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🌸 栄養疫学の世界水準へ(3/3)

前回からの続き.

🍀ハーバード大学公衆衛生大学院博士研究員として

指導の違い
2人の教授,そして6人の若手研究者とインタビューをし,1時間弱の講演を行なって,博士研究員としての採用が決まった.私の栄養疫学の方法論への理解を,循環器系医学の世界に生かすことが命題になる.科学研究費を獲得したり,病院のカルテから循環器系疾患の情報を引き出して疫学研究に生かしたりと,またとない経験を得ることができた.

タフツ大学の博士課程では,私に指導を施した教授は疫学者,栄養政策に強い生命科学者,そして統計学者の3人だった.一方,ハーバード大学公衆衛生大学院での指導は,医学博士(Doctor of Medicine: MD)と公衆衛生学博士(Doctor of Public Health)を有する教授より授かった.着任後,まず指導のスタイルの違いに驚いた.医師,栄養学者,疫学者,統計学者の視点はそれぞれ異なるのだ.長年,幅広い領域の研究者と交流を図ることの価値を知った.

またタフツでも博士論文を仕上げるべく厳しい指導を受けたが,ハーバードでの指導はさらにシビアであった.基本的に北米では博士号を取得した後に博士研究員になるのはそれほど難しいことではない.しかしその後,さらに駒を進めるのは非常に困難で,それが生活習慣病の疫学という人気の領域となればなおさらだ.そのためにハーバードの教授からは,一連の研究を仕上げるには収まらない研究者として独立するための指導を授かった.

また,他の研究者との交流を重ねるうちに,教授陣からの指導はケースバイケースで異なることを知った.よく諸外国から研究留学やMPHの学位留学という形で,公衆衛生大学院に人材が集うが,そういった若手には北米の競争社会で生き残るための指導をする必要がないためか,厳しい指導は行なわれない.

教授に論文の共著者になってもらえたとしても,厳密には読んでもらえない,訂正があっても細かい説明や議論まではしてもらえないということも多い.プロポーザル,医学論文,メディアへのレポートの書き方やプレゼンテーションの方法などの指導はほぼないといっていい.MPHの学生のレポートの英語や論理の構造に著しい改善の余地があっても,提言してもらえることはない.

私の指導教授は新しいアイデアについて寛容だった.ハーバードの教授に私が提示した研究のアイデアの1つは,医学界やメディアの興味を引くことは期待できないが,科学的に新規で誰もが着目してこなかった事柄疫学研究だった.医学界では臨床の意義の有無が非常に重要であり,必ずしも科学の新規性が重宝されるわけではない.そのため論文を書いても,臨床応用への可能性が低い内容は,その科学的な価値にかかわらず見向きもされない可能性を伴う.

教授は当然そのリスクを理解しつつも,私の話に耳を傾け,全面的に私を支援してくれた.膨大な時間がかかったがCirculationという循環器系医学のトップ雑誌に掲載された3).査読に”exceptional science”という評価をしてもらったその論文は私の自信になっている.これまでの経験から,他の国に比べ米国ではチャレンジ精神を尊重し支援するする寛大さがあると感じている.

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Afternoon Tea at Peacocks Tearoom, Ely, Cambridgeshire

査読より思う・・・

私に自信を与えてくれた事柄に2011年,2012年と2年連続の米国内科学会による表彰がある.博士研究員として仕事をしている際,Annals of Internal Medicineという有力な学会誌の査読を行ない,その質が評価さた形であった.

査読の評価は個人のEBMの理解度だけが評価対象になるため,その表彰は自信になった(学会賞などは共同研究の賜物であり,個々人の実力が評価された形とは言い切れない).最近は学術誌だけでなく,米国の心臓学会も含め,学会抄録の査読も行なうようになってきた.さらに経験を積んで,将来,医学論文のあり方を改善する活動に寄与できたらと思っている.

ここ数年間,査読をこなして,論文の質のバリエーションに驚いている.疫学や生物統計学の専門用語や研究方法の誤用,誤解を生むような表現,歪曲した解析・解釈など,度を越しているものもあり,気持ちよく査読できないこともある.英語を母国語としない欧州やアジア各国の著者の論文でも,英語の問題がネックになっているわけでは必ずしもなく,英米からの論文も含め,科学論文として成立していないものは多く存在する.そして多くの査読者は短いコメントのみだ.論文の執筆者は根本的な問題に気づかないまま,研究をし続けている構図がある.

質の悪い研究論文が投稿されるのは,公衆衛生学の流行りも要因にある.医学界の強い関心が,公衆衛生学者に未熟でも論文執筆を急がせ,雑誌側はその維持も必要であるから多少の問題があっても雑誌を発行し,論文の量産という状況を生んでいる.

フラミンガム心臓研究を含め,欧米の研究機関が抱える大規模疫学研究は公衆衛生学者,特に疫学者にはとても魅力的に映るだろう.良質で膨大なリソースが分析を待っている.ハーバード大学には世界中から研究者が集って疫学研究を行なう.MPHの学生も研究する機会を得る.著名な教授陣も共著者として,研究の質を向上させるべく責任を果たす.生物統計の不安については,専属の生物統計学者に頼れば妥当な答えが返ってくる.

こうしたサポートが充実すると,研究者はその分,少ない努力で結果を出せてしまう.そして医学雑誌が大量にある中,「こうすればとりあえず論文が受理される」という基準が妙に定まってしまう.医学雑誌では,トップの医学雑誌を除いて,きちんと疫学や統計学の質を判断できる人が査読を担うわけではない.そのためEBMとしては質が高いといえない論文でも,いずれアクセプトされてしまう.業績の量が重要視されているものの,近年は然るべき科学者像がかすれているように思う.

日本に限らず,MPHの課程を経る学者が多くなってきた.しかし,修士のプログラムでは研究手法の一部を講義しているものの,研究できる人材を育てる仕組みを設けてはいない.疫学や生物統計の講義がカバーできるのはほんの一部でしかない.MPHの課程ではカバーしきれない内容については,欠けている部分を見抜いて誠心誠意指導してくれる指導者が必須と考えている

🍀日本人にしかできない世界への貢献を

ハーバード大学公衆衛生大学院での博士研究員としての期間が4年目に入った頃,それまでの業績を揃えて次のキャリアステージを捜した.発展途上国へ貢献する機会はいまだ逸したままだが,公募の枠を通じ栄養疫学者としてケンブリッジ大学の永久職に就くに至った.

同世代の研究者に比べ業績は少なかったので,業績の量ではなく質や科学に対する姿勢を評価してもらったのだと感じている.その根源には日本で身に着けた基礎科学がある.創立から800年強,ケンブリッジ大学は純粋科学を創造してきた.その歴史に恥じない科学を栄養疫学領域にて振起できたらと考えている.

ケンブリッジ大学に着任して3カ月後の7月,University of College London(UCL)にて日英交流150年を祝う記念行事が催された.150年前,伊藤博文を筆頭とする長州藩士5人が脱藩して渡英し,UCLにて勉学に勤しんだ後に帰国,日本の近代化に大きく貢献した.その長州五傑と呼ばれる英傑の大成を含め,19世紀から留学の価値が開花していった.UCLでの祝典は留学の意味を改めて考えるよい機会であった.

日本の歴史や文化,著名な科学者,そして私自身の経験を踏まえ,私は日本人特有の慎ましい姿勢,科学者の然るべき姿勢こそが公衆衛生学を支える核であると考えている.日本は科学技術で高度経済成長を支えて世界をリードしてきたように,公衆衛生学においても世界をリードできる.その通過点としてMPH課程への留学は妥当な選択肢であろう.そしてこれからの将来,日本の医療従事者・科学者は,MPHを含む大学院課程を踏み台に,日本の歴史が保障する,日本人にしかできない貢献を日本と世界にもたらし続けるだろう.

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[参考文献]
1)S.Kitasato, The Bacillus of Bubonic Plague, Lancet, 1894;144(3704):428–430
2)アルク入試エッセー研究会,留学入試エッセー 理系編, 2009
3)F Imamura et al., Long-Chain Monounsaturated Fatty Acids and Incidence of Congestive Heart Failure in Two Prospective Cohorts, Circulation, 2013;127(14):1512-1521

(終 ・・・ Thank you, all.)

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Hotel Sheene Mill, Melbourn, United Kingdom

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