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祝・藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(5)栄養の履歴書②

悪天候、特に風の強い日が続くと、まだまだ不調が続く。先日、たんぱく質不足の女性は、プロテインを飲み始めてから天候による不調が改善するまで2年かかるという記事を藤川先生が投稿されていた。わたしはまだ1年。来年の梅雨時が楽しみだ。

さて、幼少時から自分が主にどんなものを食べていたかを振り返ってみようと思う。

朝は食パンにマーガリンやジャム、飲み物は牛乳。ビン入りの牛乳はなかなか一本飲み切れず、母の目を盗んで洗面所に捨てに行ったことがある。ときどきフルーツ牛乳やコーヒー牛乳が届くのが楽しみだった。
母は味付き塩胡椒で野菜炒めを作ってくれたり、オムレツや卵焼きも朝食に作ってくれた。大きなオムレツを作り、それを家族で分け合う形だったので、たんぱく質量でいえば全く足りていないのだが、食パンだけでなくおかずを作ってくれていたのは、今思うとありがたかった。

朝昼晩の毎食、炭水化物はやはり必須で、おにぎりだけ、そうめんだけ、チャーハンだけ、惣菜パンや菓子パンだけ、といったような昼ごはんも日常的によくあった。カップラーメンや鍋で煮て作るインスタントラーメンもよく食べていたと思う。

実家は米どころだが、わたしはもともとあまり白米が好きではなかった。食事を残すことは良くないという考えが強い時代だったため、できるだけ茶碗を空にしなければいけない。白米はふりかけをかけてなんとか食べ切ろうとしていたが、とても苦痛な時間だった。

給食を残すと食べ切るまで子どもを教室に残す悪習も保育園の頃からあり、牛乳を飲み切れず保育園の教室にひとり座っている自分の嫌な映像が未だに記憶にある。
好き嫌いをなくすことや、ごはんを意味なくたくさん食べること、三角食べなど、未だにそれらを良いことと信じ、子どもに強要している人もいるが、食べられないことに対して罪悪感を刷り込まれたことは、私のその後の人生を大きく左右した。
幼い頃から食事が楽しくないと日常的に感じていたことは、確実に精神疾患の素地となった。今でも大食いを競う番組などが苦手だ。とてもナンセンスだし、個人的には暴力的にすら思える。

また、いわゆる駄菓子や、チョコレート、ラムネ、アメ、スナック菓子、アイスクリームなど、子どもの気を引く魅力的な見た目の甘い食べ物がたくさんあった。お小遣いをもらいお菓子屋さんに行くことは子どもにとって大きな楽しみで、砂糖と添加物の塊を頻繁に口にすることに疑問や不安を持つ人はわたしの周りにはいなかった。
砂糖中毒のような症状は小学生時代から出ており、父が仕事の付き合いで買ってくる500mlサイズのアイスを、他の家族がいない時に何度も何度も冷凍庫を開けて食べていた。他の家族の分も残しておかなければいけないと分かっているのに、全部食べ切るまで止められなかった。
前回、幼少時はいつも頭がぼーっとしていたと書いたが、砂糖が含まれた甘いものを常に口にしていた気がする。コーヒーに入れる「クリープ」がほんのり甘くて美味しく感じ、容器からひたすら食べていたことも覚えている。今思うとちょっと妖怪っぽい。

地元は米どころなので、もち米を使ったおはぎや団子もよく食べていたし、その中では「ちまき」が最強だった。これはいわゆる中華ちまきではなく、もち米を炊いて三角に握ったものを笹の葉っぱで巻き、それが10個セットで売られているもので、あんこのついていないおはぎを想像してもらうとわかりやすい。
これはなんと、上白糖を直接そのままつけて食べていた。炭水化物に砂糖をたっぷりまぶして食べるというのは、栄養療法を知った今では思い出すだけでめまいがする。食べやすいので子どもでも一度に数個平らげてしまう。お正月に食べる餅も、砂糖醤油や砂糖たっぷりのきな粉で食べるのが定番だった。

母はもともと肉が好きではなく、料理をするのも苦手だったらしい。それでも、小学生のときから体格が良い育ち盛りの兄2人もいたし、ハンバーグなど肉料理はよく出てきたと思う。また、海に面した県なので、魚料理はよく食卓に上がった。知り合いの魚屋に刺身や焼き魚を注文することもよくあり、バイ貝の煮物なども届いた。
とはいえ、間食も多く、飲み物でも食べ物でも、何か口にしている時間がとにかく多かった。

実家のわたしの隣の部屋には少し歳の離れた長兄がいたが、彼は夜中でもスナック菓子やコーラなどの炭酸飲料を口にしており、つられてそういったものもよく口にするようになった。
時間に関係なく間食をしていたために、口内環境はとても悪く、物心ついた頃には電車で1時間かけて、母に連れられ歯科大に通うようになっていた。なぜわざわざ歯科大まで行っていたのかよくわからない。小学生のわたしは歯科大に行くのはときどき痛い思いをしたので嫌だったけれど、帰りに母がラーメンを食べさせてくれることが楽しみだった。過去の記憶にはひたすら糖質が付きまとい、ツッコミどころが多すぎる。

母は常に神経過敏でヒステリーになることがよくあり、心の余裕を持ってわたしに手をかけられる状態ではなかった。そのため、次第にわたしは自分の体のメンテナンスを丁寧にすることができなくなっていった。
時間に関係なく間食をすることで口内環境が悪いにもかかわらず、歯磨きの習慣を持つことができず、母はそんなわたしに対して頻繁に「臭い」と吐き捨てるようになった。車の中などの密室になると必ず指摘され、歯磨きをしないダメな子供であることをネチネチと何年も言われつづけた。
母のこういった陰湿ないじめに近い言動は日常的になり、わたしの自己肯定感は母によりどんどん貶められていった。

結局は30代が終わるころまで、自分を良い方向に変えようと思うことができなかった。「どうせわたしなんて何をしても変わらない」と諦める気持ちが強く、自分の体をきれいに保つことに抵抗があり、きれい、かわいい、そういった褒め言葉を聞いても素直に受け止めることができない。
長年、虫歯になっては削るという一般的な歯科治療を何も考えずに繰り返したため、口を開けて笑うと見える位置にまで銀歯があり、思い切り笑顔を作ることができない。「笑顔が歪んでいる」と知り合いに指摘され、笑い方がわからなくなってしまったこともある。
何年か前から歯の矯正を考えているのだが、メンタルブロックが強すぎて、矯正のためのお金を貯めようとするとかなり強いストレスがかかり、結局は別のことに散財してしまう。審美治療をしたら両親はどう思うだろう?と考えると、不安の方が強くなってしまう。「お前にはそんなお金をかける価値はない」と言われてしまうのではないか。立派な大人なのだから、好きすれば良いのであって、そんなふうに思うのはバカバカしいと思う。それでも、結局のところは、わたしは本気でそれを恐れているのだ。

栄養は食物を口の中に入れて噛んで飲み込むことで得られるので、栄養の履歴書はそのまま口内環境の履歴書でもある。それは必ずメンタルの問題につながっている。
次回は、栄養不足により起こった症状について書いてみたい。

Thank you for reading so far.

yama

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