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祝・藤川理論を始めて1年:これまでのふり返り(6)栄養不足の症状①

だいぶ間が空いてしまった。
前回幼少時に食べていたものなどを振り返った際に、心の中にいろいろな気持ちが湧いてきてしまった。両親への怒りや自分への苛立ち、後悔、それらの根底にある悲しみなどなど。
しかし、マイナスな気持ちに浸ってしまうことなく、日々仕事に行き自分の好きなこともこなせるのだから、栄養の力は偉大だとつくづく思う。

今回から栄養不足により自分にどんな症状が出たかを書いていくが、失敗の歴史でもあるので、文字にするのは辛い部分もある。それでも、初心を忘れてはいけないと思い直し、「もう終わった過去を記録して先に進むため」に、またnoteを開こう。

中学生くらいまでのわたしは、以前書いたようにいくつかの問題行動はあったものの、大きく道を外れるようなことはなかった。
ただ、母が基本的に情緒不安定だったため、何か悩むことがあると、ひとりで思い詰め、ひとりで結論を出し、一見すると衝動的な行動を取ることがよくあった。
無意識に相談できる人はいないと感じていたので、何も説明せずによく分からない行動を取るわたしを、きっと周囲は訝しんでいただろうと思う。

知能にはなんら問題はなく、生理が始まった頃の小学3年生のとき、当時行われていた知能テストの成績を担任の先生がこっそりと教えてくれたことがあった。「あなたがクラスで一番成績が良かったんだよ」と先生がとても嬉しそうに言っていたことを覚えている。
学校の成績は特に優秀なわけではなかったけれど、小学生の頃から文章を書くのが好きで、物語や詩を書くことに夢中になっている想像力豊かな子供だった。
本を読むのも好きだったし、マンガやアニメも大好きで、今でも連絡を取り合う故郷の友人たちは、中学で仲良くなったオタク仲間だ。
歌を歌うことも大好きで、今でもひとりでカラオケに行くのは大事な趣味のひとつになっている。

中学を卒業するまでは、わたしは「傷つきやすい子供」の範疇だったように思う。栄養不足の症状が顕著に現れはじめたのは、高校生になってからだった。

入学した高校は自宅から遠く、電車に30分ほど揺られたのち、最寄駅から学校まで15分ほど坂道を歩かなければならなかった。小学校も中学校も自宅から徒歩か自転車で行ける距離だったため、生活が大きく変わった。
同じ中学から進学した人も数人いたが、名前を知っている程度の間柄だったため、仲の良いクラスメイトができるまではとても孤独に感じた。
また、それまでは地元の限られた人としか接することがなかったが、高校では県内の別の地域からも生徒が集まってくるので、少し違った方言を話すことにカルチャーショックを受けたりもした。

1、2ヶ月経った頃、五月病のような軽いうつ状態になり、思い詰めて母の前で「学校に行きたくない」と涙ながらに漏らしてしまった。
母はわたしを抱きしめてくれたが、なんとも言えない居心地の悪さというか、気持ち悪さに近いものを感じてしまい、その後どう自分の気持ちをおさめてうつ状態から回復したのか覚えていない。
わたしの言葉に心を痛めた母の涙と、抱きしめられたときの違和感だけが、20年以上たった今でも記憶に残っている。

高校はカトリック系のミッションスクールで、2年生からは進学の目的によりクラス分けされ、英語に興味を持っていたわたしは英語コースを選んだ。
クラスの担任は英語教師だったが、優越感や劣等感をわざと引き出すような指導が多く、嫌っているクラスメイトも多かった。思春期の子供にとって優越感や劣等感は上手にコントロールできるようなものではなく、自己否定や妬みや嫉みがいつも自分の中や周囲にあったように思う。

その2年生の頃から本格的にボーダーパーソナリティ障害(以下BPDという。)の症状が顕著になる。考えてみれば小学3年生で生理が始まってから既に8年が経過しており、体の中の鉄分は底をついていたのではないだろうか。

「メンヘラ」という言葉はまだ存在しておらず、50人ほどのクラスでBPDの様相を呈していた人は自分以外知らない。知らないだけで他にもいたのかもしれない。個性的でありたい、変わった人でいたいという願望が強かったので、他にそういう存在があったとしても、目に入れようとしなかったのかもしれない。

この頃、他クラスに帰り道が一緒で親しくなった人がいたが、彼女はわたし以上に危うく、でもとても優秀で魅力的な人だった。まるで映画『17歳のカルテ』のアンジェリーナ・ジョリーのようで、一緒にいるのは刺激的で楽しく、大学を卒業してもときどき連絡を取り合っていた。
しかし彼女はだんだんと戻れない方へ道を踏み外していき、泣く泣く縁を切ることになるのだけれど、高校時代のわたしにとって自分より危うい存在があるということは、残酷な言い方だが、ある種の救いになっていた気がする。

それ以上に、わたしは彼女が大好きだった。

続く

Thank you for reading so far.
yama


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