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🌸 栄養疫学の世界水準へ(2/3)

前回からの続き.

🍀コロンビア大学医学部栄養学科修士課程へ

疫学こそ目指すべき学問
コロンビア大学医学部の栄養学修士課程は,ニューヨークのマンハッタン北部の医学部キャンパスにオフィスを構える30人ほどの小さなプログラムだった.私を含む留学生が5人ほど,専門家として栄養学を勉強したいという医師が5人ほどであり,他は1年間でコロンビア大学の箔をつけ,北米の医学部へ進まんとする野心の塊のような米国人たちだった.
1年間のプログラムは異常な密度で栄養化学から臨床栄養,国際栄養学と網羅した内容だった*.国際連合の本部があるニューヨークの利を生かして,国際栄養の講義はUNICEF(United Nations Children's Fund: 国際連合児童基金)の専門家が出向いて講義をしてくれた.また,コロンビア大学公衆衛生大学院(Mailman School of Public Health)にて栄養疫学も学んだ.
*http://www.cumc.columbia.edu/ihn/courses

複数の講義を受けて,疫学(Epidemiology)が最も自分の目指すべき領域と思えた.基礎科学と応用科学を結びつける役割を果たす学問だからだ.臨床医学,国際栄養や公衆栄養を学んでも,根幹にあるのは疫学だとわかった――そしてその後,ボストンのタフツ大学の栄養疫学博士課程に進むことになる.

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一言に集中
私は日本で英会話に通っていたので,講義についていくのは問題ないだろうと思っていたが,実際のところまったくの無力だった.日本の英会話では「がんばって会話する」ことが認められる.ところがコロンビア大学大学院の講義では,聴き慣れない専門用語が飛び交い,議論する相手は誰もが自己アピールして良い評価をもらうことばかり考えている人たちである.結果は明らかだった.

慣れない医学論文を1日で10報読むというような課題が要求される日々であり,ほぼ諦めていた.鬱々とした日々が続く中,妥協案を考え出した.どの講義でもクラスルームの空気を変える一言だけを述べることに集中した.自分の基礎科学の理解と知識を総動員して,その一言を練り出すための予習をした.最初は空回りしてばかりだったが,次第に「彼は無口だが侮れない」という空気を作ることができていたように思う.

余裕ができた頃,他の学生も同じだと気づいた.抑揚をつけて流暢に話す人は,内容の乏しいことしか言わない.そして他の学生も課題をこなせてはいなかった.皆,うまくごまかしていただけだったのだ.

さらに試験時にカンニングが発覚した.私は関与しておらず,詳しくは不明だが,クラスの半数が罪を犯したとのことだった.結局,クラスの全員が再試験という連帯責任を負わされた.その数日後,偶然にも日本のある大学で,携帯電話を使ってカンニングをするという事件が報道された.学生の質は日米でそう変わりはないのだと痛感し,気が楽になると同時に悔しさを覚えた.

自分のサバイバル術が実ってきた頃,冬の間にできることを捜すため,教授の1人に相談しに行った.そしてコロンビア大学公衆衛生大学院でバングラデシュのヒ素研究を紹介してもらう.プロジェクトを率いる教授と面接をし,年末年始の3週間,バングラデシュに赴くことになった.

途上国で活躍するには―バングラデシュでの健康調査―
バングラデシュは公衆衛生上のに関した問題を多く抱えている.飲み水がヒ素で汚染されている問題もその1つであり,首都ダッカから車で3時間ほどの農村地帯でヒ素中毒関係の健康調査が行なわれていた.私はベンガル語ができなかったので,何度か同行させてもらい,状況を把握するのみだった.調査にかかわる若手の医師や学生などと仲良くなり,英語で話をした.誰もが日本に強い好奇心をもっていた.彼らにとって日本は太陽の出ずる国なのだ.

3週間ではできることが限られていた.化学研究の経験を有していたことから,血液分画と尿の検体のプロセシング,ニューヨークに郵送するプロトコルの作成とパイロット試験を行なった.化学科では空気に触れたら壊れるような化合物を扱っていたので,それと比べたら難しいことはなかった.さらにバングラデシュの医学部生の指導をすることとなった.サンプリングと郵送を済ませて,短期の滞在を終えた.

ニューヨークに戻り,バングラデシュより届いたサンプルから遺伝子多型が問題なく測定できるか検討した.問題ないことがわかったまさにその時に,小さな貢献を果たしたことを実感できた.その後はボストンに発つまで,公衆衛生学の研究室で白衣を着て,研究のアシスタントとして仕事をした.
「発展途上国で活躍する」というとさまざまな形があると思うが,日本人の技術を生かすことが1つの形だと身をもって知った機会となった.一方で,技術の貢献であれば,留学する必要もないように思えた.そんなことも考え,迷いながら,自身のキャリアをタフツ大学栄養疫学プログラムの博士課程に賭けることになる.

🍀修士は修める学位,博士は究める学位

修士課程は研究者を育てない
マサチューセッツ州のタフツ大学フリードマン栄養科学政策大学院大学栄養疫学博士課程(PhD in Nutritional Epidemiology, Tufts University Friedman School of Nutrition Science and Policy, Nutritional Epidemiology Program)のプログラムの門をくぐった.

そこで修士課程と博士課程の違いがすぐにわかった.修士課程では学を「修める」ことが目的とされている.最先端を幅広く知ることに重きをおき,その後の専門性は個々の大志に任せている.実際,コロンビア大学の修士課程では,卒業生は医学部や基礎科学の博士課程,国連機関,報道機関などに羽ばたいていった.そういった修士課程の大意はおそらく今でも共通していることだろう。

日本の公衆衛生学者は,欧米などで修士課程で公衆衛生学を学んだのちに,公衆衛生学研究を行うケースが多いと思う.この仕組みの問題点の1つに,MPHプログラムが研究者を育む課程ではないことが挙げられる.MPHプログラムにて研究の方法論などを学ぶが,それは机上の理論と捉えるのが無難と思う.

実際に日本で公衆衛生学者として活躍している研究者たちの多くは(私の専門上,疫学領域で感じるかぎり),研究のいろはを日本で学び,欧米で公衆衛生学を修め,日本と欧米の知見の相乗効果を日本の公衆衛生にもたらしている.

日本では,公衆衛生学教育が充実してきている一方で,研究のための指導をしっかりと受けずに公衆衛生学研究に従事する人が増えている.同様に,公衆衛生学を学ぶことなく,公衆衛生学研究を模倣する研究者も増えてきている.そして,スポーツのようなアマチュアとプロの隔たりがないため,公衆衛生に混乱が生まれているように思える.これは程度こそ違えど,多くの公衆衛生学者が問題視,疑問視していることだろう.(MPH)修士課程はあくまで学を修めるものであり,その先,物事を究めるには,またさらに峠を越える必要がある.

混沌とする栄養疫学の世界
栄養疫学博士課程のカリキュラムでは栄養学はもちろん,疫学や生物統計学(Biostatistics)に特化した内容も設けられていた*.公衆衛生に貢献するためには,栄養疫学だけを学んでも無意味であることを表している.栄養疫学は栄養学に加え,疫学の基礎や生物統計学の基礎があって初めて成り立つ応用領域である.しっかりとした基盤がないと,研究を行なうのはもちろん,たとえば研究や政策の質を正しく評価することもできない.
*http://www.nutrition.tufts.edu/academics/epidemiology

タフツ大学の栄養疫学のプログラムは一連の必要な科学を網羅していた.また研究のプロポーザル,口答試験などの機会も得ることができた.近所のハーバード大学も同様のプログラムを有していた*.
*http://www.hsph.harvard.edu/nutrition/prospective-students/nutritional-epidemiology/

栄養疫学とは,簡単に述べれば,食べ物や栄養素の摂取の状況を把握し,それらと病気や生活習慣との関係などを検討する.そしてその検討に必要な方法論が研究対象となる.日本でも食への関心の高さを反映するかのように急速な発展を遂げている.

栄養疫学の世界は混沌としている.インターネットが普及したことで,たった1つの研究の概要だけが娯楽の一部のように扱われることも少なくない.研究者が複数の研究を踏まえて客観的に吟味すべき内容であるにもかかわらず,である.公衆衛生学の教育を受けたとは思えない医療従事者が栄養学と疫学の深みのない知識をブログで解説したり,非科学的なダイエットの書籍の出版が相次ぐなど,挙げていけば切りがない.

栄養疫学の研究は増え続けている.データがなくとも総説を書いたり,メタ解析を行なうことは可能だ.あるデータベースを検索すると,栄養関係の雑誌は総説のみのものを除いて300誌以上にもなる.論文を書けば,どんなものでもやがては受理される状況である.

2005年,LancetとBMJという著名な医学雑誌にて,地中海ダイエットに関する研究報告の捏造の問題が挙げられた.おそらく氷山の一角だろう.赤ワインの研究で捏造を認めた北米のある研究室と日本のとある研究室は姉妹関係にあるが,共著で書かれた論文などに問題はないのだろうか.

栄養疫学を真似た論文は多いが,心から拍手を送れるものは本当に少ない.医学界に従事する人なら誰しも,代替医療の専門家らしい人物がテレビに出演して根拠のない持論を述べるのを観て,野放しにしてよいのかと感じることだろう.同様の事態が栄養疫学にもある.タフツ大学にて,実例をもって栄養疫学研究の力,そして多くの過ちに触れたのだった.

🍀グアテマラでの研究

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Quetzaltenango, Guatemala

バングラデッシュで得た手ごたえを胸に,発展途上国で博士研究をしたいと考えるようになった.そこで選んだ機会がグアテマラでの栄養疫学研究である.まず1年目の秋と春の講義を終えて,夏の期間の4カ月の間にグアテマラで仕事をさせてもらった.

グアテマラはメキシコと隣接した国である.山々の自然が豊かで,マヤ遺跡を除けば,日本の景色を思い出させる.50年にもわたる内戦が終息したのが90年代で,歴史の傷跡が残っていた.パン屋は鉄格子越しにパンを売り,ピザ屋には銃を持った守衛がいる.貧富の差が激しく,過去の貧しさを示すように大人は一様に背が低く,さらに近代化のためか,栄養失調で肥満が多いという問題が蔓延していた.

私が所属したのはThe Center for Studies of Sensory Impairment, Aging and Metabolism (CeSSIAM)という小規模ながら重要な栄養学研究を20年以上続けている研究施設であった.スペイン語はボストンで学んでおいたものの,一般人に生活習慣を聴くなどの即戦力とはいかず,地元のスタッフとともに研究情報の整理と解析とに終始した.ジョンズ・ホプキンス大学の女子医大生も一緒だったのだが,彼らはスペイン語も堪能で現地のスタッフと一緒に乳母の母乳を集めるという仕事を担っていた.

現地スタッフの仕事振りは本当にのんびりしており,ジョンズ・ホプキンス大学の学生もそのペースに合わせていたのと,夏休み感覚もあったのとで,結果的に私は誰よりも仕事をしていた.博士論文の研究の題材にしたいという意識があったことも要因だろう.

そして最終日を意識する頃,共に仕事をしたスタッフと話をする機会があった.研究施設での私の評判はよいとのことだった.その施設は多くの学生を欧米から引き受けてきた.公衆衛生の分野で国際貢献したいという人が多いからだろう.しかし現地スタッフにとっては外部者を受け入れることになるため,実際にはその体制に疲れているとのことだった.

言葉や生活面の面倒などが伴うこともあるが,それ以上に学生の多くは夏休み感覚だったり,出しゃばりが多く,仕事のペースやチームワークが乱れるのだという.私が淡々と仕事をする様は異例とのことだった.買いかぶりかもしれないが,日本人であることに価値があると感じた瞬間でもあり,心に残っている.

疫学の最前線
グアテマラを去る前,スペイン語で成果を発表し,好評を得てボストンに戻った.CeSSIAMのディレクターから博士研究で戻ってくるように言って頂いた.しかし結局,博士研究は米国で行なうことにした.グアテマラでの経験は楽しく,可能性も秘められていたが,グアテマラにて疫学や生物統計学のしっかりとした基礎を身につけることは期待できなかったからだ.それでは,栄養疫学博士として発展途上国で活躍しているつもりでも,付け焼刃の科学者を気取ることになってしまう.

バングラデシュとグアテマラの経験を通じて1つの確信を得た.日本の衛生感覚,環境汚染に対する取り組み,さらには高齢化の歴史とともに培ってきた医療などは他の国々に伝えるべきである.しかし同時に,いわゆる発展途上国に足を運んで,日本の美徳を押し売りしてはいけないと知る.

グアテマラのような中堅の途上国では,現地のスタッフが現地のために頑張っている.それを思うと中途半端な自分が発展途上国の現場でギクシャクするよりも,科学を武器に,世界のどの国に行っても揺るがない基礎を身につけ,発展途上国を陰で支えられるようになるのがよいのではないだろうか.それが当時,自分を納得させた考えだった.

そうして複数の教授と相談した後にアドバイザーを替え,博士課程の内容も変更した.その研究の1つが1948年から続くフラミンガム心臓研究である.
タフツ大学の栄養疫学はフラミンガム研究の栄養学的な研究を担っていた.質のよい情報が集められ,さらに研究を通して多くを学ぶことができる.近所のボストン大学にはModern Epidemiologyという有名な専門書の著者がおり,さらにフラミンガム研究の知見や理論が集う拠点となっていた.

発展途上国での研究も魅力的だが,ボストンの英知を吸収するのは今しかない.基礎科学を応用科学に展開する基盤を作るのが今だと考えるに至った.そしてタフツ大学での栄養疫学とともに,疫学・生物統計学の深部をボストン大学で学んだ.

他の学生よりも長い時間をかけて勉学に励み,5年半が経ったところで博士号を取得した.方法論にも着手した私の研究は,メディアや栄養士などが興味をもつような研究ではなく,おそらく玄人向けの内容であった.その背景にある科学の地盤こそ,ハーバード大学公衆衛生大学院での研究職,そしてケンブリッジ大学(University of Cambridge School of Clinical Medicine)での永久職を私にもたらしたものと断言できる.

(続)

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