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藤川理論を始めて:これまでの振り返り(10) 解離性同一性障害のこと①

これまで、以前の症状を振り返りながらnoteを書いてきたが、書こうと決めていたことが書き始めるとどうしても筆が進まず、だいぶ間が空いてしまった。

それは過去にあった症状では自傷に続いて一番激しいもので、周囲を巻き込むことも多かったため、黒歴史中の黒歴史な上、未だにそこに戻ってしまうのではないかという恐怖感がある。
そのため、そろそろ書けるかも、と思いnoteを開いてみても、いたたまれなくなってやめてしまう。もしくは、noteを開くまでもいかない。気がつけば1年以上それを繰り返していた。

こうして今筆を進めることができているのは、先日ツイートした自分の言葉で何らかのスイッチが入ったせいだと思う。

そんな時にふと考えるのは、「わたし」と自分を一人称で呼べるのは、わたししかいないんだよなあ、ということ。

人によっては意図することがあまりよく分からないかもしれない文章だが、私にとってはとても意味が深い。
私は一時期、解離性同一性障害、俗に言う多重人格の症状に悩んでいたことがあり、自分が「わたし」であるというのはとてもとても重要なことだからだ。
上記のツイートの着地点はこれから書いていくこととは関係ないところにあったが、無意識的にアウトプットした言葉が何らかのスイッチを入れ、物事が先に進んでいくことはよくある。

症状に悩んでいたのは5、6年前で、頻繁に起きる時期と落ち着く時期を繰り返し、おそらく1年ほど症状は続いた。
以前、体調が悪く情けない言動ばかりする自分が心底嫌になり、一念発起で就活をした話を書いたが、その主たる症状が解離性同一性障害だった。

当時のパートナーは同じくメンタルの病気を患っており、さらに私より重かった。それを分かった上で付き合い始め、当初はどうにかなるだろうと思っていたが、双極性障害Ⅱ型、境界性人格障害(BPD)と診断された私とは違い、相手は被害妄想を伴う疾患だったこともあり、コミュニケーションが次第にうまく取れなくなっていった。

BPDの症状は元々あったが、付き合い始めは恋愛による高揚感もあり自傷等も止まっていた。しかし、次第にお互いの体調が悪化していくにつれ、相手が自分の思い通りにならないことに耐えられなくなり、自傷や気を引くための問題行動を多く起こすようになった。

被害妄想を持っている人というのは、独自の確固たる世界を持っている。常識から外れていると指摘することや、論理的な説明をすることでその世界を否定することはかなり難しい。相手に話を理解してもらえた、受け入れてもらえた、と感じても、必ずその独特な理論や世界観に戻ってしまうため、こちらも絶望的な気持ちになる。

そういった症状への対応について勉強もしたし、カウンセラーに相談したこともあるが、私自身が病気を抱えていたため、そもそも支え合っていくことは難しかった。
また、相手は実家暮らしで家族とも最初は仲良くしていたが、次第に家族が抱える病的な問題が露見し、そこから何とか相手を引き離そうと躍起になっていた時期もある。しかし、結局は家族全体が共依存だったため、むしろ最終的に邪魔になったのは私の方だった。

常識的なこと、きちんとソースのある話が相手に受け入れてもらうことができないストレスはかなり辛かった。最初は愛情から言っていたことが、正義感からに変わってしまえば、それはもう良い関係とは言えない。
相手の家族からも表面的には受け入れられているように見えるものの、相手のためにという大義名分で家族の関係に変化を強要する私は疎まれ、だんだんと消化できない不満が私の中に溜まっていった。

最初に解離性同一性障害の症状が出たのはいつだったかもう覚えていない。
ある日、Yという子どもの人格が現れた。そのうち、学者のように論理的な話をくどくど言う「先生」も出てきた。この2人は、子どもらしい稚拙で感情的な言葉で相手に迫るか、上から目線の理知的な言葉で相手を操ろうとするか、対照的だった。

現れる際のきっかけは、主に相手との関係がうまくいかない時だったと思うが、症状が頻発していた頃はあまり他人格のときの記憶がなかった。
条件はパートナーと一緒にいる時のみと決まっていた。思い通りにならない相手をどうにかしたいという意志があるので、相手がいないところでは起きない。
起きない、と言い切ることはもしかしたらできないのかもしれない。記憶がないのだから、寝ていると思っていたらどこかにフラフラ行っている可能性もないわけではない。日本で他人格が犯罪を起こしたニュースが数年前に話題になったが、そういったものを耳にすると未だに少し不安になる。

他人格が現れることで相手との関係性が良くなったかといえば、もちろん良くなるわけはない。
むしろ、相手の家族が元々大きな問題をいくつも抱えていたこともあり、私の異常さは次第に受け入れられ呑み込まれ、最後にはただの面倒臭い案件という位置に落ち着いてしまった。
相手も最初はオカルト的な部分に戸惑いつつも惹かれ、医師のカウンセリングを一緒に受けたりしてくれたが、そもそもが歪な人間関係から起こっているため、そこから離れない限りは日に日に亀裂が大きくなっていくだけで、改善は見られなかった。

人格は2人だけでなく、最終的には5、6人いたように思う。人格の交代は突然で、相手の都合などはお構いなしに現れる。急に強い眠気を催したようになり、首がガクンと落ちたかと思うと、しばらくすると違う人格に変化している。トランス状態に入る感じに近いかもしれない。
キャラクター設定は割としっかりしていて、それぞれ一人称が変化し、口調も、声のトーンも変化する。子どもは無邪気に走り回るが、先生は体を自ら動かすことができず、ただただ偉そうなことを言う。パートナーに恋愛感情を持っている人格もおり、その人格とパートナーが仲がいいことに嫉妬したこともあった。

ここまで来ると状況はかなりのカオスで、パートナー以外の人間も巻き込んでいる状態だった。私自身も精神的にとても混乱していたが、それでも私はこれらは全て「自分の意志でやっている」と信じていた。上に述べたように、相手をコントロールしたいという確かな目的があるので、故意であると確信しており、ちょっとコントロールができないだけと思っていたし、相手にもそう言っていた。
しかし、解離性同一性障害のについての本を読むと、「本人はわざとやっていると主張する」と書かれており、愕然とした。パートナーからも「わざとだと言うなら今すぐ交代してみせろ」とけしかけられたことがあったが、意図的に交代することはできず、そういったことから症状であるという自覚をだんだんと持ち始めた。
また、自傷と同じくBPDには比較的よく起こることのようで、おかしな言い方だが、特別な事象ではないことにがっかりしてしまった。オカルト的な場に私自身も依存してしまっていたのだと思う。

ーもう自分はひたすらに周りに疎まれるだけで、病人とか障害者とかそんな立派な名前の存在ではなく、本当にただの迷惑な人でしかないのだ。

そう自分に絶望した瞬間が、いわゆる夜明け前の一番暗闇が濃い時間だったのだろう。

病人なら許されるかもしれないし、障害者なら守ってもらえるかもしれない。でも私はもうただの迷惑な存在でしかないのだ、と自分を蔑んだとき、それが実は全てが上向いていく前の「底つき」の瞬間だったのだと今は思う。

(つづく)


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