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「障害」という訳語①

DSMー5TR(アメリカの精神医学診断マニュアル  第5版テキスト改訂版)の日本語版が出版され、国内で用いられる精神疾患の名称を改めようという動きがある。だが一方で、慎重な意見もあるようだ。筆者の知己にも心の病を持つ人がいるが、「◯◯障害」という病名により周囲からあらぬ誤解を受けたり、あるいは本人も自分自身を貶めたりと不必要に苦しんでいることがあった。「障害」は、「障り」と「害」だ。嫌がる当事者たちがいるのは当然である。この「障害」という表現が使われなくなるのは好ましいが、この訳語の出処はなんだろうか。

そもそも「障害」は、英語の " disorder" の訳として当てられたものである。" disorder" は "dis (反)+ order " となるが、これが英語でなぜ病気を意味するのだろうか。

"order" は辞書を見ると 「順序・順番」 「整列」などが始めに挙がっており、「秩序」「命令」や「注文」の意味もある(注文のことを日本語でも「オーダー」という)。これは会社組織なら社長→重役→部長クラス→課長クラス→係長クラス→平社員というように序列があり、その「順番」に「命令」が伝わっていくと考えると分かりやすいだろう(客から店員への「命令」が「注文(オーダー)」である)。"disorder" とは分かりやすく言うと、順番が狂うことである。命令伝達の順番が狂うと、組織は往々にしてうまくいかない。逆にうまくいっているときの状態が、「秩序」と呼ばれる。健康状態についても西洋では、そのメカニズムがこうした順番どおりに働くべきだと考える発想ではないだろうか。ここで「命令」にあたるのは脳からの司令信号なのであろう。西洋医学は長らく心身二元論を引きずっていたので、その伝統的な考え方に「心」「精神」は含まれていないだろうからである。19世紀のフロイトですら自然科学的なモデルを装ったし、現在の英語でも "mind" といえば「心」ではなく「脳の働き」なのだ。

では、"disorder" に当てた「障害」という語はどこからのものか。Wikipedia によると、もともと仏教用語で「悟りの妨げになる心の要素」という意味があったらしい。そして1950年施行の法律で「障害」「障害者」という単語が正式にできたようである。そもそも英語圏で仏教思想はあまり一般的ではないので、少なくとも正確な訳語ではないことがわかるだろう。たしかに日本で分かりやすい訳語をつくるには、似た考え方を引用して「当てる」のも便利である。ただ当時からあった差別意識もやはり反映されていないだろうか。「煩悩」のような意味が、もともとあるではないか。

では東洋的な意味で「うまくいっていない」を表すには、どのような語があるか。西洋での順番や時間の流れが直線的なのに対し、東洋では伝統的に時間は円環構造とされる。心に備わる悟りの象徴として、円相という円を描くこともある。また完全であることは「全」「全一」などと呼ばれるため、この反対を考えるならば「不全」だろうか。そう、本来このほうが「障害」よりも訳語として良かったかもしれない。事実、「心不全」という身体の病名がある。「心不全」と重なってややこしいから、というのなら「未全」という同義語もある。

翻訳とは難しいもので、原語とできるだけ正確に合うようにせねばならない。そのためむやみに「障害」を、「疾患」などに置き換えられないという。たしかに原語と訳語の対応関係は保たないと、英語圏の医師との話し合いは難しくなるだろう。だが医療は本来、病気を治すためのものである。ならばやはり、患者第一であるべきだ。そうした場合は置き換えではなくて、他の訳語を検討できないものか。理想として考えられるのは、それぞれ複数の当事者、医師、そして実績のある翻訳家(語学のプロ)がチームを組んで検討することなどである(現実的かどうかはわからないが)。今はこのまま、改正の動きが進んでほしいと思う。

「障害」というのは「本人が抱えるハンディキャップ」を意味するようだが、本人自身があたかも「社会の抱えるハンディキャップ」であるかのように聞こえるのだ。考えてもみてほしい。病気に苦しんで不便なのに、医療にかかると不必要に差別的なラベルを貼られる。ラベルを人に見せれば高確率で差別され、見せなくても自己嫌悪が続きうる。治療効果が見込めるだろうか?

医療も本来は出した薬の数などではなく、治した患者の数で評価されるべきであろう。そうすればこぞって、患者第一の動きが加速するのではないだろうか。

私の拙い記事をご覧いただき、心より感謝申し上げます。コメントなどもいただけますと幸いです。これからも、さまざまな内容をアウトプットしてゆく所存です。どうぞよろしくお願いいたします。