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あるもの ないもの ありがたいもの


最近娘が、夫が家にいないと
「パパ、いないネェ?」と可愛い片言で話しかけてくる。

夫が家にいるときは泣きながら私のところに駆け寄ってくるのに、一体なぜ?

ないものにばかり意識を向けてしまうのは
人間のさがなのだろうか。



唐突だが私は、「ワンオペ」という言葉が苦手だ。


自分の状況を説明する時、病むを得ず使うことがあるのだが
いつもこっぱずかしいような、
申し訳ないような気持ちになる。
(他の人が使っている分には何も思わない)

仕事で殆ど家にいないとは言え 夫もいるし、
家の近くには仲の良い両親・義両親もいる。


そんな恵まれた環境にいるやつが
「ワンオペ辛い~」と言っていたら
シングルで子育てしている人や
パートナーが単身赴任で不在の人、
実家や友人から遠く離れた場所で育児している人に失礼な気がして。


しかし、最近思うのだ。
「ある(いる)」のに「ない」というのもまた別の辛さがあるなと。

我が家の場合、夫は確かに「いる」のに、
仕事でほとんど家にいないし、いても家では寝ているか仕事をしているかなので頼れ「ない」。


そこにあるのに、いるのに、無い。
この切なさや悔しさは、最初から「ない」辛さとは別物かなと思う。


あの家はお金に余裕があっていいなあ
あの子は美人でいいなあ
あいつは友達が多くていいなあ

そんな風に当然私も「ある」状態に憧れてしまうのだけど、


「ある」ことを正しく認識するには、
「ない」状態を経験する必要がある。

もっと言えば、
「ない」状態になって初めて、
そこに「あった」のだと気づくこともある。


過去を想起する形でしか存在を認識出来ないなんて、なんたる皮肉。


だからこそ、
一度「ない」状態を経験している人は
「ある」ことを感じられるし、
文字通り「有り難い」と思えるのだろう。


娘が生まれてからの2年間、
数えきれないほど「ありがたい」と思うことがあった。


毎週車で色々な場所に連れ出してくれる両親、
辛いことがあったらいつも励ましてくれる姉、
娘と一緒に一日中遊んでくれる友人、
理解ある職場の上司や同僚、




全部全部当たり前じゃなくて。

もしかしたら傍から見たら
「大変そうだね」
と言われるような状況かもしれないけれど、
それを補うのに十分すぎるほどの愛が、
私の周りには、ある。


私も娘と同じでついついないものに目を向けては
悲しくなることがあるけれど

今あるものを大切にして
きちんと感謝出来る人間でありたい。

もしかしたら
「ある」か「ない」かはそこまで重要ではなくて、
「ありがたい」と感じられるかどうかが
幸せに直結しているのかもしれないから。





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