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🌸 栄養疫学の世界水準へ(1/3)

栄養疫学の世界水準へ(2/3)
栄養疫学の世界水準へ(3/3)

🍀序文 by 今村文昭

(on 2018年4月28日)ケンブリッジ大学に就任して早いもので6年目を迎えました。渡英するにあたり激励を下さった方、グラスを合わせてくださった方など、とても励みになりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。そして英国で知り合った皆さんも、これからも宜しくお願い致します。在英5年、あちこち寄稿して貯まったものを整理していたおり、就任後に初めて寄稿した懐かしいものをこの節目に投稿します。※日米医学医療交流財団・はる書房からは許可を頂きました。寄稿したのは次の公衆衛生学修士の大学院留学に関する書籍です。

「MPH留学へのパスポート 世界を目指すヘルスプロフェッション 」

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日米医学医療交流財団(編集)はる書房(出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/489984140X
https://books.rakuten.co.jp/rb/12746904/

監修は名古屋大学の岡崎研太郎先生です。以下、寄稿内容になります(1万2千字・・分割中)。ちなみに執筆のお話を頂いた際、MPH留学ではなくて良いのか伺ったのですがそれでも良いとのことでした。

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🍀所属・略歴

ケンブリッジ大学医学部英国医学研究会議疫学ユニット

September 2002 - August 2003
MS in Nutrition,Institute of Human Nutrition
Columbia University College of Physicians and Surgeons
New York City, NY, United States

September 2003 - February 2009
PhD in Nutritional Epidemiology,Nutritional Epidemiology Program
Tufts University Friedman School of Nutrition Science and Policy
Boston, MA, United States

March 2009 - March 2013
Postdoctoral Research Fellow,Department of Epidemiology
Harvard School of Public Health,Boston, MA, United States

April 2013 - present:
Investigator Scientist,Medical Research Council Epidemiology Unit
Institute of Metabolic Science, University of Cambridge School of Clinical Medicine,Cambridge,United Kingdom

🍀要旨

漠然と基礎科学を学ぶうちに,環境学,生命倫理学といった学際領域に興味を抱いた.大学院留学を決意し,基礎科学を武器にして社会に貢献できる公衆衛生学(Public Health)領域を迷うことなく選ぶ.そしてバングラデシュやグアテマラの公衆衛生学に触れ,栄養疫学(nutritional epidemiology)の理論と実践,フラミンガム研究などを通じて,栄養疫学者として歩む.現在,英国にて日本人栄養疫学者として,日本や発展途上国への貢献,公衆衛生学研究のあり方などに考えを巡らせる.

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留学をすると,世界における日本の姿を強く意識するようになる.必然的に日本を客観的に見ることとなり,異なる文化や考え方に接して日本人の常識との違いを常に感じさせられるからだ.そうした経験をしながら,世界各国の人と話をし,発展途上国の土を踏んで,研究者の道を歩んできた.

自分が日本人であることを最大限生かして,どのように日本と世界に貢献できるのか,留学する意味は本当にあったのかをずっと考えている.日本人の留学の系譜を辿ると,ドイツ留学を果たした北里柴三郎博士の名がでてくる.英国医学雑誌Lancetに寄せられた氏の業績を代表する論文1)には,細菌学の研究に限らず,臨床所見,予防手段,さらには必要とされる研究についても記載され,すでに予防医学研究を踏襲していた.これまですでにたくさんの先駆者が公衆衛生の土壌を作り,日本の誇るべき衛生や長寿を築いてきた.さらに現在,公衆衛生学修士課程への留学を果たしたり,日本で育った多くの公衆衛生学者らが,日本における医療や社会の課題と向き合っている.

では今後,どのようなことに留学の価値を見出すべきなのだろうか.いまだ確証はないものの,日本人がその素養をもって欧米の公衆衛生学(Public Health)を吸収して,日本と世界とで旗を振ることに,まだまだ価値があると考えている.私の中でその考えが芽生えたのは,模索しながら栄養学(Nutrition)と疫学を両刀とする栄養疫学(Nutritional Epidemiology)という領域に身を投じた頃で,更に博士号を取得し,研究してきた故に他ならない.その経験や考察をここに紹介したい.私の寄稿が公衆衛生学を視野に留学を考えている人の一助になれば光栄である.

🍀医療について未経験な理工学部出身者

海外留学の考えをかためていく
大学院留学を意識したのは,上智大学で理工学部に入学した1年目であった.理系でも英語が重要と父から聞いていたこともあり,英会話を学んでいた.父は京都大学卒業後,企業の研究者として米国ボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学しており,留学は縁遠い話ではなかった.
また,90年代にジャーナリストの秋山豊寛氏や医師の向井千秋氏が宇宙飛行士として活躍した.私にはその人選がまったく理解できなかったが,そのことも,海外への興味を掻き立てていった.

また,幼少からサッカーが好きだったので,三浦一良のブラジル留学を経たキャリアに憧れていた.歴代の日本サッカー協会会長の中に,ハーバード大学に留学した人がいるらしい.調べると,第4代会長の野津譲氏が1934年にハーバード大学公衆衛生大学院修士課程(Harvard School of Public Health)を卒業していた.こうした事柄すべてが大学院留学を思い描かせる糧になった.

学部3年の夏に,ボストンに2週間だけ旅行し,そこで海外の大学院を本格的に目指すことに決めた.しかし何を学ぶかについては,4年の夏まではっきりとは決まっていなかった.当時,上智大学の全学部で環境学が好評だった.複数の学部の教授陣が,多くの学生の興味を惹いていた.化学科でも『沈黙の春』『奪われし未来』といった書籍が紹介され,社会でも「環境ホルモン」などが話題になっていた.

また,私が魅力を感じた講義に生命倫理学があった.文学部,法学部,生命科学の教授や近所の慶応大学医学部の教授たちが講義をした.環境学と同様に,科学ではどうにもならない事例,そしてその学際性に惹かれた.また問題提起をする事例にも海外の事例が多く,学問の有り方の違いを感じていた.

日本の理工系科学は高度成長を支えた柱で,日本人は未来永劫誇りに思うべきことである.しかし,足尾鉱毒事件や水俣病などの公害を生んだ歴史もある.私が大学院留学を具体的に考える前にも2つの原子力発電所で事故があった.もんじゅナトリウム漏洩事故と東海村臨界事故である.生命倫理の課題には医療工学や薬学を含む医科学の発展があるからこそ生まれたものもある.そういった問題の根源は科学者であるにもかかわらず,解決に奔走しているのは医師や法曹,政治家だ(真実ではないがそう思えた).科学者が責任をもって情報を提供するなど,もっと果たす役割があるのではないだろうか.

上智大学の誇る研究にベトナムの環境保全がある.枯れ葉剤の使用はマングローブや農地への環境汚染を通して地域経済へ大打撃を与えた.奇形児の出産は医学界でも問題とされてきた.そしてこの問題に長年取り組んでいたのは,上智大学の外国語学部である.「外国語学部」と聞いた際,日本の科学の狭さを感じてしまった.

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日本に必要な学問 ―公衆衛生学,そして栄養学―
こうした事柄に思いを巡らせ,私は公衆衛生学に興味を抱いていった.「公衆衛生学」など聞いたこともなかったが,知るのに時間はかからなかった.図書館や新宿駅南口の紀伊国屋に足を運んで調べていくと,公衆衛生大学院(School of Public Health)というものが北米にはあり, 公衆衛生学修士(Master of Public Health,MPH)という学位があることを知った.迷うことなく,「これが日本に必要な学問だ」とわかった.基礎科学を武器に,まず公衆衛生学を修士課程で学び,特定の領域に的を絞って博士号を取ろうと決めた.

公衆衛生学について調べていくと,栄養学の関与がすぐに理解できた.学生時にダイオキシンの問題で,埼玉のほうれん草はダイオキシンに汚染されている旨をあるキャスターが述べた.そして,日本中でほうれん草の消費が減るという風評被害が起きた.また同時期に,和歌山毒物カレー事件でヒ素毒が注目され,ある化学者が「ひじきにはヒ素が多い」と発言したことによって,ひじきの消費が減った.こうした食と健康の話題には栄養学者が音頭を取ればいいと思ったが,彼らの活躍で娯楽の域を超えたものは私の目には映らなかった.そして公衆衛生学と同様に,栄養学にも留学する意義を確信した.

私は理工学を学び,医療や公衆衛生の仕事などは未経験だったので,MPHプログラムへの出願は不利と思ったが,お構いなしに準備を進めた.EpidemiologyやEnvironmental Healthなど,基礎科学者なら応用が利きそうな部門を複数設けている大学院には,一校につき複数の願書を用意した.そしてコロンビア大学医学部栄養学科(Columbia University, College of Physicians and Surgeons, Institute of Human Nutrition)への出願も行なった.

出願,進路は白紙
出願時のエッセイでは上述したような科学と社会との違和,日本人として欧米のEvidence-based medicine(EBM)を学ぶ必要性や日本人が世界に貢献できる可能性などを述べた.私のエッセイは未熟さも露呈しているが,興味のある方は参考文献2)に匿名で掲載されているので手に取ってもらいたい.仮に私が医療従事者であったなら,日本の衛生,結核の予防や環境汚染の歴史および問題に触れ,日本人が世界の医学に貢献する価値や欧米から学ぶべき事柄を述べたことだろう.

学部4年の秋には卒業研究をこなし,留学希望先への出願を終えた.学科100人ほどのうち,進路が決まっていない学生は私だけという,奇妙な状況を迎えた.

このような状況は,大学院留学を果たす人は誰しも体験することだろう.TOEFLとGRE(Graduate Record Examination)の準備と受験,推薦状を複数の人にお願いしたものの自分で書くことになったり,エッセイを書いて吟味する時間をとったりと,やることが多く予想以上に時間がかかった.成すべきことを期日以内にこなすことが,留学を果たす最初の難関なのだ.日常の仕事をこなしていると,ついつい留学への意思が揺らいでしまう.GREの模擬試験を受けたり,友人に公言したりと,大志を失わない戦略が必要になる.私はドイツに留学経験のある恩師の話を伺ったり,無料の模擬試験や説明会に参加したりすることでモチベーションを維持していた.

出願と卒業研究を終えてしばらく経った2月にコロンビア大学から分厚い封筒が届いた.薄い封筒だと不合格とわかっていたので,その厚さに北米行きが決まったと安心し呆然とした.医師でない場合,大学院課程は2年のものが多いが,コロンビア大学の課程は1年間だった.後日,いくつか別の入学許可を得たものの,1年で終えるほうがいいに決まっていると思い,コロンビア大学に決める.こうして私は栄養学の扉を開いた.

(続)

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