている。ノックがあれば、あれだけ時間をかけたトランプタワーが崩れるのも気にせずに飛び出していく。手品を披露するためだ。

 それは義務といってよかった。飛び込みのセールスマンだろうと空調の点検業者だろうと、彼はその手をひいて応接のソファに座らせ、「準備はいいかい?」と受け取った名刺をハンカチに変えてみせた。突然のマジックショーに困惑し、ソファに座らされた人は迷惑そうだったり、居心地悪そうにしている。ただし、所長の口から何個ものピンポン玉が吐き出されるのを見れば、しだいに好奇心に目を輝かせて、最終的には仕事を忘れて帰っていく。もしもこの世界に美しい義務と呼べるものがあるとしたら?
「わたしも手品してみたいです。教えてください」
 前屈みにデスクに腰かけて、郵送されてきたばかりの封筒を破りながら彼は言った。
「タネも仕掛けも知ってるなんてつまらないものだよ」それから封筒のなかに入っていた一枚のカードをわたしに見せた。「このカードだね?」

 彼はわたしが知るかぎり優秀な手品師だった。しかし、そのことが社内の評価につながることはなかったし、外見だけ見れば、公園のベンチに座って退屈が過ぎ去るのをじっと堪えているような年老いた男にすぎなかった。十数年前に離婚し、いまは独身。彼の内面を知っていればチャームポイントに思える鼻の横のほくろも、知らない人間が見れば、ただのほくろでしかないのだろう。
 とにかく彼は容姿と家族にこそ恵まれなかったが、いい人間だった。そんな彼が2週間前から出社していない。メッセージすると返信があるので、おそらくは死んでいない。おそらく、というのは音声通話には応答がない。
 わたしは〈AIによる自動返信機能について〉のネットサイトを閉じると、ためしに、でたらめなメッセージを所長あてに送信してみた。
 数分後、メッセージが返ってくる。
 ——もしも枯れてしまったら捨ててくれていい。
 所長のデスクに置かれたスノードームには、男の子が車椅子に座っている。右手を父親、左手を母親につながれて、生まれて初めてミッキーマウスを知ったような顔をして微笑んでいる。スノードームの球面には、色褪せることがないバラの造花が映っている。

 2週間前の午後、その日は朝から蒸し暑く、湯だつような熱風が吹いていた。会社を訪ねてきたのは、ケーブルテレビ局の営業だった。額の汗を拭きながら、御社のCMを放送してみませんかというわけだ。そんな予算も必要もなかったが、もちろん、所長はクーラーの効いた応接に彼らを招き入れた。そこにわたしが注文していたウーバーイーツの配達員と商工会議所のアンケートを持った女性がやってきて、所長はやはりその人たちの背中も押して応接のソファに座らせた。
「準備はいいかい?」
 だれひとりとして、何の準備をすべきなのか知らなかった。わたしだけが腰の後ろにまわした手で、こっそりとOKサインの親指を立てた。
 所長はハンカチの手品からはじめた。ハンカチが所長の右手からポケットに移動したり、耳の穴から出てくるという昔懐かしの手品だ。それから空飛ぶステッキの手品があり、帽子からウサギが飛び出す手品があり、ソファに座る人々の姿勢が少しずつ前のめりになっていった。ポラロイドカメラで撮影した記念写真が(カメラの故障かな、と小芝居しながら)所長の口から出てきたときにはだれもが目を丸くして、割れんばかりの拍手が起こった。
 いよいよフィナーレというときだった。携帯電話が鳴りはじめた。所長はマナー違反だよというジェスチャーをしてそれぞれの顔を見つめ、最終的に鳴っているのが自分の携帯電話だと気づいた。彼は苦笑いして、しばしお待ちを、とわたしたちに背を向けた。
 数秒もなかったと思う。ふたたび振り返ったときには、所長は泣いていた。声こそあげていなかったが、彼の眉間には深いしわが刻まれ、目も鼻も水びたしになっていた。
 彼は黙ったまま、携帯電話をスピーカーにした。聞こえてきたのは男の子の声だった。たどたどしく、不安定な声でハッピーバースデーを歌っている。
「息子だ」と所長はしゃくりながら言った。「息子が歌っている」
 それは離婚した奥さんが誕生日のコールサービスを登録して、そのまま解約し忘れたものだった。生まれつきからだが弱かった息子さんが存命だったころだ。息子さんが闘病していた病院で、別れた奥さんが録音したものだった。
 所長が泣いているのは理解していたし、聞こえてくるハッピーバースデーの意味もわかっていた。しかし、ほんとうの意味でわかっていたのは所長だけだったと言える。ほかの人は所長の息子さんが亡くなっていることを知らなかったし、わたしは知っていたが、そう、それは——知っていただけだった。
 さらに状況を混乱させたのは、所長が仕込んでいた手品の仕掛けが暴発しはじめたことだった。クラッカーが派手なリボンをたなびかせて鳴り響き、数羽の鳩があわただしく飛びたった。ズボンのすそからハムスターとウサギが出てきて床を跳ねまわり、色鮮やかな造花が所長の頭や口や胸元のポケットのいたるところで音をたてて花開いた。
 それはまさに夢見るような光景だった。
 ソファから立ち上がったみんなは、盛大な拍手で所長を讃えた。完璧な幕切れだった。わたしたちは興奮し、いつまでも拍手が鳴り止まなかった。ただひとり、所長だけが大粒の涙をためて、スーツの袖から吐き出されるトランプのカードに埋もれながら呆然と立ち尽くしていた。

 その日も定時になって、わたしは職場を後にした。いつものバス停で、いつもの顔ぶれとバスの到着を待ちながら、「今日もおつかれさまでした」「また明日」といつもは気にならない幻聴が耳ざわりに感じられた。それでバス停を離れたが、といって、行きたい場所があるわけでもなかった。古くからある商業ビルに入って、エスカレーターに乗っては目的もなくフロアを周遊した。
 終業時間がせまっているビル内には別れの音楽が流れ、自販機があるだけの休憩スペースにカードゲームに興じる若者たちを見かけたきり、店員さえどこに消えてしまったのか、人影がなかった。通路わきに置かれた商品を撫でるようにして歩いていて、青いマジックペンで書かれたポップの文字が目に留まり、わたしは足を止めた。
 テラリウムの店らしく、店内には大小さまざまなガラス容器がディスプレイされている。容器のなかには緑色の苔が敷かれ、その上には人間や動物の模型が配置されている。たとえば、わたしが覗きこんだテラリウムには苔の草原が広がり、乳牛がこちらを見つめ、農夫が乳を搾っていた。となりのテラリウムに視線を移すと、無人駅のホームに4人の女子高生がたたずんでいる。

 愛してね、手のひらサイズのあなたの世界。

 そのときのわたしは熱心に、時間をかけてテラリウムを眺めていた。そのときのわたしはきっと、自分しか想像しえない世界を想像したはずだ。しかし覚えていない。まるでいま見ている星の光が何億年もかけて届いた遠い過去のように、わたしに見えるのはその残像でしかない。それなのにそのときのわたしは、飼育されている仔犬みたいな女子高生たちを見つめ、くすっと微笑んだ記憶だけがあるのだ。

#3

 母の腹から生まれた子にも、下等な獣に育てられた子にも、平等に終わりの時間がおとずれる。どれだけ慈悲を乞うても、全智なる神は麦を刈るように我らの命を奪い去る。

「どうしてデボラ——」
 ベティは見ていた。足を踏みはずして仰向けに倒れていくデボラの姿だ。驚いて目を見開いたデボラの顔が見えなくなり、彼女が履いていたアディダスの靴底に貼りついた手を振る宇宙飛行士のシールが見えて、最終的に姿を消した。

 真実の人生の長さを知る者はなく、だれもが人生を半ばにして終焉を迎える。贖えなかった犠牲や代償は生者の肩に重くのしかかり、眠る子たちの大地がアスファルトで硬く覆われていることを知る。そして7年、蝉になった夢を見る。

「死んでる?」とうつ伏せになって下を覗いているルカに向かって、フラニーが問いかける。
「わからない」とルカが答える。「太陽と地球ぐらいの距離があって、何も見えない」
 しかしルカには見えていた。台所の床にできた小さなシミだ。血を吸ったマダニが潰れたような赤く、砕けたビスケットの滓みたいに小さい。

 目には目を。孤独には孤独を。

「ねえ教えて」ルカが問う。「デボラってどんな子だった?」

 いまはただ我らの手で葬られる姉妹が安らかな眠りのなかにいることを。死してなお生きつづけ、灼熱の陽ざしに生きたまま焼かれ、いつしか復活の日を迎えんことを。

「あの子は、デボラは——」とベティが言う。「告げ口するみたいだけど、お金もらってセックスしてた」
「知ってる」
「裏アカがあって、私たちの悪口さんざん書きこんでた」
「それは知らなかったし、知りたくなかった。というか、あの子ってまだSNSなんてしてたの?」
「ジルスチュアートのリップ、盗んだのもデボラ」
「デボラって化粧品とか興味あったっけ?」
「あったよ」とフラニーが口を挟む。「前に教えてあげたんだ。昆虫には虹色の翅があって、鳥には色とりどりの羽毛があって、でも、人間はその翼をどこかに置き忘れてしまって、だから化粧するんだよって」

 だが疑問が残る。
 オラウータンだ。茶色い毛に覆われたオラウータンが我らを見ている。動物園の檻にうずくまって、黒く塗り潰された影から我らを見ている。その瞳は混沌として何も映さず。剥き出しの歯茎は饒舌に何も語らず。

「私は」とベティが話しはじめる。「デボラはだらしくなくて、性格も悪くて——それでも嫌いではなかった。知ってる? 彼女が投票所の前で泣き叫んだの。年老いた人はここには来ないでください。いいかげん自粛してください——私たちが背負う世界を私たちに選ばせてくださいって」

 ある日、オラウータンが茶色い毛のない子を産み落とす。それが進化なのか退化なのかわからない。悪魔の子を産んでしまったとオラウータンの母親は鬱病となり、我が子の殺害計画を企てる。

「私は」とルカが言う。「デボラのこと何も知らない。ずっと一緒にいたのに」

 もはや怖れることはない。人間とオラウータンの狭間にあって、人間でもオラウータンでもない。その子の額には神の名がついている。

「でもね、デボラがいちばんわかっていた気がする」
「何を?」

 もはや夜がない。人間とオラウータンとの御座が街の中心にあって、赤い絨毯が動物園まで敷かれている。

「そういえば」とルカが言う。「見えてる?」
 ルカが指さした先には肌色の靄がある。遠くから見なければ、それが何なのかわからない。遠くから見れば少しずつ焦点が合っていき、鼻があって唇があるのがわかる。岩肌のように大きな瞼は閉じられていて、自分の手の甲を枕にして眠っている女性だとわかる。
「見えてるよ」とベティもそちらに視線を向けて言う。「指で叩いてた、あいつ。そしたら地震が起きて、デボラが——」
「似てる?」
「だれに?」
「私たちに」とルカが見ているのは、巨大な電子レンジと冷蔵庫だ。テーブルの上には飲みかけの牛乳があって、ガラスの表面を垂れた水滴が彼女の足元を濡らしている。「私たちってあの神さまに似せて創られたんでしょう?」
「らしいけど、年齢がぜんぜんちがうよね?」

 聖なるかな、聖なるかな、摩天楼の高き頂にホザンナ。我らを細かく分断するなかれ。これ以上の試練を与えるなかれ。

「ねえ」とルカが言う。「私たちってほんとうに似てる?」
「まあ完全にとは言わないけど、似てると思うよ。どうして?」
「ねえ、フラニーはどう思う?」すがるような目つきでルカはフラニーを見つめる。「似てると思う?」
「私は——」
「似てないよね? 私たち、あんなふうにならないよね?」
 フラニーは考えていた。デボラの死がルカを感傷的にさせていたが、しかしフラニーが考えていたのは、それとはまったく関係ないちっぽけな思いつきだった。もしかしたらあの神さまにも神さまがいて、その神さまにも神さまがいて、その神さまにも神さまがいて——その永遠に終わりがない多重構造は、彼女がいつもしている空想を少しばかり発展させたにすぎなかったが、仮に自分たちが存在しなかったとしても働きつづける堅強なシステムに思えた。それでフラニーは拗ねるように、いつまでも頬にまとわりついた髪を指に巻きつけているだけだった。

(了)


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