【追記】小山田氏の留任は、いじめ被害者である私にとって最も望まない未来への促進である

【追記】
小山田氏が辞任の意向を示したことを、記事をアップした後に知りました。そのため、本記事の内容は【追記】を除き、すべて小山田氏が辞任を示す前に書かれたものであることをご了承ください。

「小山田圭吾」という名前を、先週初めて聞いたにも関わらず、なんだかもう一生分聞いてしまったような気がする。

彼がしたことは私が多くのことを語らずとも、この記事を見つけた人なら、大体もう把握していると思う。数々の最悪としか言いようがないいじめ──いや暴行罪と言うべき──と、それをまるで武勇伝のように面白おかしく語り、それら全てを「未熟だった」としたためたTwitterの謝罪文。

私が声を上げるよりも早く、たくさんの人が声を上げてくれていた。だから本当は、「じゃあ別にわざわざ私が書く意味なんて⋯⋯」と思っている。だけどそれでも、ひとつでも多くの声が加わることで変えられるのかもしれないと思ったこと、そしていじめを受けていた身として、これをなかったことみたいに無反応でいるのは違うと思ったので、今回の件で私が感じたことや思ったこと、考えたことについて書いていく。

小山田氏がオリパラに関わることの問題性について

私は、小山田氏はオリンピックならびにパラリンピックに関わるべきではない、と今現在声を上げてくれている多くの人たちと同じように考えている。

その理由のひとつに、「オリンピック憲章」がある。

以下はふたつは、「オリンピック憲章」からの引用だ。

3 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。
6 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。

3条目では「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立」が、6条目では「いかなる差別をも伴うことなく」という文言がある。

彼はいじめという相手の尊厳を著しく傷つける行為をしており、さらに当時のインタビュー内で障害者に対する差別発言をしている。そんな人がオリンピックとパラリンピックに、特に後者に関わるのは適切な判断とは思えないのだ。

例え今は反省しているのだとしても、それが過去の行いを消すことにはならない。ただし、だからと言って、反省しなくてもいいということにもならない。

また、Twitter上の謝罪文によると「雑誌の内容は事実と異なる内容も多く記載されている」らしい。当時指摘しなかったのは自分がクラスメイトたちを傷つけたことが事実だから自己責任として静観していた、と言うが、ならば今回は静観せず事実と異なる内容があったことを公開したのは何故なのか。また、事実と異なる内容が多く記載されていると言いながらも、具体的にどこが事実でどこが事実でないのか説明できない辺りにも疑問を感じる。

「反省しているんだから」も「謝ったんだから」も「過去のことなんだから」も、全部間違っている

主に、小山田氏を擁護する声の中でよく出現するのが、この3つ。「反省しているんだから」「謝ったんだから」「過去のことなんだから」

正直最初のふたつには「だから何?」と思うし、最後の「過去のことなんだから」に至っては最悪だ。加害者にとっては過去でも被害者にはそうでないだろうし、被害者にとっても過去のことになっていたとしても、過去のことだから全て水に流そうというのはおかしい。もしそうすべきなら、どうして前科なんてものがあるの? 過去のことなんだから、わざわざ記録に残さなくてもいいんじゃないの?

私は普段あまり「あなたは間違っている」というような言葉があまり好きではない。だって人はみんなそれぞれ違う「正しさ」を持っていて、それが違うたびに上手く互いに譲歩したり、どうしてそれが正しいと思うのか知ろうとするもので、同じ「正しさ」を持つ人と出会うことはあれど、絶対的な「正しさ」はこの世に存在しないと思っているからだ。

だけど、この「反省しているんだから」「謝ったんだから」「過去のことなんだから」の3だからには「それは違うぞ」と言いたくて、あえてこの言葉を使った。

そもそも、謝られたからと言って許さなきゃいけないわけではない、と以前別の記事に書いたように、「謝るかどうかは自分の問題」「許すかどうかは相手の問題」だ。

そこを分かっていない擁護者の方々には、被害者の気持ちを今一度考えてから出直してきて欲しい。他人の痛みが想像できないと言うのなら、各方面から怒られている小山田氏の気持ちも想像できないはずなので、黙っていてほしい。切実に。

いじめサバイバーの私が、最も望まない未来

小山田氏がこのまま降板しなかった場合、どうなるか。私は、今起きているいじめが増長するのではないかと危惧している。「いじめてもバチなんて当たらない」ことの何よりの証明、そして憎むべき先例となってしまうからだ。

自分より弱い誰かの体も心も、どれだけ傷つけたところで問題ないんだな。オリンピックやパラリンピックなんていう、国際的な競技大会の作曲も任せてもらえるんだな。いじめなんて大したことじゃないね、そんな風にいじめっ子は思うだろう

また、いじめられっ子は「いじめっ子は咎められないんだ」と、より苦しむことだろう。中には「いじめる側が怒られないってことは、悪いのはいじめられる自分なんだ」と思ってしまう子もいるだろう。

いじめを受けていた身として、そして現在でもその頃の体験に苦しめられている私にとって、それは最も望まない未来の姿だ。

だからこそ私は、小山田氏の降板を強く希望する

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小山田氏が自分のしたことの重大さを知っていたのなら、そもそも今回の仕事は受けなかっただろうと思う。また、もし本当に自分のしたことを悔いており、パラリンピックの作曲に携わることで贖いたいと考えて今回の仕事を受けたというのなら、作曲を担当すると発表した時点で、そういった声明を出すはずだ。

小山田氏の実際の行動は、上記ふたつのどれとも違う。彼がしたことはと言えば、騒ぎが大きくなった後にTwitter上で謝罪文を出し、しかし続投はすると言う。仕事を降りるという考えは思いつきもしなかったようだ。

私は小山田氏に問いたい。──あなたは何のために続投したいの?

もし本当に反省しているのなら、これだけ騒ぎが大きくなり、障害者やいじめを受けた人たちが傷ついているのを見て、「自分はまた人を傷つけてしまったんだ」とは思わないの? 多くの人を傷つけてなおオリンピック・パラリンピックに関わることで、あなたは何がしたいの?

「自分がオリパラの作曲に携わることで、たくさんの人を傷つけてしまった。だからこれ以上誰かを傷つけないために、この仕事を降ります」

それだけでいい。誠意を見せると言うのなら、それだけで十分なのだ。「不快なお気持ちにさせて」なんていらない

より最善の判断をしていけるようになりたいと言うのなら、まずはこの仕事を降りること。

それが、小山田氏が今すべきことだ。

そして組織委員会も「このタイミングだから」なんていう理由で、小山田氏を留任させないで欲しい。それは不適切な人選を続ける理由にならないどころか、言い訳にすらならない。はっきり言って、こんな理由で留任がまかり通るのは日本人として恥ずかしいとすら思う。

今から新しい人を探すのが不可能でも、既存の音楽を使うだとか、色々やりようはある筈だ。このままだと、このギリギリのタイミングで発表したのは騒ぎになっても小山田氏を留任させる理由が欲しかったのではと、邪推してしまう。

小山田氏にはどうか「最善な判断」とは何かを、組織委員会にはそうまでして「小山田氏に留任してもらいたい理由」とは何かを、今一度考えてもらいたい所存である。

【追記】小山田氏の辞任をうけて

記事をアップしてから小山田氏が既に辞任の意向を示したことを知り、私の胸には「良かった」という気持ちと「昨日から構成を練って、今日1日かけて書いたのに無駄になるなんて」という複雑な気持ちが過った。

恥ずかしいので記事は消してしまおうかと思ったが、タイミングが悪かったとは言え結構頑張って書いたので、このまま残しておくことにする。

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