第3回離婚調停と離婚成立

年の瀬を前に、第3回離婚調停(及び第2回面会交流調停)の日がやってきました。
まずは養育費です。
私の提示額と妻の要求額で開きがありました。
私は、子ども達に会わせてくれるらならその要求額を飲むと言いましたが、
妻側は子どもには会わせない、お金は欲しいと主張してきました。

私は、妻の給与と年収も知っていたので、妻の要求額は多すぎる証拠として、それを根拠書類として提出しました。

話は少し平行線になりましたが、最終的には、金額は私の提示額のとおりとなりました。ただ、子ども達のと面会は絶対に譲らないという妻側のスタンスも変わりませんでした。

面会交流以外は条件が合意できています。
ここで、もう離婚を成立させるか、面会交流を取り付けるまで引っ張るかの分岐点がやってきました。

私は、弁護士さんと相談し、今回調停で面会交流を取り付けるのは不可能なのこと、次回以降も妻は折れないだろうということを話し、
離婚を成立させることを譲歩することとしました。

ただ、面会交流については、面会交流調停で引き続き話し合っていくということは調書に書いて欲しいということは伝え、妻側はそれに応じる形で、直接交流について前向きに考えていくという条文が記載されました。

そこからしばらく待機室で待機させられ、離婚成立の準備が進められました。
呼び出され、裁判官、書記官、調停員、調査官、私と弁護士、そして妻の弁護士と妻が一同に会しました。
これは意外でした。完全に別室宣誓になると思っていましたから。

妻とは、3月に会って以降、9ヶ月ぶりの再会となりました。
ただ、私は妻の方を一切見ませんでした。
私のせめてもの最後の抵抗です。

裁判官によって離婚の条文が読み上げられていきます。
これで本当に終わるんだな、と。妻との出会い、同居時の生活が走馬灯のように頭を駆け巡っていました。

条文にお互い合意し、離婚成立となりました。
妻はこの後、まだ事務手続きがあるとのことで、私側から退出を命じられ部屋を出ました。

約5時間に及ぶ長い調停でした。

こうして、私の約8年以上にわたる婚姻生活は幕を閉じました。
家に帰って一人、へとへとになりながら、安堵の気持ち、脱力感、喪失感、無力感など、色々な感情が襲ってきました。

次回に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?