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旅にっき(島根県松江市)

ひとり旅から帰宅しました!

わたし、
旅行記を読むのが大好きなのです。
なので、わたしの旅にっき(3日しかありませんが)を
書いてみようと思います。

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今回の目的地は島根の松江です。
水があるところに行きたいな~と思っていたら、
宍道湖という大きな湖が目に入ったので、そこにしました。
出雲大社にも近いしね。

大阪から松江まで。
高速バスが日に数便あり、お値段も安かったので、
そちらを利用しました。
3列しかシートがなくて、すべて独立しています。
前後左右も、割と余裕があって、足置きもあるし、車内にトイレもある!
その快適さは、学生の時に乗った高速バスとは大違いでした。
とはいえ、残念なことも。
途中で休憩のために寄ったパーキングがショボいところばかりで、
ちょっとした買い食いを期待していたのに、アテが外れてしまったこと。
あと、車内で本を読むと酔ってしまう体質なので、
4時間強の道のりは退屈過ぎたこと。

松江についたら、すぐにお昼ご飯。

あらかじめネットで仕入れた情報によると、このあたりは
お蕎麦と海鮮丼が美味しいとのこと。
駅近くのお昼もやっている居酒屋さんで、
海鮮丼をいただきました。
ゴージャス!!

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その後、市内の観光地を巡るバスにのって、
「小泉八雲記念館」に行きました。

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他にも「松江城」や「八重垣神社」など、観光スポットはいろいろ
あったのですが、その中でいちばんわたしの興味をひいたのが
この場所でした。

小泉八雲。
ギリシャ出身で、本名はパトリック・ラフカディオ・ハーン。
幼少期にギリシャからアイルランドに移住。両親が離婚して、大叔母によりイギリスとフランスの学校に入れられるも、大叔母が破産し、アメリカに渡りました。
アメリカでは新聞記者をしながら、自身の作品も書いていました。
その後、英訳された「古事記」を読み、日本神話の世界に惹かれ、日本に移住。神話の地である島根にて英語教師の職を得ます。
すごい移動距離ですよね。彼が日本に到着したのは明治23年。その時代に、こんなに世界を移動したひとがいたなんて!

実は、わたしは彼の作品をきちんと読んだことはありません。
ただ、子どものころ、母がドライブ中によくかけてくれたラジオドラマ「日曜名作座」の「鳥取の蒲団の話」が強烈に記憶に残っているのです。

検索したら音源が見つかったので、よかったら聞いてみてください。
森繫久彌さんと加藤道子さんの七色の声に聞き惚れると同時に、何度もリピートされる、あるセリフが耳に残ること間違いなしです。


小泉記念館の隣には、小泉八雲が実際に住んでいたお家が残っていました。
こじんまりとしたお宅と、ちょうどいい感じに手入れされたお庭。
初秋の風が優しく植物たちをゆらしていて、とても気持ちが良かったです。

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小泉八雲というひとは、とてもオープンマインドで偏見にとらわれないひとだと感じました。25歳のとき、彼は最初の結婚をするのですが、その相手はアフリカ系の女性でした。当時、アメリカでは異人種間の結婚が禁止されていたため、彼は勤め先から解雇されてしまうのです。
その後、紆余曲折を経て日本で小泉セツと知り合い、「入夫」という形で結婚します。この結婚も異人種間の結婚なんですよね。
結婚してもしばらくは籍を入れていなかったようですが、長男が生まれ、財産を奥さんに残すために、帰化したとのこと。
現代であれば、それほど変わったことではないかもしれませんが、明治という時代を考えると、相当に急進的な感覚を持った方だったんだろうなと思います。


小泉記念館と小泉記念館旧居の前には、松江城のお堀があり、
鴨が2羽、仲良く泳いでいました。

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少し散策したあと、またバスにのって、「松江しんじ湖温泉駅」近くの旅館にチェックイン。
宍道湖を望むお部屋を予約していましたが、台風が迫っているせいで、
有名な夕日をみることは叶わず。
仕方ないので、近所の居酒屋さんで、あさりほどもあるしじみの酒蒸しをいただきました。しじみは宍道湖の名産なのです。

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すぐそこに迫る台風のことを声高にアナウンスするテレビを、ぼんやりと眺めながら、一日目の夜を過ごしました。

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