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もっとカジュアルに好きになりたい

例えば、noteの「スキ」みたいに、ポチッとハートを飛ばすような好きでいたい。なんて書くと、まるでnoteのスキが軽くて軟派な感じに聞こえるけど、もちろんそうじゃない。読んでいて好きだな、応援したいな、そう思ったことを伝えたいな、と思ったからこそスキをするわけで、決して適当な気持ちで押してるわけじゃない

ただ相対的に、今から語る「好き」が、ちょっと重たいのである。

私は、あまり自分を「何か」だとカテゴライズするのが好きではない。その枠からはみ出したらいけない気持ちになるから。だけどそうしようとしたならば、おそらく私はいわゆる「オタク」に分類される。

だから、最初は自分の「好き」が重いことに違和感を感じなかった。というか、そもそも重いとも思っていなかった。

一人のキャラクターにどデカい感情を向けてる人なんてザラにいるし、その誰もが私と同じ、いやそれ以上の熱量を向けている人ばかりで、私なんてまだまだだな、と思っていたし、今でも思っている。

そう、二次元のキャラクターに向ける分には問題ない「好き」なのだ。いくら重くたって向こうが何かを感じることなんてないし、最初から一方通行なので、思い詰める心配もない。

同じように、本や雑貨などの無機物に向けるのも全く問題はない。私がいくらお気に入りの本に「あなたが世界で一番!あなたがいないと生きられない!他の人なんて見ないで!」なんて思いの丈をぶつけたところで、本が「うわ、重⋯⋯」と思うことはないし、なんなら他の人を見ることも私から離れることもできないわけである。私たちずっと一緒だね⋯⋯。(注:実際にこのように本に愛を囁いているわけではありません。これはあくまでも例え話です)

でも、現実の人間や事柄相手ではそうもいかない。

例えば、最近私はネットのとあるゲームにハマっている。

私は熱しやすく冷めやすいというか、一旦ハマると、まず何日も何日も同じことを繰り返す熱中期があり、それを繰り返した先で飽きたり冷めたりもう充分遊んだなと思う満足期がくる。満足期がくるとハマっていたのが嘘みたいにあっさり離れ、しかしまた暫くすると熱中期に入り⋯⋯私にはそういうサイクルがあるのだけど、今はおそらく熱中期と満足期の間ぐらい。一番微妙な時期であるのだが、それはともかく。

別段、ハマったことに問題はない。ふと気が向いて放置&クリッカー系のゲームアプリをダウンロードするようなものである。面白ければ続けるし、面白くなければさっさとアンインストールすればいいのだ。

(ちなみに今回の話とは全く関係ないが、最近入れた放置系のゲームは「進化は終わらない」というゲームで、地球の生命の誕生から生物の進化の過程をなぞるゲームである。海外のゲームらしく翻訳がたまにちょっとアレだが、なかなかに面白いので、できるところまでやってみるつもりでいる。今のところは)

問題は、そのゲームが対人ゲームであったことだ。

何度か出入りしていれば、自然と顔見知りができる。顔見知りと何度か一緒にゲームすると、なんか親近感が湧く。心理学的にも毎日顔を合わせていると好感度が上がるとかなんとか言うあれだ。

そうするとどうなるのかというと、自然となんとなく相手のことが好きになる。恋愛的な意味ではなく普遍的な意味で。それがカジュアルな、noteの「スキ」を押すようなものなら無害だが、私のような重い「好き」が発動してしまうとどうなるか。

とても面倒くさくなる。主に私が。

面倒くさいの具体例としては、嫌われたくないとか、他の子とばかり仲良くしないで欲しいとか、もっとあなたのことが知りたいとか、私のことを知って欲しいとか、なんか、そういうやつだ。もう書くのが恥ずかしいので、できれば察してほしい。

これは本当に良くないと思っている。本気で。現実の友達に向けてもまぁまぁ重たいのに、ネットで同じゲームをしているだけの、お互いどこに住んでるのかも何が好きかもしれない人間に、友達になる気もないであろう相手に、そんなもん向けてどうするんだ。

「友達になる気がないかどうかは分からないんじゃない?今はネットで友達作る人も多いじゃん」と思った人もいるだろう。私も実はちょっと考えた。ネットでの出会いには危険も多いけど、でもなんかいい感じの例もあるじゃない?

でも、私は彼ら(ないしは彼女ら)と、友達を作るためのアプリで出会ったわけではない。ましてや意気投合したわけでもない。ただただ、ゲームをするためのサイトで出会い、ゲームを一緒にして、お互いがサイトで使っている名前を覚えただけである。

つまり、そのサイトに集まっている人たちは、友達作りをしに来ているわけじゃない。ゲームをしに来ているだけだ。ある日来なくなった人がいても、もちろん残念に思うけれど、それは「あの人とゲームするのは楽しかったのにな」という感情であり、友達に会えなくなった寂しさとは少し違う。

そんな人たちが、こんな感情を向けられたらどう思うか。想像するのすら怖い。今のところはかろうじて「好き」を「感じるだけ」に留められているが、うっかり向けようものなら、きっと嫌われてしまう。迷惑をかけたくない、なんていうのは建前で、私はいつでも嫌われることを恐れている。嫌われた結果、いじめられた経験から来ているのかも知れない。あるいは、嫌われなければいじめられない、とでも思っているのか。

ともかく、彼らのスタンスを知っていて、自分なりに線も引いていたはずなのに、いつの間にか友達のように錯覚して重たい「好き」を感じてしまうようになったのは、多分、私がめちゃくちゃチョロいせいだ。チャットとは言え家族以外の人と喋るのが久しぶりで、一緒にゲームをするのが楽しくて、名前を覚えてもらえて、親しげに声をかけられて、そして褒められたから、勘違いしてしまった。

noteで「スキ」を押すような、カジュアルな「好き」のままでいられたら良かった。だけど、いつの間にか一歩越えてしまった。向こうにも同じように好きを感じて欲しいと思うようになってしまった。いや、好きにならなくたっていい。だけど、「嫌われたくない」と「強く」思うようになってしまったから、一方的に拗れてしまった。

嫌われたくない。さっきも書いたけれど、それが、私が人に向けて抱く最も大きな感情だ。万人に好かれなくたっていいし、どうしたって私を嫌いな人はいるだろう。だけどただ、自分が「好き」だと少しでも思った人たちには、ほんの1ミリも嫌われたくない

これを言ったら不快に思うかな。これを言ったら大丈夫かな。もっと褒めた方が良かったかな。前は褒めてくれたのに、今回は褒めてもらえなかったのはなんで?どこが悪かったんだろう。もしかして嫌われた?どうすれば前みたいに褒めてくれるだろう。どうしたら、どうすれば嫌われずに好きでいてもらえるだろう。

たかだか一緒にゲームをするだけの相手に向けていい「感情」ではないと気付くのに、そんなに時間は要らなかった。

何度も言うけれど、最初から返事のないものに向けるのは問題ない。キャラクターにしても、持ち物にしても、それらが私を「好き」になったり「嫌い」になったりすることはない。だから安心して「好き」でいられる。

でも、人間は返事が出来てしまう。ネットの向こうにいるのは人間だから、彼らは私のことを「好き」にも「嫌い」にもなれる

「人はそんなに他人のことなんか見ていない。だから嫌われたくない、不快にさせたくないと思うなんて傲慢だ」という言葉を聞いたことがある。これを言った人は恐らく正しい。でもそれ以上に、残酷な人だと思う。

傲慢でごめんなさい。でも、それでも私はあなたに嫌われたくない。ただ一緒にゲームを楽しむだけの人以上に、あなたのことを好きだと思うから。現実の友達のように、思ってしまったから。

だから、できれば今からでも、もっとカジュアルに「好き」になりたい。気軽に「みんなで遊ぶの楽しいね」と口に出して言えるような、そんな身軽さが私は欲しい。

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