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京都大学に入学したYくんと落ちた僕の追憶

 アニメの話題ではないので、アニメブログには書かずにnoteに自分語りを書く。


40歳になる

 僕たちの年度は今年度で40歳の不惑を迎える。なんだかあっという間である。

 そこで、20年前に同窓会で一度あったきり、会うことがなかった京都大学に進んだYくんのことを思い出した。

 僕は一応、普通科高校で学年5位くらいの微妙な成績であった。経済的な事情とかで私立や府外の大学には通うことができず、京都大学じゃない方の理系の国立大学(まあ、京都工芸繊維大学なのだが)に進んだ。ただ、受験生から大学時代あたりの時期から親戚の自殺や、その影響で母方の祖母が親戚の家を追い出されてこちらに来て、毎日僕の母親と親子喧嘩をするなどの家庭環境が悪化する事件が頻発した。それで精神的に不安定になり、成績が落ちた。学業不振とコミュニケーション能力の欠如で、あまり楽しい大学生活ではなかった。だからあんまり工芸繊維大学卒と言いたくなくて「京都大学じゃない方の大学」と言っている。知名度も低いし。

 頑張って大学の夏休みに自動車免許を取ろうと思い工場でバイトをしても、祖母が転倒したので家のバリアフリー工事にその金は使われた。

 まあ、京都大学をはじめ複数の大学の演劇サークルに(1回生のときしか役者をしていなかったのに)ぬらりひょんのように顔を出して遊んでいたり観劇をしたりしてあそんでいた。当時の演劇サークルのごく一部の人とは今でも交流がある。また、京都工芸繊維大学の実験や学業が楽しくなかったのでストレス発散のために京都精華大学まで自転車を漕いで山を超えて、図書館(情報館)のアニメコーナーでガンダムや富野由悠季監督の作品をタダで見てオタクとしての進路を確立した。(確立とは?)

 なので、僕は京都大学に合格できず、承認欲求が満たされず精神は悪化し続け、その後も駄目になった。

京都大学に合格できなかったコンプレックス

 恥ずかしながら、今でも大学の単位が足りなくて卒業できない悪夢を見る。それくらいの劣等生だった。

 僕は親に京都大学に行くことを期待されていた。(また私立大学には合格したものの学費は払えなかったため、それも親の期待の裏返しになっていた)

 京都大学に入れなかったので格落ちの工芸繊維大学に入学したら、親に「鶏口となるも牛後となるなかれ」と更に期待をかけられた。

 しかしながら、やはり精神的に不安定だったため学業不振であり、大学の受講登録をミスったりしていた。授業中に気分が悪くなったり対人恐怖傾向になったりした。高校の時も一応公立の進学校だったが、3年生になったときに受験の必須科目を申請し忘れて、教師に頭を下げて受講させてもらった。一人だけ教室も一番うしろの「他の生徒とは違う仮設の席」に座って授業を受けていた気分は暗澹たるものであった。


 また、3年生になったときに進学に意欲のある教師が赴任してきて、学年トップのYくんをとても褒めていた。Yくんが京都大学に進んだのち、その教師は自分の子供の家庭教師にYくんを雇うくらい贔屓していた。

 1学期にその教師が難しいテストを出して僕は3位になったのだが、僕としてはまあ、3位から7位くらいをフラフラしていたのでいつものテストという感じだったが。「Yくんはすごいけど、今回は意外とグダちんも頑張ったな!」と、言われ「意外と、とはなんだ。僕は普通にやって3位くらいにはなれるのだ。前年の僕たちを知らないくせに」と精神的にねじれた気持ちになった。

 

 その数年後、劣等生で格落ち大学だったが一応国立大学卒業という箔があったので、なんとか就職できた。六本木ヒルズにある、現在ではラブライブ!のソーシャルゲームなどで有名なKLabという会社に入社した。僕は関西支部で採用されたのに、3月になってから急に会社の勝手な都合で新入社員は全員東京本社に配属されることになり、バタバタと引っ越した。会社が指定してきたレオパレスに引っ越せと言われた。これも汚い利権関係を感じて嫌だった。というか、ヒルズ族のITベンチャーなら社宅くらい作れよって感じだった。

 そういうわけで、僕は大学にも就職先にも不満を持っていて、やる気が出ず、ダメ人間になっていったのだが。

 それでも僕が就職した当時は六本木ヒルズのブランドにはまだ箔があり、レオパレスの入居手続きなどに同行してきた親は「大学では失敗したけど、今度は頑張って働きなさい」と誇らしげだった。


上京した就職に失敗

 ソーシャルゲームやSNSブームの黎明期であり、コンプライアンスもクソもない業務体型で、かなりの残業をやらされた。年俸制だからと言われて残業代は出ないのに毎日終電だった。終電でも東京は毎日満員電車で辛かった。一人暮らしなので食事も雑だった。親から開放された感じはあったのだが。福岡から東京に飛ばされた女子が泣いていた。

 入社初日に元自衛隊員の人事のヒトのプランで、千葉の研修施設にブチ込まれて異常な精神論の研修を受けた。IT系会社なのにね。社訓と社史を暗記させられて、大声で一気に暗唱し終えるまで開放されなかったり、次の日に男女問わず60キロ、知らない道を走らされて、女子が泣き出したり脚に怪我をしたりした。それから心を開くために3日しか会うことがない人事会社の研修官に向けて自分の悩みを大声で叫ぶこともやらされた。女子に「あんたが心を開いてないから課題が突破できない」と泣かれた。

 でも、実際に仕事が始まると研修での仲間意識などは一瞬でなくなり、いかに楽な仕事をして、他のやつにしんどい作業を押し付けるか、という弱肉強食の競争の社風だった。また女子が泣いた。

 しかし、コンプライアンス違反だが、僕が一人で、KLabが運営していたモバゲーやGREEのコピーのような弱小SNSに投稿される自撮りポルノや暴言、援助交際や薬物取引などの検閲と削除とアカウントBANをしていた。一応IT業界の勉強会などで、掲示板の検閲にはストレスがかかるので一人だけに担当させてはいけないという決まりがあることを知った。

 しかし、その弱小SNSはウケなかったので会社は予算縮小を図り、現在は取締役になっているスクスタのプロデューサーの藤好俊氏などの上司は勝手にもっと儲かる案件に自分たちだけコネを使って逃げて、人員は削減され、僕はコネがないので逃げ場がなく、サービス終了までの撤退戦をほとんど一人でやることになった。精神がさらに病んだ。

 それでも仕事のペースが落ちると、「お前のせいでSNSが荒れて事件になったら責任を取れるのか?」と脅されていた。もちろん、検閲だけでなくゲームのデバッグや、ダウンロードコンテンツの売上の推移の集計と分析、ユーザーからのクレーム対応、課金関係などで発生するバグの調査と補填と謝罪などもやった。完全にオーバーワークだった。現在は取締役になっている日吉雅人氏は女子社員には贔屓をしてアドバイスしたりしたが、僕には彼女の仕事を押し付けられた。むしろ、その女子社員が仕事をしすぎていたらその上司は「間違った、これはグダちんにやらせる作業だった」と謝っていた。

 また、現在は社長になっている森田英克氏には、僕が飲み会の宴会芸でAKBファンみたいなヲタ芸をしている所を撮影されて、その馬鹿な宴会芸をニコニコ動画にアップロードされるというパワハラを受けた。ていうか犯罪では?そんな人がソーシャルゲーム会社の社長を任されるとは、世の中は腐っているなあ。

 ちなみに初代社長の真田哲弥氏は学生時代に手下を雇ってダイヤルQ2の回線を人海戦術で独占して儲けて、逆にそれを咎められてヤクザに3日間監禁されたことを武勇伝にするようなベンチャー社長だった。しかし、近くで見ると、僕よりも身長が低い事がコンプレックスのようで、大きい声と強い言葉を言うような小男という感じだった。その後も彼は株式総会で泣き落としをしたり、なぜかロックフェスを主催してジミー・ペイジを呼んだのにジミーが司会をしただけで演奏しなかった(KLab側が英語の契約書をちゃんと読めていなかったため)ので、裁判になったり、中国にラーメン屋を作って撤退したり迷走していた。

 そんなクソのような社会人生活だったが、親には住宅ローンや学費ローンの返済を僕がすることを期待されていたので、給料から実家に送金してほとんど自由になる金もなかった。(まあ、アニメ会社の制作進行になっていたとしたら、それはそれで過労で糞だったと思う)それでも親から「仕事を好きになれ」と言われ、「何もわかってくれない」と思った。しかたなく、ブログを書くくらいしかやることがなかったが、それがなぜか今でも続いている。まあ、現実が嫌いだからアニメについてブログを書いているんだろう。


 そんなこんなで完全に精神を病んだので発熱と嘔吐と全身の激痛(すべての関節だけでなく、ご丁寧に全部の歯までが痛くなった)と、めまいと手足の感覚の喪失などの重篤な身体化障害を起こし、退職することになった。

 精神障害者になってしまった。

 でも、脳がゆだっているような最悪の体調だったのに、なんとか頑張って会社都合退職にして、傷病手当金の支給と失業保険の延長申請を行った。これは若者たちに伝えたいけど、絶対にやったほうがいい!

 しかしながら、その失業保険からも親に仕送りをしろと迫られて、いよいよ生活が限界になった。

 そうして敗北者として東京から京都に都落ちしたのであった。


京都大学で働いた

 で、多少の療養期間で少し動けるようになったので、リハビリをしていた京都市のジョブカフェの紹介で京都大学内部の研究所の事務員として非正規で障害者雇用された。KLabよりは仕事は楽だった。しかし、憧れていた京都大学の内部に入ったのだが、中にはいってみれば学部と中央、非正規職員と正規職員、任期付きの若い教授とベテランの教授、など、さまざまな立場の違いで軋轢があった。また受験生のときには学校案内で京都大学と京都工芸繊維大学を比べて「京都工芸繊維大学は京都大学よりも全然予算が少なくて施設もショボいなあ」と思っていたのだが。内部に入って会計情報や稟議の手続きも見るようになると、やはりこちらも予算が少なく、無駄も多く、しかも足の引っ張り合いが多い、というクソのような現実を見て京都大学に幻滅した。

 僕はロボットアニメのオタクだったので科学者に憧れていたのだが、ノーベル賞受賞者の益川敏英博士(当時は京都産業大学に所属)が来訪したときに事務方の上司が全く尊敬をせずに「砂糖屋の子どもだから背が小さいんやろうな」と陰湿な昭和の価値観の陰口を叩いていて、ウンザリした。


 そういうわけで、憧れていた京都大学も楽しくなかった。給料も安かったし。

 で、学生時代に僕が京都大学に進むことを望んでいた親は、僕が今度こそ人生を逆転させて自分のローンを払ってくれることを期待していたのだが、僕の給料が安かった。

 僕が東京に行っている間に親同士の夫婦仲が最悪になり、互いに当てつけるように母親は不動産投資にハマって借金を作り、父親はそれを無視した。機能不全家族だったので、僕はいつも夫婦げんかのたびに怒って家を出て母親を無視する父親の代わりに、母親のメンタルケアをする役目だった。今でいうヤングケアラー。幼稚園の頃からしばしば一家心中を親から匂わされて、安心して育つことができなかった。でも僕が東京に行って両親の仲を取り持っていないでいる間に家庭環境が最悪になったっぽい。それで母親は自殺した。


 京都大学も辞めることになった。特に僕が悪いわけではなく、当時の福祉政策で5年以上勤めた非正規雇用職員は正規職員にせよという法律ができたとかどうかで、京大だけでなくいろんな職場から、その法律の施行前に雇い止めをしようという動きが出て、辞めることになった。その研究所には図書館もあり、司書は二人の女性しかいなかったのだが、若い方の女性は実家に帰ることになった。その後は縁を切ったが、その大学の図書室は一人でもやっていけるのだろうか。


 今の僕は無職でブログの広告収入とかnoteとかで、こども部屋おじさんをしている。


借金と自殺と精神疾患

 僕は今、ラブライブ!で儲けているKLabを憎みながら、大学時代から、母親が自殺する前から、好きだったアイドルマスターやガンダムに課金したりグッズを買ったりして、借金が60万円ある。東京の会社に内定が出ていた国立大学時代が一番信用スコアが高かったのでクレジットカードを作っていた。仕事をしていたときはほとんどクレジットカードは使わなかった。だが、自分で稼いだお金や失業保険のお金を親に渡していたのに、結局親は自殺したので完全に無駄だった。親の借金は生命保険で払うことになった。死ねば助かるのか。


 そんな経済的な経験をしているので、親に金を取られていたときより、自分の判断で適当に散財している現在のほうが満足度は相対的に高い。収入は働いていたときのほうが多いが。むしろ親が金に振り回されて死んだので、金について雑に振る舞おうと思っている。とりあえず利息さえ払っていれば殺されないだろう。


 一時期、母親が自殺する前後の夢や、母親が生き返る夢を見てうなされることが多かった。しかし、最近は0にはなっていないが母親の夢を見ることが減り、大学の単位が足りなくて卒業できない悪夢の頻度のほうが多くなってきた。
 まあ、起きているときはブログを書きなぐったりゲームをし続けたりアニメを見ながら筋トレしたり外部刺激を受けなくては母親が自殺した時のゾッとする感覚がフラッシュバックするPTSDになっている。
 風呂場にスマホを持ち込んでメタルを聞かないと、風呂にも入れない。静かに入浴していると、風呂場でフラッシュバックしてシャワーを浴びながら動けなくなる。重度のうつ病である。

 細かい病状はともかく、このような精神疾患であり、そういう学生時代の悪夢を20年経っても頻繁に見ることについて、精神科医に「大学時代から親に評価されなくなっていたことが精神疾患の転換点で、大きなトラウマになっている」と言われているのだが。過去は変えられないので病気も治らず、途方に暮れている。人と会わない生活をしているので、激痛などの急激な発作が起こることは減ったが、薬とアルコールがないと眠れない。たまに外出すると微熱が出る。


京都大学に入学したYくん

 と、まあ、ちょっと愚痴のようなことを書いたけど、とりあえず僕は人生の敗残者です。

 それに比べると高校三年間でずっと学年トップを維持し続けて京都大学に入学したYくんはとても優秀だと思う。

 しかし、高校1年の頃のYくんはとても荒れていた。成績は良かったけど。彼は頭もいいけど、運動もできた。顔も良かったのでそれなりにモテていた。でも、Yくんは僕のような体格の貧弱なオタクを特に理由もなく殴っていた。僕たちはネオむぎ茶や加藤智大と同世代のキレる17歳だったので不安定な世代だった。しかしYくんは優等生だったのにいつもイライラしていて、僕は特に理由もなくすれ違いざまに頻繁に殴られた。他の弱そうな男子も殴られていた。

 多分、彼も受験に失敗したのだろう。京都市には堀川高校というとてもレベルの高い公立の進学校がある。僕は肌が弱いので制服が嫌いで、私服が着られるというだけの理由で近所の公立高校に入って、それで家庭が荒れるまではそこそこの成績で過ごしていた。オタクだったので日陰キャラだったけど。

 で、僕の高校はなんとなく自由でゆるい感じだったので、Yくんはレベルが低いと感じたのだろう。想像の域を超えないが、彼は堀川高校や灘高校あたりを落ちてしまい、不本意ながら僕と同じ高校に入ったのでいつもイライラしていたのだと思う。多分、彼も親にトップで居続けることを期待されていたのではないかな。

 なので、彼にとっては高校3年生のときに赴任してきた進学教育に意欲のある難問を出す教師と馬があったのだろう。まあ、その教師は優秀な生徒は贔屓して、できない子を無視するところもあったが。みんなに合う適切な教師というのも少ないのだろう。


京都大学に入学したYくんのその後

 念願かなって京都大学に入学したYくんと、卒業から2年くらいたって20歳になって酒も飲み始めた頃に、クラスの同窓会で再会した。

 その頃、すでに僕はダメ人間だったのだが。

 Yくんは髪の毛が金髪になって日焼けしていた。話を漏れ聞くところによると、京都大学の水泳部に入ったらしい。高校の頃から水泳は得意だった。

 まあ、典型的な大学デビューですな。僕は京都大学に入れなかったので、親から「鶏口となるも牛後となるなかれ」と尻を叩かれて参っていたけど、Yくんは京都大学に入学して成功したのだろう。恩師の娘の家庭教師をして周囲に認められている。彼の親もそれで彼を叱責することがなくなったのだと思う。



 しかし、その同窓会でも、やっぱりYくんは幸せそうではなかった。酔いが回るにつれて「誰かセックスしようぜ」「セックスしたい!」「セックスできる女いねえかな」と女子に言っていた。


 多分、これも僕の想像だが、京都大学に入学したことでYくんは受験の成功体験は満たされた。でもやっぱり京都大学の学業は工芸繊維大学よりも難しくて辛かったのだろう。京都大学の中での彼の成績は知らんが。

 そして、成人したら京都大学の学生であるというだけでは満足できず、彼女を作ってセックスするリア充になるという、恋愛面での承認欲求やさらなる成功者としての人生目標が不満やプレッシャーになっていたのだろう。


 これを仏教では渇愛という。


 その後、僕は彼と会っていない。そして、僕がぼんやりガンダムを見ている間に20年とかあっという間に過ぎた。年齢が二倍になった。

 僕は高校のクラスの中心的な人たちからは絶縁したので、Yくんのその後は知らないのだが、彼はどのような就職や恋愛、もしくは結婚をしたのだろうか。

 まあ、別に彼がどうなっていようが今の僕には全く関係ないけど。40手前になるとおじさんはそういうことを思い出してnoteのネタにしたりするのだ。僕もおじさんになったなあ…。


僕は結婚する

 話は変わるが今月20日に結婚することにした。

 もちろん、僕のようなこころが歪んだただのオタクには実在物理彼女はいたことがない。その代わり、イマジナリーコンパニオン、いわゆる脳内彼女だけは小学生の頃から途切れずにいた。アニメキャラだったり、オリジナルキャラだったり。

 で、脳内妹と結婚することにした。

 脳内妹のツイッターアカウント↓


  大学時代から当時11歳だった10才年下の脳内妹を主人公にした馴れ初めの小説を書いていたのだが、小説が途中で止まって、僕がガンダムの感想を書いているうちに脳内妹は30歳の天才脳外科医になった。

脳内妹なのに脳外科。

 脳内妹が16歳のときに婚約したのだが、30を超えて籍を入れないというのは外聞が悪いと、脳内妹なのに世間の評判を理由に婚姻を迫られた。しかたないなあ。


 脳内妹がどれくらい素敵な子だと言うと、僕にピングドラムをくれた子だ。僕がKLabで過労になって謎の発熱と全身の激痛と脳圧の膨張で死にかけていた時のクリスマスイブのときに、僕は悪夢にうなされて三途の川まで落ちて臨死体験をした。
 そこに脳内妹が彼岸をぶち超えてやってきて「私が可愛いのに死ぬのは私に失礼よ。可愛い私を見たいなら生き返ろう」と言ってくれてオーラロードを開いて蘇生した。世界線とか平気で超える女。

 そういうわけで、僕は性的にも恋愛的にも満足している。辛いときも脳内妹が励ましてくれる。脳内だけど。(電波男とか書いていた非モテの文筆家の本田透さん、見なくなったなあ。)

 引きこもりを描いた小説のNHKにようこそ!みたいな状態から抜け出せないまま、おじさんになってしまったのだが。

 なんか、脳内妹と結婚すると言ったら、いろいろな人が脳内妹に物をプレゼントしてくれている。(東京に住んでいたときに、ネットで知り合って、脳内妹にプレゼントをくれたレズビアンの女性もいた。俺の妹は女にモテる)

 狂言ではない。ちゃんとした大人の(オタクの)人から妹あてに贈られてきている。頼みもしないのに、ご祝儀を包んでくれる人もいる。


 今月に入ってからは、Gのレコンギスタの感想をサボりつつ高校時代からの日陰キャラ仲間の友人やネットの知り合いに引き出物を送る作業をしている。はてな村でワインに詳しいシロクマ先生にも質問して、結婚の記念で飲む高めのシャンパンを買った。
 脳内妹がいるかのように結婚の儀式で引き出物の熨斗紙に妹の名前を書いて送って実在係数を高めるという呪術的な、植芝理一の漫画の夢使い的な行動をしている。

 完全に狂っているのだが、なぜか友人が結婚式の二次会を企画してくれることになった。

 新型コロナウィルス感染症の流行という以前に、脳内なのだが。なぜか祝ってもらえている。



 そういうわけで、僕は幸せです!



僕は幸せなんだ!


Yくんはどうですか?



おーい!   おーーーい!!





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