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コロナ禍で直面した「HARD THINGS」を乗り越えられた3つの理由【観光業界 × SaaS】

NutmegLabsでCEOをしている中口です。前回は起業を決意した後に、実際にシリコンバレーで創業した方法や流れをご紹介しました。詳しくは以下をご覧ください。

創業後は苦しみながらも順調にサービスを構築し、Tractionが本格的に出始めた2020年にいざ次の資金調達をしようと動き出した時に起こったのが「コロナ禍」です。

思ってもみなかった未曾有の環境変化で一気に状況が変わり、一転して会社存続の危機に晒されてしまうことに。特に観光業界は壊滅的で、全く復興する兆しが見えませんでした。まさに「HARD THINGS」の状況で、答えがない難問と困難に立ち向かう必要があったのです。

このような状況に直面した時に一体何が起こるのか、どのようにすれば乗り越えられたのかを、Nutmegが実際に体験したストーリーと共にお伝えしたいと思います。

同じような困難に直面されている方、観光業界で今でも苦しんでいる方など、立ち直るためのヒントとして少しでも参考になれば嬉しいです!


コロナ禍で全てを失った

忘れもしない2022年の3月、対岸の火事であったはずのコロナがついに日本にも本格的に上陸し、人々の生活がまさに一変する事態に陥りました。

海外をビジネスのベースとしていたNutmegのサービスは一転して全てを失い、絶望の淵に立たされることになります。

一体何が起きたのか?創業からのサービス展開とコロナ禍で直面した厳しい状況からお話を始めたいと思います。

創業〜コロナ前:海外を中心にB2B向けの流通サービスを展開

Nutmegのビジネスの始まりは、今とは少し違う形態からスタートしました。当時は私の前職での成功体験(B2B向けのEチケットプラットフォーム)や、観光業界におけるジャイアントである「GDS(Global Distribution System)」を基礎に、現地体験業界のB2B向けの流通サービス(俗にいうサイトコントローラー、チャンネルマネージャー)を行っていました。

起業した2018年当時は、現地体験業界には他の業界にあるような確固とした流通サービスがなく(航空業界:GDS、ホテル業界:サイトコントローラーや チャンネルマネージャー)、ここを抑えればグローバルNo1になれる可能性があると感じていたからになります。

2020年の当時は大手の旅行会社やOTAと契約が取れた上で、既にいくつかの国・都市で事業者向けにサービスを提供し、今後は順調に成長できとようやく感じ始めたところでした。次の資金調達に向けて動き始めた時期だっと思います。

急転直下:コロナショックで売上0へ

更に拡大をしようと2020年の3月にグアムへの出張を予定していたのですが、出張の1週間前に衝撃的な連絡が来ました。コロナによって海外渡航制限がされ、空港が閉まるため全てのフライトが飛ばなくなると。

これを発端としたコロナショックにより、世界中のほぼ全ての旅行・観光が止まりました(空港は閉鎖・フライトなし・外出制限の開始)。今までの状況とは一転して、発生していた流通のトランザクションが0になったことで売上が0の状態に戻るという想定外の事態

ある意味パニックに陥り、私や当時の働いていたメンバーも軽いショック状態になっていたと思います。

全く先が見えない:過去100年で最悪の状況

売上が0になった時に冷静に考えたのは、「いつ復活するのか?」という疑問でした。そこで見えていたのが更に深刻な状況です。

比較対象として上がったのがスペイン風邪(1918年〜1920年)。このスペイン風邪が納まるまでの期間を見ると、なんと「2年」かかったという事実を目の当たりにして落胆してしまいました。

100年前に起きた最悪の事態が現代でも起きており、これは私の人生で経験してきた、NYのテロやリーマンショックよりも更に深刻だと気づいたからです。

ただでさえ復興の光が見えないのに、本当のHARD THINGSはこれから起きたのです。何が起きてどのような対応をしたのか見ていきましょう。


スタートアップを続けるか葛藤した1ヶ月

コロナ禍でどうすれば良いのか全く分からない中、次々と難しい決断を迫られる状況に追い込まれました。

外部の劇的な環境の変化もそうですが、この環境の変化に対応するための決断がまさに「HARD THINGS」だったと振り返って感じます。一体どんな状況だったのか、当時の記憶を頼りに詳しく思い出して記載します。

迫る危機:キャッシュ残高は残り僅か

まず始めに確認をしたのが、一体どのくらい会社が存続できるかというランウェイの確認でした。次に向けた資金調達の段階であったことから、当時は手元に潤沢な資金は残っていなかったのです。

当時のバーンレートで計算すると、「最悪は残り3~4ヶ月でショート」することが判明。まさに目の前に企業としての死が近づいた瞬間で、まさにショック状態だったと思います。

ショックは受けつつも、経営者としてなんとかできないかと様々な試みを始めました。米国と日本の両方で、政府が次々とする発表する支援内容を毎日チェックし、何か使えないかと奔走していた時期でもあります。

辛い決断:レイオフなしでは生きていけない

打てる手は全部打つという方針のもと、補助金の活用や支援策の利用に奔走はしていたものの、残念ながら今の従業員を全員養ったまま会社は存続できないという「厳しい現実」から逃れることは出来ませんでした。

特に米国側は日本における雇用調整助成金のような制度の整備が遅く、また利用するためにも手続きが複雑な上に早期に解決できないのが大きな理由だったと思います。

当時の方々には今でも大変申し訳ないと感じていますが、米国側にいた方々は一定の時期を持って全員レイオフ(Founderだけ残る)とさせていただき、企業の存続を優先せざる負えない難しい決断を行いました。

未来に向けて:会社続ける?業界同じ?同じサービス?

上記の通り難しい決断や様々な対応(補助金の活用・借入の実施・徹底的なコストカット)をした上で、なんとか企業を存続できそうな状況を一時的に確保することができました。

ただ根本的な問題は別にあり、仮にコロナ禍が2年続くとしてどうすれば良いかということ。毎日毎日葛藤して答えのない中を突き進んでおり、当時悩んだ大きく分けて3つの分岐点をお伝えしたいと思います。

・分岐点1:そもそもスタートアップを続けるべきか
・分岐点2:引き続き観光業界でチャレンジするのか
・分岐点3:どんなサービスを提供するか(既存 or 新規)

特に最初の分岐点は大きく、全く先が見えないどん底の状態でファイティングポーズを取って戦い続けるのかという悩みです。これは私だけではなく、残ったメンバーも一緒だったと思います。

結論としてはスタートアップを継続し、今の業界のままで新しいサービスを提供するという内容。なぜこういった結論に至れたのか、HARD THINGをどう乗り切ったのかを次からご紹介したいと思います。


HARD THINGSを乗り越えられた3つの理由

分岐点の1つ目と2つ目の結論を出すのが、私としての一番の悩みでした。このHARD THINGSを乗り越える上で、私自身が支えられた3つのポイント = 乗り越えられた理由をご紹介させてください。

これから同じ状況になる方はレアかもしれませんが、大きな困難に直面した時に少しでもお役に立てれば嬉しいです。

理由1:このまま退場するのが悔しかった

1つ目は私の気質にも関係するかもしれませんが、負けず嫌いが上手く作用したことです。当時はようやくこれから成長できるという的にリセットされてしまい、急成長というスタートアップの醍醐味を味わえないままでした。

自分の力不足なら納得できたのかもしれませんが、外部環境の変化に流されたそのまま市場から退場してしまうというのが「悔しい!!!」という感情が強かったのを今でも覚えています。

どうせならやるだけやって、それでもダメなら後悔はないなと。今となってはこの決断は本当に良かったと感じており、悔しさをバネにして成長するという良い例になったと考えています。

理由2:支援者に恩返しがしたかった

2つ目はNutmegをシード期から資金面・組織面でも支えてくれたエンジェル投資家さんへの恩をなんとかして返したいと思ったことです。私のメンターとして彼らに支えられ、今でも頭が上がらないほどの感謝をしています。

困った時に悩み相談に乗ってくれたり、成長するための良いパートナーを一緒に探してくれたり、知り合いのシリコンバレーネットワークを紹介してくれたりと、ここでは挙げられないほどの恩を感じていました。

その方々が創業チームやビジネスの可能性に掛けてお金と時間を投資してくれているのに、これにどうしても恩返しがしたいという想いがスタートアップを継続する背中を押してくれたと思います。

理由3:どん底から這い上がるしかないと開き直れた

最後の3つ目は、次の100年の間にこれ以上悪くなることはあるのか?と開き直れたことです。つまり今がどん底なら、後は上がるしかないと思えたこと。特に観光業界は本当のどん底だったので、考える上で分かりやすい状況だったのも良いことだったと思います。

ピンチはチャンスという言葉通り、ピンチの時に頑張って仕込めれば前以上の良いサービスが作れて爆発的な成長ができると楽観的に考えました。

なぜそこまで楽観的になれたかはロジックでは上手く説明できないのですが、決断をする上でも唯一の光として支えてくれた大事なマインドだったと思います。

今となっては良い思い出ですが、当時は毎日毎日調べては悩み、悩んでは落ち込み、落ち込んだら開き直るを繰り返した気がします。もし同じような状況になった方がいたら、こんな考え方もあるんだよと思い出してみてください。


まとめ

今思い返してもよく乗り切れたなーと感じる日々を過ごしています。私の場合は外部環境の変化によって急に引き起こされたHARD THINGSでしたが、だからこそ悔しさ・恩返し・開き直りで乗り越えられたのかもしれません。

一方で考え方やマインド次第では、どんな困難な状況に陥っても乗り越えられるのだと自信がついたことが大きな収穫でした。ただ同じ状況にはもう一度なりたいとは思いません(笑)。(もちろん来たらまた乗り越えるつもりです)

スタートアップで仕事をしていると様々なHARD THINGSに直面しますが、周りにこういった状況を乗り越えた人がいると、相談できたり一緒に考えたりと頼もしくあるはずです。もし大きな困難に直面している方がいたら、是非気軽にお声がけください。

次の記事では、企業の存続を決めた後から直近でPMFを感じるようになったまでのストーリーをご紹介したいと思います。どんな思想で、何を考え、なぜ今のProductに辿り着いたかをお伝えしますので、楽しみお待ちいただければと思います。

もしNutmegのストーリーに共感いただいた方や、私に興味を持って頂いた方は、是非一度お話しできればと思いますで下記よりお問い合わせください。

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