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香灯庵のもりそば(汐留)

基本的に、麺類が好きだ。

一日三食スパゲッティでもいい、と思っていた時期もあるし、鍋の締めは雑炊よりうどんにしていただきたい気持ちで一杯だし、何なら締めと言わずにうどんすきにしてほしいし、「米がなければ麺を食べればいいじゃない?」と割と本気で思っている。

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小麦一族が幅を利かせる麺類の中で、蕎麦はやや異色の存在だ。蕎麦の実宮家(「そばのみのみやけ」と読んでください)からやってきた、謎の貴公子といってもよかろう。

「十割蕎麦」等、より粉の純度(でいいのか?)が高いものがありがたがられる傾向にあるし、麺の癖に「新蕎麦」なんて旬の時期が存在しているし、大晦日と引っ越しに欠かせない食べ物として、外国のクリスマス=ターキーレベルの重要な役割を担っているし。麺なのに。

そして、特筆すべきは、たいていの麺をゆでたお湯がそのまま下水へと消えていく中で、こいつをゆでたお湯だけは「蕎麦湯」として通好みの飲み物(かどうかは微妙)へと華麗なる転身を遂げる、ということである。思春期の娘をもつお父さんの入ったあとのお風呂のお湯と、ジャニーズの入ったあとのお風呂のお湯くらいの扱いの差。後者なんて見たことないけど。そしてどうでもいいけど後者はペットボトルに詰めれば売れると思う。

よくよく考えるだに、不思議なやつである。蕎麦。

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気温が上がってきて、やや食欲が落ちてくると、「今日は蕎麦にしよ」と思う日が増える。
夏場の家ランチの王様が素麺なら、外ランチの王様は蕎麦だ。

汐留に新しい蕎麦屋が出来た、と風の噂で聞き付けて、いそいそと小走りで店に向かう途中、偶然出会った取締役(50代男性)に

「なんだ、おまえ蕎麦が好きなのか」

と嬉しげな声を出された。ついでに、あちこちのオススメ蕎麦屋情報を教えてくれた。
ラーメンと蕎麦屋に一人で入れる、という女性に、男性はなぜか優しい。
食べて帰るだけなんですけどね。

たどり着いた場所をみて、「あれっ」と声をあげそうになった。
何ともオシャンティな外観のそこには、以前もっと大衆的な、定食屋の匂いがする蕎麦屋があったはずなのだ。
180度異なる雰囲気を見るに、まったく違う人により経営されていると思われる。
調理場やレジ、テーブルなど、店内の配置は変わらない。いわゆる居抜きってやつだろうか。

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注文した盛り蕎麦は、こしがあってのどごしもつるりとしていて、美味しかった。
余談だが、蕎麦にねっとりと刻みのりが絡みつくざる蕎麦が苦手な私である。蕎麦湯を入れたときにのりが残るのもなんか嫌だ。この法則は、香ばしい醤油団子にまとわりつく水分を含んだのり、ほんのり温かいおにぎりにはりつく水分を含んだのり、にも適用される。

蕎麦湯を蕎麦つゆに入れてすすりながら、以前の大衆的な店のことを思った。
やや麺がのびている、しかし食べるとまぁまぁおいしい、そういう可も不可もなくな店だった。

今後は二店舗で切磋琢磨するのかしら、と思っていただけにやや寂しい。
とはいえ蕎麦は美味しい。
複雑な気持ちで、サービスのかやくごはんを食べる(ラーメンライスといい、炭水化物に炭水化物を組み合わせる風習はどこからきたのだろう)。

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家のすぐ近くにある蕎麦屋も、ある日店の名前はそのままに、経営陣が変わっていたことがある。
子供の頃から通っていた蕎麦屋だっただけに、当時高校生ながら、時の無常を感じた覚えがある。大袈裟だけど。

蕎麦屋だが、どちらかというと天麩羅が美味しいといわれる店では、給食のおばちゃんのごとくてぬぐいを頭に巻いたおばちゃんが、一切の愛想を忘れたような態度で注文をとったり蕎麦を運んだりしていた。

経営陣が変わった店内では、母娘と思われる二人がエプロン姿で、これまた愛想を知らぬ顔で接客を行っていた。土地柄なんだろうか。
母親のきついパーマのかかった頭を見るたびに、私はてぬぐいのおばちゃんを思い出した。

そして時は流れ、ある日 の会社帰りのことだ。
自宅がある駅までたどりついたところで、ふと改札に目をやると、そこには懐かしのおばちゃんの姿があった。

思わず二度見する。

おばちゃん!!
まだ布頭に巻いてる!!

多少のおしゃれを意識したのか、私服仕様のおばちゃんのてぬぐいはバンダナに、白の割烹着は対極カラーである黒いロンTと黒いパンツになっており、背にはリュックをしょっていた。

とはいえ、長らく世話になったおばちゃんの無事を確認できた喜びは大きい。
私はほっとしながら帰路についたのだった。

サポートをご検討いただきありがとうございます! 主に息子のミルク代になります……笑。