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"量産型女子"に、なりたくてなったわけじゃない。

最近、女性誌研究の観点で雑誌を読む機会が増えました。

わたしは、今まで明確に「これが好き!」と自分でハッキリわかっているタイプではありませんでした。
"好みのジャンル"は今までボンヤリとした輪郭しかなく、最近複数ジャンルの女性誌と向き合う中で、少しずつ好きなジャンルが言語化できてきたところです。

『Hanako』や『&premium』、『リンネル』、『oz magazine』などいわゆる「暮らし系」に惹かれるらしいです。

その過程で、かつて"量産型女子"と言われた自分を思い出しました。チリッとした微かな胸の痛み。違和感を表に出せなかったあの頃。

大学1年生の頃、人生で初めて買ったファッション誌は『non-no』でした。

「可愛くなりたいなぁ」漠然と思ってました。
「可愛くならなければならない」とさえ思っていたかもしれません。
"だって女子だから。"

きつく見られがちな顔立ちなので、少しでも優しい雰囲気を出すため、ゆるくパーマをかけました。
でも染めるのは勇気がなかったし、自分のアイデンティティが失われる気がして黒髪のまま。"清純に見えそう"だし。
髪は長いほうが"好かれる"と思ってました。

大学生になったら急にメイクというものが解禁され、動揺しました。

最初は、マスカラもアイシャドウもせず、
ファンデーション、チーク、リップだけのメイクだったと記憶しています。
母と一緒に薬局にメイク道具を買いに行って、姉にメイクを教えてもらいました。眉の整え方も。
前よりは「可愛く」なった自分を、気恥ずかしくも嬉しく感じていました。

一目惚れして買ってもらったスプリングコート。

自分なりに「いいかも」と思う正解を身に纏って生活を始めたあの頃。

新入生に押し寄せられるサークル勧誘のひとつ、確かサッカー部だった気がします。「すみません…」と勧誘を断って、背を向けて歩き出したとき、

「なんか今年の1年生、みんな同じ格好してね?量産型女子?」

今でも思い出せるほどの鮮明さで、耳に届いた言葉。
なんとなく他の子の格好を見て思っていたこと。でも、自分ではできるだけ見ないように、言わないようにしてたこと。

みんなと同じ格好してる…。

でも、"なりたい自分"って思ってなったのに。
選んだの。自分で。
量産型女子なんて、言わないで。

それなりに「モテてみたい」と思っていたし、"男子目線"で可愛くならなきゃいけないと思っていました。
その結果落ち着いてしまった"量産型女子"のカテゴリ。

思えばいろいろなものに、縛られていた気がします。
女子はスカートを履くべきで、髪は長いほうが良くて、足元はパンプスを履いて。
きつい女の子は嫌われるから、優しい雰囲気が良くて…。所作は女の子らしく指を揃えて、バーベキューにはウェットティッシュを持参して気を利かせて。

わたし、あの頃ほんとうは何を着たかったんだろう。
どう生きたかったんだろう。

どこから作り上げたのか、"世間の目線"、"男子目線"で自分を見ていました。
その目線に合わせて自分を変えたのに、まるで無個性のように言われてしまったことに深くショックを受けていました。

今、社会人になった自分は
似合うものと好きなものが異なって悩んだりもしたけど、それなりの落とし所を見つけています。

他の人たちの"目線"はほどほどに、自分らしく好きな服を着て。
それはまったく奇抜だったり個性的だったりはしないけれど、誰かのためじゃなくて、自分のために着飾っている感覚。

ほんの少し、大人になれてきたのかもしれません。
そんな自分が好きだなぁと思います。

それでもたまに思い出すのです。
"量産型女子"なんて、なりたくてなったわけじゃないんだよと、ほんのすこし苦い気持ちを。





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