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知育のきっかけ

子供が欲しかったわけではない

知育の話の前に、40歳を超えて子供が欲しいと思ったきっかけは正直不純な思いで、結婚・一軒家を建てる・離婚・再婚と人生経験をしてきた中で、やったことがなかったことが出産と育児。
30代のときに周りの人がふと口にする、『子育てをするとわかる』という言葉に対して、強いコンプレックスを感じていた自分。経験しなければ全くわからない子育てを経て得た考えなど、まったく理解不能ということで、子供は苦手だけど、子育てをしてみるという経験が欲しいという気持ちが子供が欲しい理由でした。

大人では変われない。三つ子の魂百までを信じてた

そんな不純な理由ではありつつも、子供の知育は、社会人の教育ビジネスに関わっていた中で、大人の教育には限界があり、やはり3つ後の魂100までといったように、持って生まれたキャラクターと子供のころの経験がその後の人格形成に大きな影響を与える、だから知識教育ではない人格形成という意味での教育は子供時代だよね、と、とても感じていたことが、知育に強い関心が途中から芽生えた根源かもしれません。

欲しくても手に入らないものを知る

実際不純な動機とともに始まった育児を経験してみたい、という希望では、40歳を超えて子供を授かるということの難しさにも直面して絶望の想いも経験をすることは、人生において欲しいものを絶対に手に入れることができる、ということがないことを知る機会にもなりました。
そして幸運なことに、不妊治療2年半後に、ゆうきが生まれてきてくれました。

ゆうきが生まれてから

出産後は、2か月目からきちんと寝る子で、育児が暇すぎて退屈な毎日を過ごしてました。そんなとき、仕事でいろいろあり、急遽産後2か月半で復職。そして幸運なことに、希望した保育園に預けることができ、さらに、子供の迎えにいきながら、保育士さんたちにいろいろなアドバイスを毎回もらうという贅沢な時間を数か月過ごさせてもらいました。ゆうきも、その保育園で初めての2か月半の子供だったこともあり、保育士さんたちから正直特別扱いすぎるほどの手厚いサポートをしていただいてました。

知育のきっかけ 家庭保育園ってなに?

そして、自宅の引っ越しに伴い、保育園の転園。その引っ越しが、知育開始の大きなきっかけに。
ローンを借りるために銀行にいくと、銀行の担当の方が、まだ4か月ほどだったゆうきを見て、ローンのことよりも先に、「「家庭保育園」というものがあって、とてもおすすめですよ。わが子はその家庭保育園で3歳まで過ごしていたので、こんな普通の親なのに、慶応の幼稚舎に入っちゃったんです、ガハハハッ」と言っていました。
自宅で『家庭保育園』を検索するとかなり怪しげ、そして異常に高い。これはどうなんだろう、としていたら、次は、売買契約の不動産会社の担当の方も、ゆうきを見て、我が家は今『家庭保育園』というのをやってますよ。と言ってきたのです。
正直、この1週間の間に二人の方から家庭保育園のことを聞かされて、育児初心者の夫婦としては、とりあえず、家庭保育園は毎月何をすればいいか送られてくるから、それに沿って育児をすればよい、ということだったので、とりあえずやってみることにしたのです。
(家庭保育園は、絵本、ドッツカード、フラッシュカードなどの知育教材一式を販売と親御様とサポートしている会社?です。現在HPが長期にわたり工事中となってしまっており、新規の受付はしていないと思われます。)

最初の知育 家庭保育園はどうだったのか

結論として、教材は本当にびっくりするほど古臭かったのですが、家庭保育園に申し込んでやってよかった、というのが感想です。実際家庭保育園で届いた教材の1割ほどしか活用できていません。しかし、この家庭保育園があったおかげで、2歳くらいまでのゆうきとの過ごし方は大きく違っていたと思います。
何が良かったのかというと、「絵本」。子供がほんとうに苦手で、子供と遊ぶなんて一切わからなかった私が、とりあえず毎日してたことは、家庭保育園から届いた絵本をとりあえず読んでました。そして、ゆうきも0歳から、指で絵本を何度も何度も指して、読んでくれと頼むようになり、二人で飽きるまで読んでいました。保育園の先生に、保育園のノートに絵本を読んでいることしか書いてないので、絵本だけでなく、スキンシップの遊びも取り入れてください、と注意を受けたほどでした。
家庭保育園では、絵本が一気に70冊ほど届きます。その絵本は良書ばかりで、3歳ごろまで追加で購入などしなくても十分の量です。育児をしている中で必ず出てくるのが、読み聞かせ。どのタイミングでどんな本を読むべきなのか、読み聞かせと言っても簡単じゃないなぁっと思っていました。また少しずつ増やせばいい、と思っていても、なかなか難しかったりと育児では考えることが多すぎるので、できるだけ自分が考えないでよいものは、アウトソースするという考えいました。そういった点では、良書と言われている本を先に送ってもらい、このレベルの本を今は読ませるとよい、という指南書付きで、迷わず読み聞かせをすることに集中ができたことは自分にとってとてもよいものでした。
その結果、本の読み聞かせのいう知育においては、これ以上は読めないだろうなという量を読んであげられたので、もうちょっと読み聞かせをしてあげたらよかった、という後悔は一ミリもないです。

家庭保育園の使っていない教材が今もリビングを占有しており、費やした金額を考えるとなかなか捨てられずにいられるものの、自分にとって大切な知育の1つであった、読み聞かせをこれまでできた、また読み聞かせの基礎ができたという点では、家庭保育園に出会えた引っ越しのときのお二人に感謝です。


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